2001.01の「ヤマザキ3行日記」

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#2001.01/31    

 雪印の大阪工場が閉鎖になるそうだ。
 しかし、事件当座は大阪工場の製品管理が杜撰だっただのなんだのと言われていたはずであるのに、報道によると「厚生省と大阪市の原因究明合同専門家会議は12月、「同工場は食中毒発生と因果関係はない」と結論づけたが、」(http://www.asahi.com/paper/osaka/)廃業になるのだそうだ。原因は北海道の工場ということなのだろう。しかし、これは、どう受け取ったらいいのだろうか。
 製品管理がずさんだった事実が、食中毒事件を契機に発覚したが、しかし、「同工場は食中毒発生と因果関係はない」ということだということになるようなのだが、とすると、なぜ閉鎖しなければならなくなったのか釈然としない。つまり、「汚い工場」というイメージが強烈に植え付けられてしまったために、もはやこの工場で製造しても売れなくなるための閉鎖ということか?


#2001.01/30    

 モリオカがいうように(「モリオカ日記」2001.1/29)、共同性をどう生成させるかという問題は、今後ますます切実な問題になるように思う。
 今の社会の異常なところは、学校を基本的な居場所として高校までを誰もがすごすために、勢いほとんど同世代としか付き合いのないままに、成人に達するという点であるように思われる。かくいう私自身もそういう環境で生活してきているが、しかし、世の中の誰もがそうなっているのは、ただごとではない。
 これも一種の「平等主義」で、「自由」を疎外しているということかもしれない。「近代人の疎外」生きるとは、言い換えればリスクも含めてあらゆる面で「自由」な社会を生きるということだろう。
 近頃では、大学の高校化がすすんでいると言われる。大学では、新入生がお友だちをつくれるよう様々な企画をたてるそうだ。希望で参加する企画なら、私のときにもあった。他方で、私が寮にいたとき「学寮問題」として語られていたのは、寮を個室にし集会場所をなくされることが、学生の連帯を分断する戦略だとの反発が一つの論点になっていた。それはそれで時代錯誤を感じたものだが、朝制服を着た学生に校門で声をかけることが、大学の先生の仕事だとかいう話にもたまげる。
 とりあえず、高校からは学年・学級制を一掃した方がいいのかもしれないな。

 モリオカに教えてもらったHPを見にいったら、内田隆三『探偵小説の社会学』(岩波書店)が出たとの情報が書き込まれていた。これは『iichiko』や『思想』に書いていたのをまとめたやつだろうな。ようやく本になったか。


#2001.01/17    大雪

 大阪では1ミリも雪は降っておらず、それでもたいがい寒いと思っていたけれども、なんだかずいぶん雪の降っているところもあるようだなぁ。


#2001.01/14    ドキュメンタリー

 橋爪紳也『日本の遊園地』(講談社現代新書)を読むと、船橋ヘルスセンターが昭和30年代をピークに昭和52年に閉鎖されたとある。ここは「八時だよ、全員集合」の会場となっていたところである。私の記憶によると、昭和52年以降も、部分的な施設は残っていたと思われる。プールに遊びにいったことがあるからである。家族連れで、風呂に入って、演芸場で楽しみ、遊園地であそぶ、総合的な遊楽の場だったらしい。そういうのが成功した時期は、実に短かったことがわかる。
 NHKアーカイブスで昭和40年代後半のドキュメンタリー番組をやっていた。船を盗んで沖の島に帰ろうとして捕まった少年を追跡して、なぜ船を盗んだのか、なぜ帰りたかったのかを問いかけた話。飯場の火災で名もない労務者が死に、その身元を調査する話。少年は、とにかく東京を離れたかったのだと語っていた。飯場の労務者は、東京大空襲で家族を失ったのち、結婚して子供も二人もっていたが、離婚していたことが突きとめられる。死の数ヶ月前まで子供とはあっていたのである。
 見ていて、松本清張の小説を想起させられた。こういう番組をつくるきっかけの一つに松本清張の小説があったと考えることもできる。家や故郷を喪失した都会に生きる名もない人に焦点をあてるという観点。
 四半世紀前とはこんなに昔のことなのかと思うくらい昔の話に思える。考えてみれば、昭和40年代後半というのは、連合赤軍事件なんかがおこっていた時代である。その昔と思える違いの差は、「生活臭」のようなものを感じる点でもあろうか。


#2001.01/13    本多秋五死去

 本多秋五が亡くなった。「近代文学」の同人で存命なのは小田切秀雄くらいになったか。


#2001.01/08   発話の場

 ここ数年毎年成人式で式辞を述べる大人が、集まった成人たちの私語の雑音に直面してキレたというニュースが流れるようになった。今年は、高知の橋本知事だそうだ。学校のなかで当たり前に起こっていることが、成人式の会場でも起こっているというにすぎない。自治体レベルで式典を行うことの無意味と不能を露呈しており、式典で訓辞を垂れる式のやり方ではなく、新しい別なやり方を考えている自治体も、実はたくさんあるのではないのだろうか。
 話を聞かない若者に怒るのも能のない話だが、そもそも成人式に来る方も来る方だ。私は行かなかったし、行こうとも考えなかったから、行く気になる人の気がしれない。別に強制されるものではないはずで、式典はつまらないと思ってはいても、そこに集まる人たちは、それなりに楽しんでいるということだろう。それにしても、因襲にぶらさがって放縦にふるまっているにすぎない。
 これとはまた全然違う話だが、昨年たまたまある研究会に出席した。それは、新しく立ち上げた研究会で、すでにあった研究会とテーマ的には近いのだが、新しい方針と方向性をもって立ち上げたらしかった。会の趣旨を説明するに、自由な意見表明と闊達な討議を云々と言っていたように記憶する。
 その会は、地方新聞にも記事が出たらしく、一般の来聴者もいた。発表があり、一般の人が質問に立った。ところが、「文学はいかに生くべきかを書くもので...」などとはじまったので、会場の多くが鼻白んでいたのだが、それに対して司会をしていた人が、「そういう話ならヨソにもっとふさわしいところがある」と応対していた。私は、その時、その司会の発言は、自由な意見の表明を封殺しており、会の趣旨たる自由であることに反しているのではなかろうかと、ふと思ったものだ。その一般の参加者は、何も大声を上げて場を乱していたわけではなく、話すべきときに、礼節をわきまえて発言していたのであって、なんら問題はなかったはずなのだが、しかし、会の暗黙の了解を踏み外していたと認識された発言であった限りで"雑音"として受けとめられたわけだろう。それに対して、この会は自由であることを趣旨とする云々と宣言した当の本人が自由な意見表明を封殺するような発言をしたのだから、責めはむしろ、応接した方にあったといわねばなるまい。いかに面倒で、鼻白むような発言であっても、あくまでその意見に対する反論をきちんと提示すべきであったはずである。そうでなければ、自由だの、他者がどうのと言わぬがよいのだ。
 発言者の立場と場の力学によって正論がスタティックに構成されるという構図――かつての"お偉いサンと民衆"、もうちょっと高尚な"知識人と大衆"みたいな構図――が効力を失ったのが20世紀であったならば、善くも悪しくも、21世紀は"雑音"の中でいかに人を惹きつけることのできるメロディー的な発話をするかが発話の効力を決めるほかなくなる、そういう傾向が一層強まることだろう。


#2001.01/04   終りなき日常の死と病

 「エコノミークラス症候群」という死亡例があるそうだ。航空機のエコノミークラスの狭い席に長時間乗っていて降りるときに死亡する例があるとのこと。中高年に多いようだ。水分不足と足の血の巡りが悪くなるのがよくないようで、長時間乗る場合には水分補給と足の体操はやった方がよいらしい。そんなことで死に到ることもあるのかとおどろいた。
 仕事に特有の病気というのもある。たとえば、モニタを毎日一日中見つめているせいでドライ・アイになるとか、ヒドイ場合には瞼に膿がたまってしまうなどという場合もあるようだ。私の実兄がそれで、大学卒業してからコンピュータ関係の仕事で働く猛烈サラリーマンなのだが、30歳を超えてから、瞼に膿がたまり手術していた。翌日猛烈な痛みにうなっている姿は実に痛々しいものであった。
 一日中坐って仕事をする場合、これは痔になる可能性など高くなることであろう。聞くところによると、一日中立っているのも痔になりやすいらしい。私は最近座っている時間が長く、これを心配している。モリオカ君の虫歯もきっと谷崎研究と深いかかわりがあるにちがいない。
 健康たらんとしてあくせくし、そのこと自体病的な"健康という病"もどうかと思うが、終りなき日常を快適に生きるには、適当に体を活性化しておく必要があるのだろう。三島じゃないが、30越えてからこそ、「太陽」と握手し、「鉄」と親しむべきか。


#2001.01/01   21世紀のはじめ

 あけました、おめでとうございます。
 旧年中は大変お世話になりました。はや、この日記も半年になります。
 本年も書き捨てますので、ヨロシクどーぞ。

 20世紀のはじめには、100年後の交通機関の発達が色々と予想されたとのこと。それによって、風景が誕生した。21世紀のはじめには、情報通信の発達があれこれと予想されていることでしょう。遠近感が失われるとともに、数瞬のめまいと心地よさの新しい美的スタイルが洗練されてあらゆる領域に浸透していくことでしょう。それは20世紀のはじめに前衛芸術が試みていたものが100年の単位で拡大していくことに近い事態でもあるだろうか。
 ディスクールの様式はどうなるのだろうか。短文主義がますます拍車をかけることだろう。じっと長時間小説を読むことは、"深さ"に向かって思考する様式を涵養したにちがいないとすれば、短文的スタイルの言葉が"つかみ"としての行為を触発する様式を生み出すにちがいない。「第二芸術」(桑原武夫)とさげすまれた俳句的短文は、広告コピーに変容し、WEBやメールの記述様式にも影響を与えているように、すでに広範なひろがりをもって定着しているが、この傾向はますます拍車をかけていくに違いない。もちろん、だからといって、俳句が国際化し変容をとげながら死滅していないように、小説も変容をとげながら生き残るだろう。
 ダメか。


y.yamazaki
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