2000.9の「ヤマザキ3行日記」

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#2000.9/26   「寒い夜の自我像」(中也)?

 モリオカ、それ「モリオカ日記」#2000/9/26は、八幡のJUSCOのことか? いつになく、グッとくるほどローカルでリアルな描写がふるえてるぜ。(なんのこっちゃ)。

 ああ「悲しみに出遇うごとに自分が支へきれずに、生活を言葉に換へてしまひます。」

 めっきり涼しくなって、すっかり秋風吹いてるなぁ、最近は。

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#2000.9/25   サスペンス感覚の日常化

 こんな「ドラマ」が放送されていた。

 女29歳OL。ある日の夜中午前2時頃、自宅の電話が鳴る。弟の声に似た相手と話し始めた女は、間違い電話であることに気づく。だが、ついついそのまま話し続け、息のあった二人は、電話番号を確認しあい、翌日から電話での付き合いがはじまる。男は30代半ばの、大手レコード会社につとめるサラリーマン。
 そして、二人は外で会うことに。
 最初にあったのは、高級ホテルのロビーであった。
 弁舌滑らかで、実によくビジネスのことなどを話す。女は男の賢さと頼もしさに感じてしまう。ある時には、私が育てた新人歌手のCDだとくれたりした。男は、都心のマンションに一人で住み、外車2台を持っているという。
 いつでも君のことを想っているからね、いつまでも仲良くいようねと、愛を誓う手紙や電話でのかたらいが続き、結婚の約束をする。
 つきあい始めて1ヶ月後、ある日突然、男は、苦渋の声音で電話をかけてくる。父親がガンで倒れ、しかも父の借金をかぶって数千万の借金に追われているという。父親は北鎌倉で動物病院を経営し、新橋にレストランも経営していた。
 そんななかで、電話がかかってきたある日、男は北鎌倉の父親の病院にいるとのこと。電話をしている最中にも、父が眼を覚まして苦しんでいると言って、電話を一時切り、後でかけなおしてくる。そんな日が続いた。
 借金と父の病に苦しむ男の悲嘆を、見るにみかねた女は、少しでも力になってあげたいと、270万の金を男に渡す。
 だが、気づいてみると男の連絡先は、携帯電話しか知らない。そこで、免許か何か身分証明書のようなものを見せて欲しいとたのむが、信じられないのかととりあわない。
 ここにいたって女は、友人の助言もあって調査会社に身元調査を依頼する。
 探偵がカメラを回す前で、女は男と会い、10数万の金を渡す。男は仕事が忙しいと言って去っていくが、追跡した探偵が発見したのは、東京郊外のパチンコ屋であった。
 男は毎日パチンコをしてくらす30代後半無職。もとより顔はわからぬが、腹が出て恰幅がよい。
 父親のことをはじめ、名前からなにからすべてウソであったことが判明する。
 探偵数名とともに女と男は対面しすべてが暴かれる。同時に別の女性二人(20代前半後半)を騙している最中であることも発覚する。男の両親も場に呼び出されて謝罪。男は土下座してあやまる。
 金は親が工面し、騙しとった300万は返済した。

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 や〜、じつに見事な騙り屋である。よくもまぁと感嘆これ久しゅうした。
 当の女性も言っていたが、ここまで出来る男なら、何かできるにちがいないと思わされさえもする。
 もちろん、この「ドラマ」は、実録報道ものの番組である。飯を食いながら、ついつい釣られて見てしまった。
 つまりは、「結婚詐欺」なのである。
 しかし、こうして、「終ってしまった視点」から読んでしまうと、騙された方がいかにもアホだとしか思えないが、「渦中の視点」で、事の真偽を疑うべくもない相手の言葉に"宙づり"にされている、"サスペンス感覚=身を切られるほどの恋愛感覚"は、いかほどの浮遊感覚であったかと、思いやられる。
 こんなのは、どんどん増えるんだろうねぇ。

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#2000.9/22   学校化社会の進展

 「ITの国民運動」とともに、教育改革においては、小中高のカリキュラムに、「奉仕活動」を「全員行うようにする」とのことだが、それはつまり、現代版「徴兵制度」のようなものだろうか。「強制労働」といった方がいいのだろうか。
 もとより、「徴兵」とは規模も意義も違うが、社会の学校化なわけだ。徴兵は、国際関係の問題が先行するが、国民の規律=訓練の涵養の場としての意義では、軍隊の果たしていた意義をもつ。義務だから、「ボランティア」(volunteer =志願兵)と言わないことは、適切である。社会の「学校」化もいよいよ進行し、社会の自己目的的機能組織化が強化されるということか。
 しかし、不登校で学校の地盤沈下がおこり、国民年金の義務化に応じない者が多いように、不奉仕活動が政策をとん挫させるにちがいない。誰もが口にしているように、一番迷惑なのは、徴兵されたものたちを受け入れる方であろう。どっちが奉仕しているのかわからない状況が報道されるようになるのが目に見えるようである。一方で、大検の制度が緩和されるそうであるから、「強制労働」がいやな人たちは、大検に向かうことだろう。しかし、大検の条件にも奉仕活動は必修になるか。

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#2000.9/21   インタビューの様式

 モリオカ君のいうように「モリオカ日記」#2000/9/20、インタビューは気になるねぇ。女子水泳選手にも、色々いるけども、最初にメダルをとった某が、「「文化祭でステージに上がった高校生」というようなノリ」だというのは、私もそう思った。インタビューも慣れると、受け答えの表情といい語り口といい、型がそなわってくるのでもあろうか。
 私の気になったことの一つは、水泳選手の爪のマニキュアである。なかの一人は、どちらかというと地味な感じなのに、妙に派手な水色などを塗っていた。ちょっと引けた。もうひとつは、柔道の試合後の握手のシーンを映さないことである。その時になると勝者のみをアップにしているように思うが、私が見たときがたまたまだったのだろうか。それとも、ちゃんとやらない選手が多くて具合がわるいのだろうか。
 ところで、オリンピックではないが、「爆笑オンエア・バトル」で、落ちた人たちの一言が最後に流れるが、初めの頃は、不意打ちのインタビューに、ふてて言い訳めいた捨てぜりふか、どう応接したらいいか困って混乱したものが多かったように思うのだが、近頃では、さわやか、ないしは、謙虚な、コメントをするのが多くなった。それも小さなオンエア枠であることに気づいて変わったのだろう。

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#2000.9/19   学校としての少年院

 夜の民放のニュース(「出来事」)を見た。女性のアナウンサーが、ヤケにゆっくりと語るニュース番組である。この番組では以前から、ベテランの女性アナウンサーが担当しているようだ。
 ところで、この番組の特集で、穂高町にある塀のない少年院にいて更生していった20歳の少年のことが紹介されていた。殺人未遂で4ヶ月半であったようだが、最初は自分だけがわるいわけではないと言っていたのが、「先生」のカウンセリングを通じて、また家族との関係を回復することを通じて更生していったとのことである。この少年院は、実に"古き良き学校の理想郷"といった趣である。直立、休めの姿勢をきっちりととり、45度の礼をする。言葉遣いはきっちりとした敬語で、つねに日記と作文を課されるようだ。ひざまずいて便所の床も磨く。もとより、ここは、"模範的な犯罪少年"のみを収容しているようである。少し前に、千葉の少年院から出獄1週間前に脱獄し強盗をおかした少年のことが報道されていたが、その少年はすでに何度も出たり入ったりしていたとのことであった。それとは、だいぶ違う。
 教育刑というのであろうか、要するに、昔の学校が理想としていたような少年院なのである。金八先生の世界を、もっと規律正しくしたようなところを想像するとだいたいあたっている。学校化社会から生まれた犯罪少年の更生は、"よりよい学校"での再教育でおこなわれるという循環でしか対応できないということか。この少年院を出た者は、再犯率が5パーセント未満なのだそうだ。けっこうなことで、場合によっては、こういう更生プログラムにも効果があるのだろうが、ことさらに、こういう場所を紹介報道するのは、学校崩壊の時代への一服の清涼剤のつもりなのか、どうかしらぬが、なんだか"父の復権"的プログラムの例を見せられたようで、いろんな意味でオメデタすぎる報道のような気がした。

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#2000.9/17   映画館のおもひで

 いいかげんサボリすぎたせいか、話題のおめぐみをされてしまった気分である(「モリオカ日記」#2000/09/17)。オリンピックも語るほどの感慨もないし、どうすべぇと思っていたところだ。
 最低何人の映画館で見たことがあるか、であるか。かつてあった、仙台の名画座で、(モリオカくんが大学に入った頃にはつぶれていたか)、2・3人くらいのことがあったかなぁ。平日の昼間なぞは、少ないことの方が多かったと記憶する。駅裏の映画館(なんて名か忘れた)は、まだ残ってんのか。逆に、仙台で観た映画で、一番混んでたのに行きあったのは、「男はつらいよ」をクリスマス・イブに見に行ったときだったかと思う。老若男女こぞって見にくるからだろうか。立ち見こそいなかったが、ほぼ満席だったのは、その時だけだと記憶する。
 大塚英志と言えば、連合赤軍事件の永田洋子論が面白かった。永田洋子が、獄中で書いている絵が、少女漫画風の絵であることから、サブカルチャーと連合赤軍事件を関連させて論じていた。(『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』文芸春秋 1996.12)

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#2000.9/13   「うずまき――ARCHIVES――」

 しばらく日記を休んでおりましたが、それにはわけがあります。
 本業はもとよりのことながら、「日記」を記す時間を、このWEB版「うずまき」に先立つ、冊子版「サロン」「うずまき」「カモノハシ」の一部をアップする作業にいそしんでおりました。瀕死の書院から、ファイルを救出し、掲載する作業です。とりあえず、わたしの書いたものから読めるようにしてみました。自分でも、「こりゃ、どうかな」と思われる部分、当時の状況も反映されておりますが、まぁ、そこそこ読めるだろうと思われるものから、アップしてあります。
 わたしのいた研究室は、学部生から大学院生までが、講義や演習はもとより、小さな研究会まで、交じって行われる環境で、先生から直接指導を受けることは、むしろ少なく、もっぱら先輩(院生)から多くを学ぶ環境にありました。よその話を聞くと、こういう環境は、めずらしくもあるようですね。わたしも随分先輩にはお世話になりました。

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#2000.9/8   ケータイの会話モード

 ケータイにはめったに電話はかかってこないと書いたせいではないだろうが、一日に2件、変な電話がかかってきた。一つは、遠くに住む友人で、普段電話がかかってくることはない。出ると、つながっているのに返事がない。誤ってつながってしまったのでもあろうか。前にも、そういうことが一度あった。
 もう一つは、セールスの電話である。だいたい私は知人以外に、ほとんど番号を教えていないはずなので、なんでこんな電話がかかってくるのか、かなり不信である。こちらの名前もわかってかけている。「今、お電話大丈夫でしょうか。」からはじまり、話しぶりは丁寧である。しかし、何者か名乗らないので、「どちら様でしょうか」と尋ねたところ、何々と、どうやら株に関する勧誘のようであった。「興味がないのですが」と言ったとたんに、何も言わずに電話が切れた。この手の電話は、自宅にもしばしばかかってくるが、聞いたところによると、しばらく向こうの話をきいたあとに、「今は考えていない」というようなことを答えたら、「その気がないなら、話を聞いてるな!」と逆切れされるケースもあるそうだ。私は、切れた電話をそれほど不信でもなく受けとめたのだが、こう受けとめられてしまうのも、相手と金輪際かかわりがないだろうとの安心感による。
 こうした、突然の丁寧な会話モードから、アカの他人のつっけんどんモードへの急変というような"キレる"事態は、勧誘電話のようなアカの他人同士の、1回的"今・ここ"でのみの関係が常態化して一般化しているせいでもあろう。電話を介して緩やかに連続していた関係から、突然のモードの切り替えによって、相手のタシャ性が露呈することの常態化である。会話のモードが、相手との関係の反映ではなく、モードが相手との関係を規定しているのであるし、モードそのものは交換可能な手段のようなものとして自覚されているわけである。そして、こういうことが、それほど不可解でもなく了解されてしまうのは、キレること一般の常態化が、電話が突然切れたり、パソコンが突然フリーズしたり壊れたり、簡単にリセットできたりする、諸々の生活世界の基盤変化に根付いていることを直観しているからでもあるんだろう。突然のタシャ(性)の出現そのものが組み込まれた、会話なり応接の様式が生まれてくるに違いない。

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#2000.9/6   私の「他者」体験

 公共空間におけるケータイの使用の不快は、不可視の他者の闖入によって隣人の他者性が露呈され、空間の緩やかな結合が無視されたかの如く感じられることにある(「モリオカ日記」#2000/09/06)とのことだが、ナルホド、それを読んで思い出した鮮烈な「他者」体験がある。「他者」とは、「商品の買い手であっても、外国人であっても、子供であっても、動物であってもよい。要は、われわれを理解しない他者の極限を想定すればよいのだ」(柄谷行人『探求I』)とすれば、私の場合は、「動物」の闖入によって教室の「緩やかな結合が無視された」体験だ。
 それは、東北ののどかな盆地にある○○高専でバイトしていた時のことだ。教室にいくと学生が、なにやら廊下に集まっている。見ると一人の学生が、小さな猫を抱いている。大きな犬には相性のよくない私も、子猫は愛らしい。そう思って少し話をしていると、あろうことか、学生は「教室に入れていいですか」と言う。不意をつかれた私は、「そこの窓から放り出しなさい!」(その教室は1階であった)とも言いかねて、言葉に詰まった次の瞬間、ついうっかり、「かまうんじゃないよ」と言って授業をはじめてみたものだ。
 学生は、約束通り、出来る限り猫を無視するようにつとめている。むしろ、ふだん集中しようともしない学生が、集中しようと努力する姿勢すらあったほどなのだが、ふと見ると、一番後の学生が教科書を読んで俯いているその肩の上に乗っている。黒板に書いている私の足元をなにやら柔らかいものが触れる。ちょっと蹴るとミャーと鳴いて、ちょろちょろと教室を徘徊する。その時の感じは、なんと言ったらいいだろう、そっちに気をとられながら、こっちの教科書を読む、世界を二重に体験しているが如き、夢うつつの気分で、授業になったものじゃない。ちなみに、そのとき読んでいたのは『こころ』で、先生やらKの他者性をはるかにしのぐリアリティをもって、他者体験をしていた。私語する学生はもとより、教室を徘徊する学生、廊下で雄叫びをあげた学生などとも出くわしたことがあるが、このときの他者の闖入が、もっとも鮮烈であった。「教える」立場の弱さと無力をしみじみ実感したものである。
 しかし、この体験が、そっちとこっちの引き裂かれ的体験だったとすれば、「気にしてくれ、だが気にするな」的ダブル・バインドゆえのケータイの不快なるものとは、いささか質が違うだろうね。

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#2000.9/4   TV番組の音楽

 モリオカくんの題名を付ける案(「モリオカ日記」#2000/09/03)に賛成して、私も今月からつけてみよう。(そういえば、いつのまにか、ブックマーク name をつけてくれなくなっちゃったねぇ、モリオカ)。

 最近NHKで、「NHKアーカイブ」なる番組をやっている。数十年前の番組を放送する番組である。昨晩は、「10年の軌跡〜安保から安保へ〜」(1970)であった。
 映像はカラーで鮮明度はちがっても、ほぼ違和感なく見ることができるが、気になるのはバック・ミュージックである。なんとも白黒時代の黒澤映画を髣髴とさせるような、オドロオドロしいといったらいいのか、尺八をつかってるのか知らぬが和風のといってみたくなる風のものなのだが、今ではこういう音楽はまず使わないに違いあるまい。そういえば、1970年代くらいのドラマにも、この手の音楽が使われていたように思う。映像よりも音声の方が、いち早く時代の感性を敏感に反映するということなのだろうか。

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#2000.9/2   ケータイで〈世界〉をデザインする

 「2000年夏 ケータイ事情 読者の反響」なる記事があった(「毎日新聞」#2000.9/2)。11件くらいの投稿記事のうち5件くらいはメールに関する内容だから、今や「ケータイ」は「携帯電話」と呼ぶのがふさわしくなくなってきつつあるのだろう。
 かくいう私は、数年前まで「携帯電話など持ち歩くと、メンドーなばっかりじゃねぇか。留守番電話でたくさんだ」などと言っていたものだ。しかし、仕事に就いて、初めてパソコンをいじり、メールを使うようになると、知り合いのいない環境に投げ出されたことも要因の一つだが、遠方と連絡をとるために、実に便利だと実感。いつの間にやら、携帯電話も持っている。電話は、あまりかけないし、かかってもこず、変なときにかかってきてもめんどーだと今でも思うが、しかし、Eメールの着信チェックが誘い水で持つようになってしまった。

 先日、友人と話をしていたら、ノート・パソコンもあり、インターネットもできる環境にあっても、接続が面倒だし出歩いていることも多いから、携帯を持つようになったら、もっぱらケータイですませていると言っていた。ちょっとしたメールを出すために、いちいちパソコンを起動するのは、電話の気軽さにくらべてやはり格段にめんどーだろう。ただ、その友人は、牛と鶏の鳴き声で目ざめる、のどかな環境にいるために、ケータイのアンテナがちゃんとたっているのかどうかが疑わしく、人ごとながら心配ではある。

 ところで、くだんの「反響」記事だが、娘のケータイに援助交際の申し込みメールを発見して二つに折って捨てたとか、いらぬ勧誘電話やメールにどうフィルターをかけるか、ペースメーカーを装着している人の対応策、 人と話しているときにメールのチェックをするのは無礼だなど、あらゆる他人との関係の可能性からどう身を避け自分にとって必要で気持のイイ環境にするか、親しい人や家族との関係の構築と更新のための活用など、自分の〈世界〉をどうデザインするかが、焦点になっているようだ。

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YAMAZAKI Yoshimitsu
e-mail:yyamazaki@eastmail.com