#2001.10/14
「尊皇攘夷」
奥泉光『坊ちゃん忍者幕末見聞録』(中央公論新社2001.10.10)が出版されているのを、たまたま行った梅田のジュンク堂で見つけて買った。これもたまたまであるがサイン本だった。『グランド・ミステリー』も京都の(今はなき)本屋でたまたま見つけて買ったらサイン本だったから2冊目である。作家のサイン本を別段欲しくて買いに行くわけではないのだが、奥泉光のサイン本とは縁がある。(というか、他の作家のサイン本は持っていない)。
読んでいる最中なのだが、お話そのものとしては、「坊ちゃん」的文体(あくまで「的」)を採用した、例によって饒舌な語り口で、幕末(文久三年)に東北の田舎侍が京に出ての見聞録といったストーリーである。幕末の武士であるから、「尊皇攘夷」が話題となる。
中学生の頃にずいぶんと幕末物の歴史小説を読んだものだった。が、その当時、なぜ「尊皇攘夷」が「開国」路線にかわっていったのかについて、単純に「攘夷」が不可能だから「開国」路線に切り替わったのだという程度の理解しかできず、今ひとつ腑に落ちないものが残っていたものだった。
「そんのーじょうい」などという言葉は、歴史上の言葉にすぎず死語のようにも思えるが、そもそも「攘夷」は欧米の植民地主義に対抗する必要からであるのだし、「尊皇」は対内的に従来の「将軍」を超越するための理念的統合点として呼び出されていたと考えれば、なるほど、「尊皇攘夷」が「尊皇開国」に展開したのも、対内外にむけた近代国家としての自律の運動であったわけだ。思えば、つい近年でも、地方都市などで「外国人」お断りの店が続出していたなどというニュースがあって、独自に「攘夷」運動をしていたことを思えば、言葉は失われても、社会的な枠組みにおいては変わらないシステムがはたらいていた(る)といえる。戦後は、「尊皇」を形式化して実質を低減したといえるが、失われたわけではなく、日本という国家システムの大枠は維持されており、統合点は国旗だのの形で日本のみならず、近代国家の枠組みに必須である。逆に言えば、統合点さえあれば、国家に拮抗する統合が可能だったりする。
今は「尊皇」なしに「開国」は可能かが問われているのか。あるいは、そうではなくて、それぞれの「尊皇」を抱えこみながら、いかに「開国」できるかが問われているということになるか。

|