2000.12の「ヤマザキ3行日記」

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#2000.12/30   2000年のおわりにあたり

 「キセイチュウ」とかしょーもない駄洒落とともに、私が村上龍をもちあげたことに対する予想通りのモリオカ的ツッコミに(「モリオカ日記」2000/12/30)接してメデタク今年も終わりそうだ。しかし、辻ひとなりと比べるのは、あまりにヒドイだろう。
 つらつらと20世紀の遺物埴谷雄高のエッセイなんぞも読むことがあるが、いわゆる獄中でのカント先験的弁証論との出会いを語るくだり(「あまりに近代文学的な」)などは、今こんなことを言い出す作家がいたらと考えることさえ許されなくなってしまったと、いろんな意味での時代の変化を思わざるをえない。ある本を読んでいたら序文で、「資本主義」という言葉はかつては一種の罵倒語であり悪人的犯罪的とのニュアンスさえあったが、今やスッカリそんなことがなくなっているという感慨が記されてあった。こういう感慨は、同じ時代をどういう場所でどう生きていたかによって違っているのだろうが、他方で「日本」は毀誉褒貶はあるものの未だにホットなニュアンスを持った(持たされた)まま20世紀は終わるようだ。21世紀の終わりには、ナショナル/インターナショナルの秩序はどうなっているのだろうか。そういえば、今の皇太子に男の子が産まれなかった場合には、次の次の天皇はどうなるのだろうか? 
 江国香織の東北新幹線の小説は、たまたま立ち読みして読んだ。しかし、いつもあんなに空いているわけじゃなかろう。仙台以北の四季折々に景色の変わるあたりが乗ってて俗物的感性にとってパノラマ的にいいのだけどなぁ。東北新幹線は、乗っていて、都会から田舎へという遠近感が残っているのに対して、東海道新幹線は、東京と名古屋・京都・大阪をむすんでいるからそういう遠近感を感じないんだろう。

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#2000.12/29   2000年回顧

 「今年のベスト&ワースト」をあげろあげろとうるさいモリオカ君(「モリオカ日記」2000/12/29)に、十分にこたえる準備はないが、いくらか返信。
 最初に、奥泉光の小説は「読売新聞」に連載中の『坊ちゃん忍者 幕末見聞録』のことではないのか? 私も本になるのをまっておるところじゃ。ちなみに、対談町田康&奥泉光(「すばる」20001.1)によると、その前に『フォギー 憧れの霧子』が刊行されるとのことである。この対談はお読みになられたであろうか。
 そこでは、町田康の小説が、語りそのものを露出させる手法であることにも言及されているが、「「書くことを巡る苛烈な自意識の」とかいう、ほとんど「葛西善蔵」モードの批評」なるものを誘発したのは彼の小説であったろう。
 宮台といえば、『リアル国家論』(教育史料出版会)の「共同体原理を脱し、共生原理を確立せよ」は痛快であった。「先生」たちの先生になって大活躍だが、これからもガンバッテ欲しい。ちなみに、ここに出された論文の冒頭は保田のイロニーを引き合いにしてましたね。
 「先生」といえば、教育番組で繰り言のようなトーク番組に出てじっと我慢していた村上龍『共生虫』をあげるか。時事と社会の空気に敏感たろうとしてケナサレテもめげない小説家は大江健三郎であったが、これからは村上龍であろうか。

 今日は年末の大掃除でもと、便所掃除も入念にとりおこなった。車道に面して建っており、下の焼鳥屋が年中黒煙を吹き上げているせいもあって、どこから入るのかしれぬ黒い灰がうっすらとたまってしまうのだ。こんなところに長いこと住んでいたら体を壊し長生きも望めないだろう。

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#2000.12/28   大地の子

 「大地の子」の再放送をやっていた。この感動的巨編の全編は以前に見ており、今回は全部見たわけではないが、最終回のクライマックスをみた。
 主人公と実の父は、紆余曲折のすえ仲良く長江を2泊3日で旅する。実の父とも和解した主人公は、寝物語に日本に帰ってこないかという実父の言葉に、枕を涙でぬらしながら「私にはわかりましぇん」としかいえない。しかし、翌日、雄大な長江の自然の風景を前に、その風景がまさしく自分を育ててくれた大地であり、「私自身だ」と思うにいたる。子は父に「私は大地の子です」と言うと、父はすべてを了解する。
 この船旅のシーンが、なにやら私には少々薄気味の悪い、居心地の悪いものに思えた。もとより、誰もが酒呑みであるわけでもないのだが、決定的なシーンが仲良く枕をならべての"寝物語(ピロートーク)"だからである。この人たちは、考えてみると一滴も酒を飲まない。これは、実に奇妙なことではないのだろうか。いやいや、それはそれで偏見なのだろう。ともあれ、それはさておき、このクライマックスには、つまり、"男の物語"であることが否応なしに前景化されているのである。
 このお話は、端的に言えば、故郷から遺棄された男の子が、'日本'と'中国'に引き裂かれて紆余曲折を経た末に、"大地"によって止揚される物語だといったらいいだろうか。このお話のダイナミクスは、Bildungsromanであることのうちにある。しかも、この主人公は、中国に渡った日本人=貴種が中国の繁栄に尽力するというマージナル・マンであり、しかも、最後には辺境の西蒙古に行くところでおわるのだが、とするとやはり、一種の貴種流離譚であるとも言えてしまいそうだ。
 感動巨編に類型ありの原則はここでも確証されてしまっているというべきなのか。いやいや、それとも見るべきは、巨編につきものの細部であったのだろうか。

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#2000.12/26   武田泰淳のすすめ

 樋口覚『富士曼陀羅』を読んでいる。この本は、三島『豊饒の海』と武田『富士』を並べ論じた書である。着想だけはわるくない。
 武田泰淳は、不当に忘れられた作家である。柄谷行人は、安吾論を書く以前の早い時期に、武田泰淳論を書いている。しかし、その後どういうわけか、安吾にいってしまった。そのことが、安吾人気に大いに影響しているだろう。しかし、安吾より今や武田泰淳を見直すべきであると、もう何年も前から私は人に言ってまわっている。
 三島の小説に出てくる主人公は、孤独であり、他者との対話や身体的葛藤をあまり描かない。しばしば、『鏡子の家』は失敗作だと評されたりするが、この小説に対する否定的な評価は、登場する4人の人物達がほとんどかかわわりあいをもたないことには起因するであろう。
 それに対して武田泰淳の小説に登場する人物達は、接触することによって葛藤する。日本の小説の中でもっともバフチン的ドストエフスキーの対話に親近した小説を書いている。もっともよく知られているであろう「ひかりごけ」は人肉食の話であるが、人間の肉を食べることは他者との接触=摂食であるといえるだろう。同じ地平にたつ人間同士が食べ-食べられる関係、終戦を挟んだ上海における日本人と中国人との関係、男と女、アイヌとアイヌ研究者(『森と湖のまつり』)、精神病者と精神科医師(『富士』)、『富士』の冒頭におけるリスと餌を与える人間との関係等々、同等の関係であるべきはずの者同士の差異を問題化する他者との対話を基調とした小説の数々。「全く世の中って、うっかりしてるあいだに、敵だの味方だのに、なったりならなかったりしてしまうもんですからね」(『風媒花』)。それゆえ、物語的類型への異和が表明され(「才子佳人」)、規範の溶解した世界が展開される(「蝮のすえ」「「愛」のかたち」)。フェミニズム、ナショナリズム、環境問題からカンニバリズムとしての臓器移植問題までの現代的テーマとも通じる視点を書き込んでいると言える。
 『司馬遷』を書いて歴史記述にはらまれる問題にとりくむことから出発しながら、継時的なプロット展開においては挫折したり(『快楽』)することに象徴的だが、生臭い欲望につきうごかされ、ふるまいを強いられた者同士の、――「私、させられているのよ」!――、超越ならぬ諧謔の"跳躍"的起伏にみちた対話を基調とする。これまで、ほとんど無視されていることの方が不思議なくらいである。

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#2000.12/25   生・活力

 安吾が今読まれてしまうのは、なぜか。
 それは、現在のわれわれの生活様式を支える社会がのっとったイデオロギーと親和的だからにちがいない。

多くの日本人は、故郷の古い姿が破壊されて、欧米風な建物が出現するたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。新しい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。伝統の美だの本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。(坂口安吾「日本文化私観」)

 よく知られた一節だが、これを解説したような「現代社会の理論」の一節がある。

 生きることが一切の価値の基礎として疑われることがないのは、つまり「必要」ということが原的な第一義として設定されて疑われることがないのは、一般に生きるということが、どんな生でも、最も単純な歓びの源泉であるからである。語られず、意識されるということさえなくても、ただ友だちと一緒に笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔をみること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活水準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受しているからである。このような直接的な歓喜がないなら、生きることが死ぬことよりもよいという根拠はなくなる。
 どんな不幸な人間も、どんな幸福を味わいつくした人間も、なお一般には生きることへの欲望を失うことがないのは、生きていることの基底倍音のごとき歓びの生地を失っていないからである。あるいはその期待を失っていないからである。歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。
 必要は功利のカテゴリーである。つまり手段のカテゴリーである。効用はどんな効用も、この効用の究極仕える欲望がないなら意味を失う。欲望と歓喜を感受する力がないなら意味を失う。このように歓喜と欲望は、「必要」にさえも先立つものでありながら、なお「上限」は開かれていて、どんな制約の向こうがわにでも、新しい形を見出してゆくことができる。(見田宗介『現代社会の理論』岩波新書)

 安吾のいう「生活の必要」とは、「エクスタシーの微粒子」「歓喜と欲望」は、つまり、温泉につかって「高森原人」を呑みながら語り合うことのうちにさざめいているそれも含めた、生を活気づける「欲望」のことであったろう。
 こうした欲望をシステムに組み込むべく、未来を先取りして組み込んだ現在があらゆるシステムの範型となる。保険やクレジット、返済義務のある奨学金などをあげてもよいのだが、そういうわかりやすい事柄以外にも、親(父)を中心とした家族から子を中心とした家族への変容も、経済的経験的過去の蓄積を保有する親から、未来の可能性を担保した子へと中心が移行していると言えるし、それは学校教育の在り方にもまた同様の変容を看取できるだろう。学校の勉強は将来のためだったのである。そう、だった、のである。
 伝統や歴史の年輪をもったものを規範としていただく様式から、未来の可能性を基点とした様式への移行は、しかし未来の可能性のよろこばしさを担保にするわけで、先が見えないときには機能しなくなる。進学が将来の生活を保障しなければ、学校秩序の効力も半減する。良い学校を出て良いところに就職し夢だったマイホームを手に入れて幸せな家庭生活をもつという物語がほとんど成立しなくなっている現在、中学校や高校から進学指導が抜け落ちたらいったい教育はどうなるのかということが今問われているが、それは未来という担保の信頼性の低下とも言えるだろう。だから、未来の可能性を担保にしたシステムも効力を失うほかなく、将来必要だから勉強するという論理が無効化して、楽しいから勉強するという論理が要請されるのは必然的である。
 それゆえ、この不況の今こそ、未来にも過去にも支えられることのない境を「堕ちよ、生きよ」という無頼の論理、突き放された現実を「ふるさと」だという安吾のことばが読まれて近しい気がするのでもあろう。今ここがふるさとと思いきること。
 もはや、過去に根ざした現在も、未来に根ざした現在も失効しているなら、今による今を生きることの生・活力をどこからくみ出すか。しかし、そんなことは問うても無駄なのかもしれない。掬い上げようとするそばから、抜け落ちていくのが欲望なのだから。

 モリオカも、近頃ようやく「生・活力」が湧いてきたものか、日記も再開したようであるな。行方不明にはなれぬから、「私は我慢しています」(「ひかりごけ」)。

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#2000.12/21   師走

 あっという間に、20日が過ぎ。。。
 先日、仙台まで行って、改めて仙台も変わったものだと感じた。住んでいたときとは、見え方が違うことも大きな要因であろうが、私が離れてから3年もたたないうちに駅前に大きなビルが完成し、地下に駅ができている。今回行った文学館も私が離れてから開館したものだ。仙台の街は空襲で焼けたあとに区画整理されて、戦後復興したとのことだが、次から次と店が変わり、ビルが建って古い建物がきれいさっぱりなくなっていくのを見ると、何だか終りのない戦争が続いているようなものだとも言ってみたくなったものだ。考えてみると、私が物心ついてから住んだ7ヶ所(今住んでいるところは除く)のうち、3ヶ所はすでに影も形もなくなって新しいアパートなりが建っている。確実に記憶の依代をうしなっている。モノが流れ動きつねに更新していくことが資本主義の原理だから、そのままに体感していることになるのであろう。
 近頃では、地面も数十年の期限付きで借りて、建物だけ自分で建てるなどという方法もあるようだ。マンションがいつまでも建っているとは思えないし、今どきの住宅はどれをとっても似たようなものにちがいない。幼少の頃、写真が数十年したら消えてなくなるとか100年プリントとかと聞いて、それだけたったら消えてなくなるのかと無常を感じたものだが、住居も写真のようなものだということになる。実のところそういう事態は昔からなのかもしれないのだが、しかしそういう一時のものに過ぎないという性質を、予め組み込んだモノの活用システムは、現代社会の発明であろう。時間的連続性がつねに断たれていくことが前提とされることが常態になるのだから、こういう無常感に対していくには、つねに「今がたのしい」と思える共時的な連帯性とでもいうべきものが不可欠になるはずだ。それは何によって確保されるのだろう。

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#2000.12/08   間違い

 島田雅彦『彗星の住人』(新潮社 2000.12)のp.182後から6行目、引用の傍線部「カヲル」は、「JB」の間違いだろう。

 ミス・スズキの日本語のレッスンはチャイナタウンでの出会いから、二週間後、彼女が下宿する牧師の家にカヲルが通う形で始まった。

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#2000.12/05   セブンティーン

 新宿のビデオショップに爆弾仕掛けたセブンティーンがつかまった。今度は、栃木県出身の高校2年生のようだ。
 大江健三郎は『セブンティーン』で、ありあまった精力のあてどない欲求不満をかかえる右翼少年を描いたが、右や左を区別する身体そのものの方向性が見失われている時代だから、これからの社会は、こういう欲求不満少年をいかにそれと知られることなく去勢するかを、社会政策の一端に組み込まなければならないのだろう。学校も、規則にがんじがらめにしておさめる方法が使えなくなっている現在、強権的に抑圧する、すなわち"正しい指導"によって規律正しい少年少女を育成するといった方向性が絶望的なら、稼げる有能な社会人を育てる一方で、いかにアナーキーな精力を去勢するかという2つの線が、これからの未成年の育成の基本方針になるにちがいない。

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#2000.12/02   手紙

 手紙なんぞ、ついぞ書かなくなってしまった。
 私の親しい友人"K"は、大学の頃にしばしば手紙をくれた。私もよく書いていた。友人の手紙は、激情のほとばしるままに、「告白」が、ノートに殴り書かれていることもしばしばであった。焼き捨てて欲しいと思っているに違いないが、私はすべて大事にとってある。懐かしくも若々しい頃のことである。ところが、ある時から、その彼がパソコンを買ってE-mailを使い出したとたん、まったく手紙をよこさなくなった。加えて、あろうことか、オマエもパソコンかってE-mailを使えるようにせよというのである。パソコンで打ってプリントアウトしたものを送って寄越すことすらほとんどしなかったと思う。それから2年くらいだろうか、あまり音信がなくなった。通信手段が友情を破綻させたのである。
 だが、その後、私がmailを使い始めたとたん、友情は復活した。今では頻繁にやりとりがある。しかし、激情ほとばしるままに書き殴られた読めない筆跡はなくなった。そういう時期が過ぎたのでもある。
 気がついてみると、私もまた、すっかり手紙を書くことが億劫となっている。さて、書かねばならぬ。

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by YAMAZAKI Yoshimitsu
e-mail:yyamazaki@eastmail.com