2000.10の「ヤマザキ3行日記」

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#2000.10/30   読書録に記事をアップ

 柳瀬さんに言われて、面白そうなので、村上龍『共生虫』を読んでみた。題をみて、なんだ、『寄生獣』じゃないかと思った人も多いはずで、私もその一人なのだが、他者を抱えた実存という形象は、「ジキル博士とハイド氏」からもろもろのドッペルゲンガーを経て、「山月記」などなど、マンガだったら、デビル・マンから寄生獣まで、もろもろのヴァリエーションの系列に思いをいたすことができるだろう。SF映画だったら、ブレードランナーなんかを想起してみてもよいかもしれない。
 うまいまとめ方が思いつかないけれども、そうした型の延長線上で理解してみても、しかし、面白くない。とりあえず、読書録に書いてみたけども、まだ、いまいちだ。
 村上春樹『ねじ巻鳥クロニクル』とも〈穴〉のモチーフにおいて近接した点もあるのだが、決定的に対照的であることなども、指摘されてしかるべきであるだろう。

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#2000.10/26   こんなおばちゃんもいる

 お、モリオカ、日記の装い変えて、どこで見つけてきたんだそのスタイルは。
 ところで、「HTMLの論理構造をそうは分からずもこうしてHPをつくっている私自身、或いは、どのような経路で配信されるかを分からずに作業手順のみを知ってメールを使う多くの人たち」は、「そのおばちゃんと、ある意味では全く変わるところがないのではなかろうか」「モリオカ日記」#2000/10/26)とのことだが、そうそう、ある意味では、そんなふうに言ってみることもできる。実際、こんなおばちゃんもいる。
 『共生虫』を読んでたら、「防空壕」をネット検索する場面が出てきたので、試しに私も検索にかけてみたらひっかかってきたページなのだが、これがなんだか面白くて読めてしまった。沖縄の離島にあった、自分の父親の勤務していた癩収容所のことなども書いていて、これが非常に興味深かったのだが、今は、それはさておき、このおばちゃんなんかと、私らのやっていることに変わりはない。しかも、この薬剤師のおばちゃんは、夕飯の食材を山ほど昼に買っておいて、仕事が終ると、それをよっこらしょとかついでバスに乗って家路につくのだそうだ。

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#2000.10/24   買い物袋をさげたおばちゃんについて

 だんだんと、書く間隔が間遠になってきてしまった。

 昨日、バスに乗っていたら、バス停でとまって動き始めたところで、おばちゃんが、(もうすぐおばあちゃんと呼ばれてしかるべき風情のおばちゃんが)、おもむろに立ち上がって前の方に出ていった。次の停留所でおりるのであろうが、出遅れないようにあらかじめ前に出ているわけである。茶色いズボンに、前掛け垂れて、長靴をはいている(その日の日中は雨だった)。買い物袋を両腕にぶらさげており、なかにやきそばの袋や、野菜や、その他食材が入って袋は満杯である。そんなものが、冷蔵庫につねに入っているのだろう。テレビをみながらお茶のんで、それ以外の時間は家事でいそがしそうな、そんな空想をさそう風情である。
 こういう年代のおばちゃん(おばあちゃん)とは、私は縁遠い。しかし、なんだか、懐かしいような気がしたものだ。しかし、考えてみると、こういうおばちゃんは、もうちょっとするといなくなるのだろうか、という思いにとらわれた。それが寂しいことだというよりも、ああ、こういうのも一時代のスタイルなんだよなぁ、と思いながらみていたのだが、そういう回転もずいぶんはやくなってきているのだろう。
 ラジオ、テレビ時代以降、ことのほか「外気」にさらされないで生活することはできなくなっている。今は、はやITの時代への移行だ。しかし、あのおばちゃんはキーボードには触れずに全うするのだろうか。

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#2000.10/15   

 「「天災」がヤマザキさんの後を追うというのは、遂に「天災」=奇跡的・特権的な他者に出会うことがかなわぬ、という戦後文学の1テーゼに似通いますな」(「モリオカ日記」2000/10/15)か。フフ。またぞろ、家の前にタシャからクソの贈与などされたりせんように、気をつけたまえよ、モリオカ。失敬。
 ところで、タシャなのかどうかわからんが、雑誌「is」(ポーラ文化研究所)の特集が「ニッポン研究」である。(この雑誌はあまり書店においてないようですな)。日本語を母語としない外国人研究者らの日本文化研究の特集だ。「日本人はなぜ電車の中で眠るのか」は、日本人の居眠り癖についての人類学的考察。「温泉文化の発見」は、明治に日本を訪れた外国人が、日本の温泉文化にどう接したかについて論じたもの。その他、川端や漱石についての論じたものもある。なんだか、読んで楽しいと思えるのは、普段あまり気にもとめずにいる些細なことがらを、事改めて外からの視点から示されることの新鮮さのようなものがあるからなのだろうか。
 後の方には、「アンケート」もついていて、各論の執筆者に、日本文化との出会いについて答えてもらった小文も載っている。口をそろえたように、みなさん、「偶然に」日本に興味を持つようになったと語っている。ニッポン研究のある種の新鮮さは、こうした偶有的な観点があるからなのでもあろうか。

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#2000.10/13   凶兆

 いやぁ、長いことさぼってしまった。何か書かねば。
 洞爺湖の噴火、三宅島の噴火から、鳥取・島根の地震、桜島の噴火と天災が続いている。米子と松江は一昨年の夏に旅行した。桜島は、大学3年のときに行った。そう思ってみると、私が旅行にいったあとに、どうも災害に見舞われるところが多いことに思い当たる。
 かつての島原雲仙の噴火のときは、その2年前くらいに行っていた。山口県のサビエル堂の全焼のときには1年前くらい。鳴子温泉の地震で地割れしたときには、その前日に通っていた。各地点々とであるが、なにやらまがまがしいこった。
 仙台なんか、長いこといたから、何が起こるか想像もつかんなぁ。

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#2000.10/06   お祭りの消失

 モリオカくんのふり(「モリオカ日記」#2000/10/06)に答えて、まだ全部は眼を通してないけども、『三島由紀夫vs東大全共闘 1969-2000』(藤原書店)にちょっとだけ触れると、60年代後半の雰囲気――当時の模様という意味でもあるけども、いまから見直した意味づけも含めて――が、けっこう多角的に話題にあげられていて、おもしろい。当時の話題として語られているのは、ちょうど私なんかの生まれる前のことになる。読むと、世代的なギャップ、雰囲気の違いがハッキリとあるわけだが、その違いがヘェーそうだったんだぁってなもんで、おもしろい。
 私が住んでいた学寮には、学生運動時代の残りカスみたいなものがまだあって、月一回行われた寮生大会なんかでは、世界情勢からはじまって寮問題に帰着する延々として退屈なレジュメが配られていて、(形骸化していて、前のレジュメのやきなおしにすぎないものだった)とうてい真面目に応接する気持にはなれなかった。でも、寮にいたときは、ちょうど昭和が終わるときだったせいもあるだろうが、中核派の活動家もいたから、機動隊がきたりもあって、なんだかワクワクしたものだ。寮には、ストーム(真夜中に酒を飲ませて回る)なんて古い習慣があって、はじめは来るとイヤだったけども、そのうち開き直って、1年後には自分が回っていた。私よりも4つくらい上の世代には、まだ、三里塚参りみたいなのもあったらしい。入学式もまだ復活していなかったから、寮の目の前にある農学部が独自にやっていた入学式に反対するために、出かけていく寮生もいたことはいた。大学の学食にいっても、ビラでテーブルが埋まっていたし、休み時間にアジをやってるのがいたし、講義棟の廊下を隊伍を組んでシュプレヒ・コールあげたりも、まれにやっていたけども、アナクロな感じにしか思えなかった。だけども、お祭り気分の何かとしては、そういうのもあってもいいかと思っていた。大学のバリストもだけど、一般にストなんか、もうないよなぁ。それは、お祭りの消失なんだろうな。
 件の書を読むと、啄木風に「何かおもしろいことはないか」とつぶやくのも含めてロマン主義的なものと言ってしまえば、すくなくとも60年代以降の学生運動が「近代の超克」云々にかかわるのは安保反対といったような大状況的な何かとの関連であるよりも、基本的には、すでにある枠組みやら「時代閉塞」的な状況への異和の表明であったことがわかるし、そういう次元で「ロマン主義的なもの」とのかかわりもあるといえばあるだろう。

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#2000.10/04   郊外の憂鬱

 今日もニュースで、東京、西武線拝島駅で、出所したばかりの50代男が、高校生を刺したという報道をしていた。こういう事件は、近頃多いような気がして(実際の所はどうなのかわからないけども)、またかと思う。
 拝島駅は、JR青梅線とかJR五日市線の乗換駅だったと思うが、高校の時に山登りの遠足のために行ったことがある。東京のはずれだ。友人宅に行ったときにも、真夏の人の少ない拝島駅にいた記憶がある。もうちょっと行くと、あきるの市になっているあたりになるが、三宅島の高校生らが避難した秋川高校というのは、このあたりだ。宮崎勤が住んでいたのも旧秋川市(現あきるの市)。福生には、米軍基地もあって、化け物みたいなドデカイ飛行機が飛んでいた。
 のどかなところであるが、今どきは、佐賀でも一家殺人事件やら、バスの乗っ取りやら、事件がたえないし、広島ののどかな田舎の中学校が学校崩壊で大変だとかが報道されており、中心地よりも、いわゆる〈郊外〉化した(「読書録」No.1)のどかな地域の方が、社会的ひずみに対する弾力にかけるのだろうか。もはや、「郊外」という呼び方ではくくれないほど、あらゆる場所が〈郊外〉化していると言っていいのだろう。

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by YAMAZAKI Yoshimitsu
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