#2002.05/12
組織論の現在
阪神の負ける試合を見ていた流れで、たまたまNHKスペシャル「情報革命が組織を変える 〜崩れゆくピラミッド組織〜」(5月12日(日)総合 午後9時〜9時50分)を見た。途中から見ただけなのだが、中央集権システムから、リゾーム組織へといった、それ自体驚くべき発想とも思われない発想なのだが、しかし、実際問題として、軍隊から企業の組織形態へまで波及しつつある組織論として考えると、考えさせられるものがあった。
今までの中央集権システムの三角形を、これからは逆三角形として、組織の末端の人間こそが先端の組織運営者なのだという、フォードの組織改革をプレゼンしたシーンは、20世紀を席巻したフォード・システムの創始企業のシーンであるだけに、わかりやすいイメージを提示したということなのだろう。
たとえば、世界的な企業で、社のネットワーク上のフォーラム(掲示板)で交わされた会話から、新しい開発が生まれるといったオメデタイ例が紹介されたりもしたが、しかし、こういう事例は、実は組織論とは別次元の問題なのではないかと思わされる。
たとえば、そういうフォーラムが社内で設けられていたとして、そういうところで提案された事案が、組織の動静にどのように吸い上げられるかこそが組織として問われる問題である。
そういう点については、ほとんど問題にされていない番組であった。
掲示板の「おしゃべり」が、どう組織を動かす動力たる「意見」にまで練り上げられるかこそが、困難な問題であるはずだろう。すなわち、雑多に語られるおしゃべりを、どう集約していくかという点。
番組の中で、指揮者のいない管弦楽団も登場した。コンサートマスターにも、演奏上の意見をするシーンが出てきたりしたが、それはせいぜい、そのコン・マスの奏法について意見しているにすぎないシーンであった。問題なのは、むしろ、そうして出てくる雑多な発言を、どう集約していくかということではないのか? 単純な話、同じ人物に対して正反対の発言をするものが出てきた時に、それらをどう集約していくかという問題。
そういう意見の集約をどう組織化していくかという問題なしには、新しい組織論など成り立たない。
とりあえず、この番組に欠けていたのはそういう問題であったように思われる。
トップダウン方式では多くの情報を操作しえないということが、リゾーム式の組織への変革を促しているというようなこと自体を事改めて語ることには、意味がない。雑多な情報を、その雑多さを許容するがゆえの活力を活性化させつつ、集約していく方法こそが問題なのだと、改めて考えさせられた。
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