2001.11の「ヤマザキ3行日記」

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#2001.11/30    ウィルス

 最近、友人のところにずいぶんウィルス(ワーム)が届いたりしていると聞いていて、私のところに来ないのはつまらないなぁなどと倒錯的な願望をいだいていたせいでしょうか、ようやく来ました。
 件名に「Re:」とだけあり、見覚えのないアドレスで、HTML形式。それだけみて、すぐ気づくべきところを、なんだこりゃと思いながら開いてしまっていた。本文はなし。
 開いた後になって、ふとタスクバーをみると、ウィルスバスターの警告が出ており、「ウィルスを発見しました!」とある。そこでようやく気が付いて、いったい何のためのリアルタイム・ウィルスチェックであったかと、自分に呆れる。
 メールを削除し、念のため、ウィルス検索もしたが、感染している様子はない。
 これだけ流行ると、ウィルス対策ソフトなんか相当売れて儲かっているにちがいない。
 ソフトを入れてから、はじめて反応したので、「これでこそ買った意味があったというものだ」などと、ウィルスが来たことが、どこかウレシイのだから、変なものである。

#2001.11/28    へんなおじさん

 「モリオカ日記」2001/11/28 を読んで思い出した。
 私の少年時代、まだ、三面護岸のドブ川に、その川で泳げた頃の名残である木の橋がかかっており、その橋のまわりだけ、笹のような草がボウボウと生えて、季節になるとアオダイショウなどがフラフラとさまよい出てくることのあったそのあたりに、われわれが「サンノスケ」と呼んでいた「おやじ」が、しばしば出没した。
 このサンノスケ、パチンコ玉をつかったゴム鉄砲の妙手で、どこでどう生活していたのか、小学生といっしょにゴム鉄砲で遊んでいたりした。からかったりしてもいたものだが、それも一種のコミュニケーションであった。
 その後すぐ、木の橋は架け替えられて車が走れるようになったし、アオダイショウも出てこなくなった。
 社会が均質化して、町が清潔になると、「へんな」のや「きたない」のは"排除"の対照になってしまうのだから、そういうへんなおじさんの居場所も少ないのだろう。

#2001.11/26    ああ、アンラッキー・おやじ

 「「おやじ狩り」の少年7人を強盗傷害などの容疑で逮捕」というニュースが流れている(asahi.com 社会)。
 しかし、記事を読むと、被害者は「35才」会社員と「30才」自衛官。
 「おやじ」だってよ。

#2001.11/25    安吾と現在小説

 「文芸」に、「あらゆる場所に花束が……」の中原昌也と渡部直巳の対談記事があったのをちらっと読んだ。そこで、渡部は「戦争を抜きにした安吾」を感じさせるところがある(とだったか)と評していた。
 前に少し書いたが、なにも、安吾を想起させるのは、中原の小説に限らない。たとえば、桜井亜美の小説をあげてみても、基本的に、「堕落論」の現代版だといえる。
 安吾が、八十年代以降好意的にとりあげられるようになったのは、柄谷行人がとりあげたことが大きいけども、現在の社会感覚にうったえるところがあるからだろう。
 安吾において、「戦争」の破局が、"<堕落>という倫理"を語る契機となっていた。
 考えてみると、マンション、郊外住宅の一代限りの住居、街中のビルが建ったり壊されたり、店が閉じられたり開いたり、破壊と建設のせわしない現代は、破壊は常態化して非常に流動性が高く、不況の現在では、「リスク」や「不安」や「偶然性」は身近な現実を評する言葉としてリアリティをもっており、「不倫」な事態はもはやせいぜい噂話の種にしかならず、ある意味では、<戦争>の破局性が常態化しているとも把えられる。
 「戦争の遂行」が共通の基盤を否応なしにつくったものだとすれば、「戦後の混乱」がそれ自体<乱>の場として常態化していると言った方がいいのだろうか。

#2001.11/24    オープンキャンパス

 「大学、選ばれる時代 オープンキャンパス様々」というニュースが流れていた(asahi.com 教育)。「受験生も、複数校に足を運び、じっくり見比べてから志望校を定めるようになった。早稲田大のように、1日のオープンキャンパス参加者が1万5000人を上回る例もある」。「無料学食(学生食堂)体験、飲み物サービス、記念写真撮影、過去の入試問題集配布……と至れり尽くせりだ」。
 10年くらい前でも、私は行かなかったが、学校説明会などはけっこうあったように思う。しかし、今は、オープンキャンパス。最近の定員割れ常態化をうけてのことだ。
 私が大学に入るときは、試験会場も市内の高校だったし、遠いので合格してからの入学手続きも郵便で済ませ、住む場所も寮だったため郵便で手続きをすませた。結局、キャンパスなどは一度も見ないまま、入学してから地図を見ながら行ったのが最初だった。
 それなりに、大学生活のはじまりに期待していた私を待ち受けていたのは、来てすぐ退寮者がでるような寮での生活、張り紙だらけで汚い講義棟とアスファルトがはげて穴だらけになった敷地、プレハブの食堂のあるキャンパスだった。
 なれれば、それもまたよしと思ったものだが、その大学でさえ、私が出ていく頃には、キャンパスが整備されて、そこそこ見栄えのするようになおしていた。
 今年、何度か用があって行ったが、びっくりしたのは、図書館の前に警備員が二人立っていたことだ。なんでも、図書館で暴力事件だかがおこったとかで、なんとも物々しい。図書館にはいって入館手続きをしていたら、そこの係りのおっちゃんが、問わず語りに、「最近は、わけわかんない人が出入りするから、いろいろ厳しくなっているのです」と言っていた。
 オープンキャンパスが流行り出すようになる一方で、あっちこっち、閉鎖的にならざるを得なくなってきているようなのだ。
 私が在学していたころは、のんきなものだった。その当時、東京に住む友人などは、スクータを駅前においておいたら一晩で盗まれると言っていた。私は大学へスクータで通っていたのだが、うっかり者の私は、しばしば、キーを差したまま一日中過ごし、帰るときになって「鍵がないぞ」と気が付くことがあった。そういうときは、スクータのところまで行ってみると、たいてい鍵がささったままだった。もちろん、そのキーには、家の鍵なども全部そろってくっついている。そういうことが、何度もあった。それでも盗まれることがなかった。今では、そんなのんきなこともいっていられなくなっているのだろうか。

#2001.11/14    体験的学習

 仕事が休みだったので、平日の昼間から、ショッピングセンターに買い物にでかけたことだ。

 昨日は、近くの図書館に行った。どちらにも、「実習生」という札を下げた中学生がいた。
 世にいう「体験的学習」とやらにちがいない。

 昔なら、「奉公」として、冗談ではなく生活のために、この年頃の者が働いているのは常態であったろう。むしろ、これまでいなかったことの方が異常だったというべきなのだと、あらためて気づく。

 しかし、学校は山ほどあるわけだから、「体験的学習」の名目で送り込まれる中学生の数(おそらく、高校生も送り込まれるにちがいない)たるや、半端ではないのではないかと余計な心配をしたりする。

 学校というところは、カリキュラムに入るとなると、「みんないっしょ」の条件で課さなければならない。学校自体の体制がそうなっているから、一方で、教員の奉仕として位置づけられているクラブ活動の空洞化がおこったりもする。

 今の学校-社会環境からいえば、温室育ちの世間知らずで世の中にでるよりも、せいぜいアルバイトでもした方が、よほど教育的意義があるだろう。年代をこえた人間関係、責任のある仕事など、およそ世の中でもっとも必要とされる事柄は、学校では教えられない。

 かくいう私はといえば、やはり大学時代にはアルバイトをしておった。(もちろんその後もやってるが)。

 大学に入って最初にやったのが、ドーナツを売る店であった。
 私は作る方専門のつもりで入ったのだが、そこでは、研修と称して、最初に店にも出される。

 マニュアルどおりにロールプレイングの練習をしたうえで出されるのだが、頭と体がバラバラになって、どうにもならない。実に自然にやっているバイトの女の子などに感心したものである。

 このバイト先で忘れられない思い出は、店内に出て、カウンターの出入り口を通ったときに、どうかしたはずみに持っていたお盆に載った飲み物のグラスをひっくり返し、お客のおねえちゃんの鞄をびしょぬれにしたことであった。
 心広きお客様で、笑って許してもらえたのが、不幸中の幸いであった。

 しかし、この「体験」は「学習」されてないのか、今日も机でお茶をひっくり返し、本を濡らしてしまったことである。



 朝日新聞2001.11/14の記事によれば、秋田県雄物川町の小学校で、「鶏を飼育したあと、食肉として処分、その肉で子どもがカレーを作って食べる」総合学習の授業を計画したが、「直前に一部の保護者から、批判的な声が匿名で届いたことなどから中止に」なったとのこと。

 「自分が子どものころは、さばいて食べるのは普通だった。一つの勉強ではないか」という意見もあったようだが、以前記したように(「ヤマザキ日記」#2001.06/17)死の隠蔽の方がよほど問題ではないのかという気がする。

#2001.11/13    語ることの世界=地平にあって

 日記なんだから毎日書きなさい、と叱咤激励されたものだが、何を書いたらよいものやら考えていると、何となし書くことに躊躇されて、やりすごすうちに、日が経ってしまうといったありさまなのだ。

 語る場が茫漠としている。

 「ニュース」について語る。そこで流れているのは、アメリカの死者のことだったり、アフガニスタンの難民ことであったり、イギリスの首相のことであったり、日本の政治家のことであったり、韓国の報道のことであったりする。

 そうして目にし耳にすることは、「ニュース」であるとともに、私にとってもまた無縁ではない「出来事」だろう。隣の家族のことよりも、よほどよく知ることができるし、私にとっての影響の多寡で言っても、アメリカの事件の方がよほど大きいのだ。もちろん、程度の差ではある。しかし、その振幅は大きい。そして、そういう語られる言葉=出来事のなかに身をひたしてあって、語る者としてある<私>。 

 語るべきことがらの「地平」、語られる出来事との関連性をもつことで巻き込まれてある「世界」のうちに「存在者」としての私もありうる。そうした「存在」のうちに倫理が私に到来する。

 あちらこちらで起こっている事=言に対してここにいる私という「世界」のありようについて、あちらとこちらの無縁ならざる場の地平のうちに、何を語るべきか、すべきかという倫理(=べきか)が問われるのだとすれば、そういう「べき」ことに応接しきれない私は、常にすでに、そして永劫に受苦としてあるほかない。

 しかしながら、語る「べき」の磁場にあって、語らされる奴隷=傀儡ならざる話し手としてなければ、私が語ることの意味もまたないにちがいない。

#2001.11/07    読書と夢うつつ

 いきなり冬がやってきたみたいに冷え込んでいる。
 ここ一週間以上風邪ひいていて、鼻をかむと血が! ついていたりする。じつに、やるせない。ぐへぇ。

 ときに、図書館などへ行って調べごとなどしていると、居眠りをしている人の多いことにあらためて気づく。どうかすると、「おめぇは、はじめから読むふりして居眠りしにきたんだろぉ」と言いたくなるようなのもいる。
 もちろん、誰しも本を読むと眠くなるなどという体験は珍しいことではないにちがいない。しかし、席について、1時間も、どうかすると2時間近く、読んでいるより寝ている時間の方が長いのまでいるのだから、念の入った事態である。
 生理的に考えても、呼吸が整い血流が静まって肉体的にやすまってしまうことなどが作用するのでもあろう。
 実のところ、人のことは言えないのである。
 私自身にも覚えがあって、かつて、在学していた大学の図書館が居心地のよかったころ、大学1、2年生のころであるが(あのころはラウンジも禁煙ではなかったし)、紙コップのコーヒーを買って、妙に坐り心地のよいソファの席に腰をおちつけ、文庫本など開いて、10分もすると、スーコスーコ寝息を整えており、気が付けばバイトにいくべき時間だったりしたことなどが思い出される。
 逆に、眼の覚めるようなこともないではない。
 興味関心が刺激され、次へ次へと誘われるが故に、寝なければならぬのに眠られぬなどということもある。
 考えてみれば、読んで興味が刺激されることによる幻想効果も、一種の夢見であるならば、たしかに、読んで眠くなることとの近接性もあるといえなくはないか。

#2001.11/03    仙台

 昨日から、仙台にきている。
 二日酔いの頭を冷やしに、久々に広瀬川に面した西公園へ行ったら、どうやら七五三のようで、近くの神社のそばでは、家族仲良く記念撮影をしている。こっちのベンチには、老夫婦が鳩に餌をやっている(photo)。紅葉がはじまっており、鳩が木にとまると、カサカサと葉擦れの音とともに、枯れ葉が舞う。風もやや冷たい。
 先週は、名古屋に行ったが、これくらいの大きさの街は、住み心地はよいだろう。街にはたいていのものが揃っており、ごみごみしたところがない。ゆったりした気分にもなるというものだ。
 ただ、街の中心部は不況の波にあらわれて、古い店がどんどんなくなっている。本屋はケータイ電話のサービスセンターに変わり、松竹映画館も閉鎖したようであるし、老舗の大きなパン屋も閉店になったままで、空き店舗になっている。生き残り、新しく入ってくるのは、マクドナルドなどのチェーン店ばかりである。

YAMAZAKI Yoshimitsu
E-mail:yymzk@fo.freeserve.ne.jp