イタリア語で「明日」を意味する『ドマーニ』という月刊の女性誌をご存知ですか?「エルメス」や「ディオール」などのリッチなお洋服に身を包んだ川原亜矢子が表紙を飾り、裏表紙にはたいてい「ヴィトン」や「カルティエ」などの広告が載っているという、30代の働く女性向けのファッション誌です。けれども、哀しいかな、毎月何かしらのローンに追われていたり、食料品が20%引きになる時間帯をねらってスーパーに出かけたりする私には、雑誌に掲載されているようなお洋服を買うほどの余力もなければ、颯爽と着こなすテクもない…でもときどき年に1〜2度ほど、「30代・働く女性」という記号に溢れたその雑誌の誘惑にまんまとのってみようかなと思うことがあります。なんだかんだいって、やっぱり「30代・働く女性」に同一化してみたいのかしら?もしその雑誌を立ち読みしているところを会社の同僚、特に女性の同僚に見られたとしたら、ちょっと恥ずかしいって思うくせにね。というわけで、最近、定価680円のこの雑誌を読みながら思ったことを少々。
ややこしいことを一切考えず、写真がいっぱい載っている雑誌のページをめくっているのは楽しいもんです。今度お給料が入ったら華奢なヒール靴を買ってみようかとか、今年はコサージュなどの小物に凝ってみようかなど、あれこれ思いを巡らせながらただ紙面を眺めているのはやっぱり愉快。ところが、ある号を読んでいたときのこと。一ヶ月の着こなしパターンを示した企画もののページで、この雑誌から受ける印象が以前とはちょっと異なることに気づいたのです。というのは、かつてこの雑誌に掲載されていた数々の着こなしでは「既婚」とか「未婚」とかいうファクターはそれほど重要視されていなかったように思っていたのですが、その特集ページにおいてはそれがまるでファッションの一部であるかのように演出。夫の実家に行くときのリラックススタイル、夫の両親と食事するときのきちんとスタイル、夫と行きつけの老舗和食屋に行くときのスタイル、休日に夫と家でランチビールするときのスタイル…。「既婚」ということが、スタイルのコンセプトにおいて外せないものになっていたことに軽いショックを受けてしまったわけです。もしかすると通年で定期購読していれば、実はこういうコンセプトはこの雑誌においてはけっこう頻出するもので、それほど気にするもんじゃない、ということがわかるのかもしれません。が、この雑誌って、30代の働く女性を、自己投資のための「経済力」も「時間」もあって、「良質の贅沢を求めることができる」層として想定しているフシがある。ならば「結婚」をそんなふうに扱ったら、少々嫌味じゃないかしら?もちろん、おシャレ雑誌の企画だし、やたらリアルなシチュエーションを見せてもなんだし、そもそも世の中の人間は単純に「既婚/未婚」に二分できることだし、そこはクールにリテラシー働かせるとこでしょ、と十分承知はしております。けど、バリバリ働き、なおかつ結婚している女性のなんとリッチでスタイリッシュなこと。洋服、インテリア、陶芸、観劇そして結婚。何でも「自分で選んでます」という贅沢な自信。私は既婚者ですが(いや"だからこそ"というべきか)、そのこと自体がファッションに取り込まれているキモチワルサ、違和感を拭うことができず、なんだかその雑誌に"寝返られた"ような気分になっちゃいまいした。でもこれってもしや、夫と近所の中華料理屋で夕飯をすませて帰宅して、ジャケットを脱ぎながらクリーニングまでにもう一回くらい着られるだろうかなどと考えつつ、「ふう。」と一息ついたらリビングの隅っこに取り込んだだけの状態の洗濯物の山に気づき、つい見ぬふりをしてしまう、そんな私のルサンチマンなんでしょうか?私は30代・OL"(仮)"なわけですし、まあ、別になんということはないのですが。
なんだか今回はちょっと話が愚痴っぽかったですね。はは(笑)、失礼しました。ちなみにこの秋は「ブラウン」と「グレー」がおシャレらしいです。明日もしも天気が良かったらショッピングに行こう。うん決めた。
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