2001.06の「ヤマザキ3行日記」

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#2001.06/30    梅雨の頃

 よく考えてみると、今年は雨が降るという予報がでているのに降らなかったという日が多いようで、あるいは、私が外を歩く時間帯には降っていないせいかもしれないが、梅雨のわりには雨が少ないような気がする。
 いつの間にか、蛙も鳴かなくなっている。今のところに住んでから、さすがに住宅がところ狭しと建っているせいか、道ばたに石かとぞ見るシルエットが、いきなり跳ね上がるという場面に出くわすことがない。仙台に住んでいたときは、暗くなってから帰ってきたら、玄関先にちょこなんといて、必死に跳びあがろうとしながらも、ぬれたコンクリートのために滑って進まないケロケロに出くわしたことがあるくらいだ。
 そういえば、ゴキがでてこないかわりに、ナメクジが畳を這っていたなんてこともあったなぁ。
 もう7月だ。


#2001.06/24    都議選

 都議選の報道が流れている。
 東京都の自治体レベルでの問題は、まったく問題とされておらず、報道にでてくる党の代表も国会議員がほとんどで、あくまで参議院選の前哨戦という報道もどうかと思う。
 なんだか、与党の中からスケープゴートの内閣ができて、あれこれ批判が出されながらも与党が安定勢力を形成することで、改革が進められることになるという構図。
 新進党ができた頃は、古典的な左右対立という構図をひきついでいたけれども、今の場合は、与党を母胎にしつつ内閣自体は野党寄りという構図で、古典的な与野党対決という構えを堅持しようとする自由党の旗色が悪く、後押ししますよとほのめかす民主党は古典的構図から新しい構図に乗っかるところの境界にいるような感じではないだろうか。
 改革はある意味実際問題としてにっちもさっちもいかないところまできていて、強力な批判的推進力(安定勢力)が必要だという状況認識ができているということだろう。



 「NHKアーカイブス」が同じ枠で再放送して、どうすんだよぉ。
 それにしても、棟方志功のハスキーボイス&語り口は、「芸術家」からはほど遠く、すごい。


#2001.06/20    ブロードバンド

 YahooがADSLサービスを開始してたった一日でNTTの契約者数を超る勢いというニュースが流れている。回線は太く、料金もえらく安い。パソコン本体のスピードアップの勢いに続いて回線スピードも速くて当たり前になる。ISDNを使っている立場としては、ちょっと悔しい。
 最近、ウィルス対策ソフトのパターンファイルの更新もえらく速くなっているような気がするのだが、気のせいだろうか。少し前までは、調べると「更新ファイルはありません」などと返ってくることがけっこうあったように思うのだが、最近は自動で更新状況を調べるソフトではしょっちゅう更新ファイルがあると言ってくるし、手動で調べてもたいがい更新される。
 これは、出回っているウィルスの量が増えているということなのだろうか、それともウィルスの存在がきめ細かく調べ上げられ、こまめな更新がなされるようになったということなのだろうか。
 近頃は、あまり一般のニュースでウィルス情報が流れてくるのをみかけないけれども、増えているように予想はされるが、どうなってるのだろうか。回線が太くなって、常時接続の率が上がれば、同時にウィルスをはじめいろんな事件も増えてくるのだろう。


#2001.06/17    身体的リアリティの行方

 池田の小学校の事件の波紋は、かなりの広がりをみせている。今日も、見ていたテレビで、突然子を失った親を取材した報道とともに、行政・政府の対応が報じられていた。

 開かれた学校を推進していたなかでの凶悪犯罪の発生(および類似事件の多発)によって、学校の危機管理(監視・閉鎖の強化)の問題、精神病患者の犯罪に対する司法上の扱いの問題などである。
 オウムのときでもそうであったが、実際に起きた事件に対する対応の問題よりも、それによって新たに作られる法律や規制の方が問題だったりはしないのだろうか。
 たしかに世の中物騒である。20〜30年前と比べてもだいぶ違うだろう。私の小学校時代とくらべても違うに違いない。
 私の通っていた小学校も中学校も門が閉鎖されるどころか、四六時中グラウンドには入れる状態であった。放課後や日曜日には、学校のグラウンドで野球をしていたりしたものである。あるいは、学校のグラウンドを横切って近道していた。よその場所に住むようになって、そういう小中学校が少ないことを知って、どこで遊んでいるのだろうかと、むしろ驚いたくらいである。こういう状況では、自生的な遊びもする場所がなくなる。野球をするにも、少年野球チームにでも入らないとできないということだろう。

 同じ局で続いて和歌山猿問題を報じていた。和歌山で、台湾ザルがニホンザルと混血して、純ニホンザルが激減しつつあるとのことである。この手の問題では、ブラックバスやブルーギルの問題がしばしば報じられているが、和歌山では、混血ザルを安楽死させるかどうかでもめているようなのだ。
 問題は複雑である。しかし、安楽死させることをめぐっての議論には袋小路があるようだ。
 私は、中学校のときに「解剖クラブ」という必修のクラブを選択していた。部活では野球をやっていたので、文化系のものにしようと考えて選んだのだったと思う。蛙、鶏、ネズミ、魚の解剖をやったと記憶する。鶏の解剖は鮮烈な体験だった。生きて動いて米粒などを食べていた鶏に麻酔をかける。続いて、羽をむしりとる。そして、尻の穴からはさみを入れて腹を割く。内蔵は、びっくりするほど鮮やかな青や赤だったと記憶する。情けない話だが、私は羽をむしるのがどうにもできなかったのである。
 私の母親は、戦時中に小学生だったのだが、鶏を絞めるのを見てから成人してしばらくするまで鶏肉を食べられなくなったと言っていた。首を刎ねたあとに鶏が走っていたのを見たのだそうだ。
 さかのぼって自分のことで思い出すと、私は蛇をつかめなくて、突きつけられて泣いて逃げまわった少年の頃の記憶、瓶にバッタを詰めてぎしぎしとつぶし、具合の悪くなるような思いをしたこと、捕まえたザリガニのしっぽを餌にして友釣りをしたことなど、生き物を殺すことの記憶は、かなり鮮烈に残っている。多くの人がどこかで経験していることだろう。
 こうしたことは、リアリティとしてその記憶を身体に刻むものではないのだろうか。
 もし、くだんの猿の"駆除"が必要なら、いっそのこと、捕まえて殺す経験をしてみてはどうかといったら問題だろうか。人の目にふれないところで生き物の死を排除するより、自分たちの生活空間自然環境の問題には、観念的に「死の問題」を議論するより、よほどいいように思われるところがある。
 おそらく私自身が猿を捕まえて殺せと言われたら、卒倒しかねないだろう。勘弁してくださいといいたくなる、いや言うに違いない。しかし、そうであるからこそ、必要なことのようにも思える。
 身体的リアリティの問題に還元して考えること自体が、ある意味短絡だともいえるところがあるから、強くは主張できないが、学校から暴力が排除される一方で、外部からの暴力が侵入することが度重なっているという事態を、社会現象的な傾向として考えると、いろいろな意味で囲い込まれている身体のさだめなさが行方しれずのまま突発しているように思えるところがあるがどうだろう。


#2001.06/15    PCの修理

 PCの修理をした。昨日、HDの調子がよくないことが前々から気になっていたので、これを交換した。回転数の速いものに変えたのだが、これは実に調子がよい。

 調子にのって、今日、キーボードも変えてみた。キーボードがでかくて邪魔だと思っている人はいませんか? 私もそうで、机の上がかなり占領される上にちょっとどかすのにも困る。これも前々から、テンキーのついていない小さなものにしてみたいと思っていたので、この機会に変えてみたわけなのである。
 ところが、これが災難のはじまりだった。  まず、PS/2のマウスが認識されない。
 おかしいと思って、古い方のPS/2のキーボードをさして再起動し、それからUSBのキーボードをさしてみたら、なんとか動いている。こまったもんだと思いながらも、とりあえず、邪魔ッけなでかいキーボードをどかして、さぁこれで快適になったぞと思って早速打ってみた。
 ところが、更に難問が発生している。どうもキーの位置がちがっているのである。ひらがなから、アルファベットに切り替えるのに、キー一つで変換されるはずなのが、反応しないのである。使えないわけではないのだが、不便きわまりないと思って、いろいろ試していると、「@」もでてこない。どこにいったかとあれこれ試し打ちしてみてもでてこないのである。ようやく、shift + 2 で入力できた。
 これでは快適になるはずが、使いにくくなったと思い、キーボードの配列を変更することはできないかとコントロールパネルを開いたり、ヘルプを参照したりしたのだが、わかったことは、どうも配列は決まっていて変更できないということなのだ!
 ここまでで、しばらく時間がかかった。
 この間に、もう一台のPCにつないで試してみていた。すると、なんの問題もなく動いているのである。
 これは、どういうわけか? と無い知恵をしぼってみたがだめなのである。ここで私はまず泣いた。

 ちょっとしたことで、にっちもさっちもいかないようなエラーがけっこうおこるものである。以前、私のところに、「アルファベットのキーを打つと数字がでてくるようになった、こまったこまった」と友人のT氏から電話がかかってきたことがある。その際私は答えることができなかったのだが、その後再び電話があってなおったとのことであったが、知らぬ間に変なキーを押してしまったためにおかしくなるなどということもしばしばである。
 こんな面倒な機械がそうそう誰にでも取り扱えるものだとは思えない。ビデオすらまともに使い方がわからないというおば(あ)ちゃんは、私の母親だけではないはずで、そういう極端な例を出さずとも、パソコンのエラーはかなり日常的なことだろう。

 試行錯誤の上、とりあえず、もとの状態にもどそうと思った私は、でかくて邪魔なキーボードをさして再起動してみたのである。ところがである。このキーボードの配列まで変わっているのである! 私は号泣した。この時点でかなりへこたれ、後悔の念がさしていた。

 ひとしきり泣いたのち、これまでにもずいぶんと泣かされる目にあってきた私は、冷静になって考えてみたものである。
 さして条件の違わない片方では動いていて、こっちでは動いていないというのはおかしい。こういうことは私にだけ起こっていることではあるまいと思って、HPを検索してみた。すると、ありました。くわしいことは、こちらあたりにゆずるとして、つまりは英語キーボードの配列に勝手に変わってしまうことがままあるようなのである。
 その後すぐにはうまくいかなかったのだが、どうにかこうにか無い知恵しぼってこまかな問題を解決し、ついに! 新しい、小さくてかわいいキーボードとPS/2のマウスの組み合わせで使えるようになった。
 正直、これはかなりウレシかった。一人ガッツポーズを決め、「何事も根気よく冷静につとめれば道はひらける」との金言が胸に去来したものである。

 この顛末を記して自らの備忘録とし、あわせて同じ悩みになやまされることのないよう、諸氏にお伝えする次第。


#2001.06/14    

 「読書録」にNo.14を書いた。
 数年前に出された本で、本棚で眠っていたものを引っ張り出して読んだのだが、自分が住んでいるせいもあろう、けっこうおもしろかった。私が住んでいるのは阪急文化圏ではないが、なるほど、そうした目で見ると京阪沿線もまた<郊外>の住宅地として発展してきたはずで、事実、香里園は、今では住宅地で、駅前にはスナックなどがたくさんあるようなところだが、もともと遊園地がつくられた(1910年頃)のが、人が集まらないので、住宅地になったのだそうだ。香里園には、戦後、千里ニュータウンよりも早く公団住宅が作られている。
 先日の池田の小学校の事件(6/8, 男が小学校に刃物をもって乱入し、小学生・教員を刺し、8名が死亡した)のあったあたりは、阪急沿線の<郊外>住宅地域である。
 関連書に、阪急文化圏の生んだ宝塚歌劇団を論じた、川崎賢子『宝塚 消費社会のスペクタクル』(講談社選書メチエ1999.1)がある。これもおもしろかった。しかし、私はまだ宝塚はみたことがない。


#2001.06/08    「現在小説のうず」開設

 あれよあれよという間に、「現在小説のうず」なるコーナーを新設。モリオカに一席ぶってもらった
 しばしば言われるように、「現在への批評的意義」を、文化史・文学史を語る際の立脚点に求めるならば、現在の小説をも論じられなけれなおかしいやんけぇ、というのがその趣旨である。
 「うずまく研究室」内に場所を設けようか、「うずまき」の中に設けようかと思っているうちに、その間に場所をつくってしまった。ちょっと失敗したなぁ。


#2001.06/05    日記の背景を変えました

 この日記の背景を変えました。
 「うずまき」の表紙にある月のウサギのロゴからもこちらに入ることができるようにしました。
 試してみてください。


#2001.06/04    インターネット空間の出現と社会の再編成

 「読書録」にNo.13を書いた。
 吉田純『インターネット空間の社会学』(世界思想社)を読んだのは、こうしてインターネット上にHPを開設して情報発信し、メールだのを使って人とやりとりしていることの素朴な感触を、社会との通路として考えてみるとどうなるかという疑問から発してのことで、この本の前には、花田達朗『メディアと公共圏のポリティクス』(東京大学出版会)を読んだ。

 見知らぬ他人のサイトなどをそれほどたくさん見て回るわけでもないが、ときどきおもしろいところに行き会ったりする。「役に立つ」サイトなどは、いったいどういう人が作っているサイトなのかもわからずにブックマークしていたり、私的なエッセイを読んでいたりするわけで、そういう見知らぬ他人の発信している情報に、インターネットによってお手軽にアクセスできるようになっている。そういうかたちで入手してしまっている情報は、いったい何事なのだろうか。
 他方で、このHP「うずまき」などを運営してみて、なるほど、「日記」と題したところには、気分的に気楽に書けているのに、「エッセイ」と題してみたり、「雑文」なり「読書録」なりと題してみたりすると、少し抵抗感があって、「ちゃんとしたことを書かないと恥ずかしい」ような気がしたりする。そうしているうちに、いつの間にか、「日記」と「掲示板」ばかりが更新され、メインの記事が何なのかわからなくなったりする。公開しているという点では、どちらも大した違いがあるわけではないのに、こうなるのはなぜかと思ったりする。
 先日、文学・思想懇話会の研究会を行ったが、それなども、インターネットがなければ、かなり継続は難しいのではないかと思われる。というのも、企画した人間は、仙台、千葉、大阪、大分などバラバラで、メールでもなければ相談事一つまともに成立しない。大きなイベント的研究会ででもなければ、わざわざ出かけていく気になどなかなかなるまいと思われる。もともとは、大学院生の勉強会レベルの(酒を飲む会に限りなく近かった)会である。この会で出した論文集も、まずは所属も近く生活圏も近かった、直接顔を見知った交友関係から出発してはいるが、次第にそうした交身体的圏域を離れて、なおかつ継続するのは、まずは学術システムに支えられてのことであるが、"システムによる生活世界の植民地化"という標語に即して言えば、そうしたシステムをよぎってのポスト・コロニアルな!(なんて言って適当なのかどうか知らぬが)活動ができている。

 あまりオメデタイことばかり言ってられないが、私のインターネットをはじめとする「公共圏」論への関心は、なにがしか制度(公的システム)にべったり依存しているでなく、かといって、私的なコミュニケーションに終始しているでもない、なにがしか"公共"的な空間、すなわち、ミクロな<世界>のデザインが"簡単に"可能になっている現状が、どういう更なる可能性をもちうるのだろうかという関心にもとづく。
 こうした議論は、もちろん、1970年前後を境にして盛んに議論されたポスト・モダンの議論の延長線上にあるもので、何もインターネット空間に限られた問題ではない。また、コミュニケーションによる公共圏の創出をとなえたハーバーマスは、厳しい批判にさらされていることも知らないではない。
 ともあれ、こうして私自身が自己反省的にものを考えている事自体が、インターネット空間のもたらす自己言及的な性質によるのでもあろう。


#2001.06/01    

 なんだか、よくわかっていないが、この日記に付けていた借り物のカウンタが突然つかえなくなった。しかたがないので、拾ってきたカウンタを自宅のサーバで動かしてみて、四苦八苦したうえで、ようやく動かせるようになった。やれやれ。

 考えてみると、HPも本格始動してからもう1年になっている。この日記を書き始めてからもあとひと月で1年だ。時の痕跡をとどめにくいこのサイバースペースに、時の堆積を残すには、書くことの蓄積によるほかない。

YAMAZAKI Yoshimitsu
E-mail:yymzk@fo.freeserve.ne.jp