#2002.08/23
韓国で
21日に韓国から帰った。
韓国は予想以上に、街の様子が日本に似ており、大きな違和感というか、「外国」へ来たというほどの強い印象は、その外観からは受けなかった。
しかしながら、文字がまったく読めない世界という点では、たいへん新鮮な体験であった。
プサン(釜山)から入って、汽車でテジョン(大田)。汽車は河の横を走っていたのだが、やけに川幅が広くて大きな河だと思ってみていたら、かなり増水していたらしく、ビニールハウスが潅水していた。あとで聞いたところでは、ヨーロッパでの洪水のニュースもあったが、韓国でもかなり雨が続いたらしい。日本のように堤防をがっちりつくっている様子はなく、考えてみれば、河原にビニールハウスのある風景というのは、日本ではあまりみかけない。
テジョンで3泊。汽車でソウルに行って市内を観光しながら3泊した。6泊7日の旅であった。
テジョンでの研究会は、さまざま問題はありながらも、盛会だった。たいへん多くの韓国の方々にお世話になった。
12時間かけて、夜10時過ぎにテジョンへ着いた晩から二日連続で3時過ぎまで飲んでいたため、3日目はとうとう発熱して悪寒で目を覚ますなどのハプニングもあった。(一緒に行っていた皆々のなかには3日連続で3時4時まで飲んでて元気なのもいたようであるが)。熱も翌朝には下がり元気になっていたので助かった。薬は必携である。
滞在中、動けないほどではないが、腹の調子がよくなかったため、トイレにはあちこちで何度も入った。みな洋式なのだが、中の構造が日本ではみかけない凝った形の便器もあったりした。手洗い場にあった石けんは、棒の先に固形石けんがささっているようなものを何カ所かで使ったが、あれはあれでけっこう使いやすいものだった。話のついでに書いておくが、韓国の汽車(行きに乗ったのはムグンファ号)にはトイレがあるのだが、入室すると、あるいは出ると、客室の壁にあるマークが点灯する(新幹線なんかにもついているあれ)。だが、そのマークが洋式便器の形をしたマークであったのは印象的であった。しかも、どうやら扉の開け閉めに反応しているようで、ぱっとついたかと思うとすぐ消える。使用中なのかどうかは、客室にいては結局わからないのである。
書き始めるとあれこれつきないので、今日はこのへんでやめにしておくが、帰り着いて空港の出口にきたとき、まず感じたのは、「読める文字」が洪水のように目に飛び込んできたことである。夜に帰ったので、すぐにラーメン屋で食事をしたが、「いらっしゃいませ」が「アニョハセヨ」に聞こえ、思わず片言の韓国語で「メッチュジュセヨ」と言いそうになった。
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