ここ数日の間で、「あ」と思うことが3度ほどたて続けにあった。
一回目は、よく晴れた9月初旬の朝7時半、燃えるゴミを出そうとしたとき。寝起きのまんま半袖・短パンという格好で外に出たら、ちょっと冷たい秋の空気に不意打ちをくらい、思わず「あ」。残念ながら私には俳句をつくったり植物を愛でたりする細やかさはない。よって、その「あ」は季節の移り変わりに敏感に反応したことからくるものではない。それはむしろデジャヴに近い、ちょっと不思議な感覚。ゴミを所定の場所にポイッと放ったあと、歩いているうちにだんだん分かってきたのだけれど、それはつまり、ずっと忘れていた昔が突然ふっとよみがえってくる感覚だった。電車と自転車を駆使して通学していた高校時代のある朝の感じに、その日の空気が似ていることに気づいたのだ。
二回目は社員食堂で、日替わり昼定食(450円)のメイン「キャベツいっぱいのソース焼きそば」(どうでもいいことだが、うちの社食ではさらにこれに揚げ物が必ずつく。)を食べたとき。一口、二口と食べているうちに、また昔がよみがえってきた。そのときの味付けが、お祭りの屋台で食べるのではない、まさに小学校の給食で出たような「やきそば」の匂いを徐々に思い出させたのだった。だから「あ」。
そして最後は、空腹を我慢しながら残業していたら、同僚からピーターラビットのおしゃれなカンに入った輸入もののバタースコッチキャンディーをもらったとき。それを口に入れてすぐに、昔運動会の飴食い競走に出たときに食べた「飴」の味を思い出した。小麦粉の山の中に隠されていた少し粉っぽいバター飴。やたら具体的なシチュエーションを急に思い出したことに驚きつつ、これが3回目の「あ」。
「懐かしい」とは、実体験があろうとなかろうといろんな場面でお手軽に使える言い回し。実際、私もよく使うし、そういう謳い文句にはめっぽう弱い。けれども、リアルな「懐かしさ」とは、ほんとうはとても些細でしかもきわめて私的な事柄における一瞬の感覚なんだろうと思った。だからそれを人にうまく伝えるのはなかなか難しい。
30代になった去年から、なぜかこういう具合に昔をよく思い出す。「30」という年齢が何かたいそうな意味を持っているとは思わないが、こういう「懐かし」体験って悪くない。
| | |
| 早起きは三文の得。 9月の朝、ゴミを出そうと思って外に出たときに見た きれいないわし雲。 | |
|