#2001.03/05
老年のすがすがしさについて
ふとテレビを見たら、夜中の民放で、「仙台銀座」が映っている。おお! 北仙台の仙台銀座じゃないかと思って見ると、雀荘でおばちゃんが打っている。どうもこのおばちゃんが主人公らしい。仕事もなく、友人宅に転がり込んで、仕事を探しているところだとナレーション。と、新宿に出てきたところが映り、何かと思えば熟年者のお見合いパーティーに出ているのである。50代、60代が多く男も女もそれぞれ80人も集まっての大パーティーなのである。しかし、件のおばちゃんは、68歳。残念ながらうまくゆかず。
話を聞いていると、どうやらこのおばちゃんはバツ3で、かつては銀座の高級クラブを経営していたようなのだ。何があったのやら、多情多恨の人生らしい。故郷の埼玉にある両親の墓を詣でてわびている。
仙台の工事現場で賄い婦の仕事を見つけて働き始めたところで番組はおわる。
なんだか、実にスガスガシイ顔したおばちゃんで、人を払う風情が感じられるから不思議だ。68歳にしては若々しいが、若さとしてよりも、落ち着いた活力のアウラが、見ていてすがすがしいのである。
とは言っても、このすがすがしさは、働けるだけの体あってのすがすがしさであるから、その意味では恵まれた老年であるのかもしれない。このおばちゃんだって、いつまでそうして働いていられるのかはわからない。世の中には、寝たきり・痴呆・病気持ちの老年を過ごしている人の割合も高いことだろう。
そうした割引もしたとして、でもこのすがすがしさは、シンプルなことにでも由来しているのだろうか。

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