#2001.04/23
『鳥類学者のファンタジア』
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』(集英社2001.04)を読んでいる。読んでる途中だが、ちょっくら書いてしまおう。
この人の小説は、饒舌さが特徴で、おしゃべりの強度によって過去と現在を往還し、夢と現実が交差する世界をひらいていくところが読みどころであるが、『「吾輩は猫である」殺人事件』から殊の外饒舌に拍車がかかっている。これまでの作品では多様な文体を駆使するところがよかったのだが、どうも今回の作品は、私語り(といっても、語る私が語られる私を「フォギー」と三人称で呼びながら物語られる点は変わっている)であるせいもあろうが、やや単調さを感じる。語り手であり主人公である「私」はジャズ・ピアニストの女性だが、1944年のベルリンで失踪した父方の祖母曾根崎霧子の事跡をたどって、1944年に迷い込んでいくファンタジックな物語である。
家系を遡るように記憶が掘り起こされていく物語は、『石の来歴』がそうであったし、奥泉以外にも、島田雅彦『彗星の住人』がやはり家系を遡る物語であった。今、家系を遡る記憶の物語がこうも書かれるのは、単純にいって、家系を遡ることで出会い開かれる〈世界〉が身近な異界として認識され、記憶こそが物語の母胎でもあるからか。

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