第1巻 初期作品
- セザンヌ ジャック・リヴィエール
- 訳詩三篇 ジャック・リヴィエール
- ランボオ ポオル・クロオデル
- タルチュフ懲罰 アルテュル・ランボオ
- 「アルマンス」に序す
- ブルターニュ紀行 アンドレ・ジイド
- 青春
- 横光利一氏の『母』
- 『樹のない村』と『幼き合唱』
- 『自然と純粋』讃辞
- 批評家ジイド
- 作家の倫理の問題
- アンドレ・ジィドの転向に就いて
- 河上徹太郎の文章に就いて――覚書
- アンドレ・ジイド『ドストエフスキー論』
- アラン『散文論』祝辞
- 「リアリズム文学の提唱」に就いて
- ジイドの流行
- 破片
- 短編小説に就いて
- 『春琴抄後語』の読後感
- 『M・子への遺書』ほか
- 不安について
- スタンダール
- スタンダール――テエヌ
- 伊藤富士雄『村の人々』
- 年頭平凡――新年号を読んで
- 森山啓の『知識階級と文学』ほか
- 能動主義・新浪漫主義について 〈アンケートに答へて〉
- ジイドと横光利一――純粋小説とは何か
- 小野さんの印象
- 肉体の問題――永井龍男氏『ある男の帰宅迄』
- 『アンリ・ブリュラアルの生涯』
- 「ルナアルの日記」
- 古谷綱武――『横光利一』祝辞
- スタンダアル(一七八三 ― 一八四二)
- 小説の面白さについて
- 『赤と黒――スタンダアル試論の二――』
- 鎌倉通信
- 小説の問題
- わが国の近代文学
- 武藤貞一『戦争』
- ポール・ド・クルーフ『死と闘ふ人々』
- フランソア・モオリヤック『イエス伝』
- ジョセフ・ケッセル『流弾』
- 農民作家小説集『平野の記録』
- 大仏次郎『雪崩』
- スタンダアル『ナポレオン』
- 小林秀雄『現代小説の諸問題』
- 小林一三『次に来るもの』
- 杉山平助『新恋愛論』
- チャーチル『世界大戦』
- 答――杉山平助氏へ
- 『赤と黒』のモデル
- 女流作家のナルシシズム
- 武藤貞一『日支事変と次に来るもの』
- 現代の文学青年を論ず
- 新しき雄弁について
- 伊藤整『青春』
- ステファン・ツワイク『知性と感性』
- 訳序〔アラン『スタンダアル』〕
- スタンダアル『ラシーヌとシェイクスピア』
- 編輯後記〔『季刊鞦韆』〕
- アランの文体について
- 近代人の典型――『チェルリイニ自叙伝』
- マキアヴェルリ『君主論』
- 〔スタンダール『アンリ・ブリュラール伝』訳序〕
- マキアヴェルリとヒットラー
- スタンダアル『ハイドン』解題
- スタンダール『ハイドン』について
- ティボーデ『スタンダール伝』後記
- 訳序〔バルザック『スタンダール論』〕
- バルザック『スタンダール論』解説
- 試聴室
- 各社特輯レコード
- ポピュラーセクション
- 軽音楽のレコード
- ビゼーのこと――附 ベルトの美しき娘――
- メンデルスゾーン「洋琴協奏曲ト短調」
- テルフンケンの軽音楽二組
- 『交響曲イ長調』について
- スタンダアル アラン
- アンリ・ブリュラール伝 スタンダール
- ハイドン
- 序 一八一四年版
- 有名なる作曲家ハイドンに関する手紙
- モツアルトに関する手紙
- 献辞 ドリイニイ夫人に
- スタンダール伝 アルベール・ティボーデ作
- スタンダール論
- スタンダール論 バルザック
- バルザックへの手紙
- 「パルムの僧院」のマルヂナリア
- 「パルムの僧院」の断片
- 「パルムの僧院」の起源
- 赤リボン
- あぢさゐ
- お菓子
- 吾輩は犬である
解説 大岡昇平以前の大岡昇平 西川長夫
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第2巻 小説I
- 俘虜記
- 捉まるまで
- サンホセ野戦病院
- タクロバンの雨
- パロの陽
- 生きている俘虜
- 戦友
- 季節
- 労働
- 八月十日
- 新しき俘虜と古き俘虜
- 演芸大会
- 帰還
- 附 西矢隊始末記
- 靴の話
- 食慾について
- 俘虜逃亡
- 西矢隊奮戦
- ミンドロ島誌
- 比島に着いた補充兵
- サンホセの聖母
- 海上にて
- 出征
- 暗号手
- 襲撃
- 敗走紀行
- 女中の子
- 歩哨の眼について
- 山中露営
- ユー・アー・ヘヴィ
- 忘れ得ぬ人々
- 齋藤君の思い出
〔参考資料〕
- 真藤君の思ひ出
解説 『俘虜記』のエチカ 柄谷行人
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第3巻 小説II
- 野火
- 野火(初出導入部)
- 武蔵野夫人
- わが復員
- 愉快な連中
- 神経さん
- 再会
- 妻
- 帰郷
- 女相続人
- 母
- 父
- 来宮心中
- 一寸法師後日譚
- 動物
- 鷹
- 停電の夜
- 清姫
- 振分け髪
- 沼津
- 釣狐
- 車坂
- 逆杉
- 黒髪
解説 想像の地平との出会い 辻邦生
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第4巻 小説III
- 酸素
- ハムレット日記
- 化粧
- 面影
- 犬のいる家
- 玉井巡査の疑問
- 生きている過去
- ほくろの美学
- ぬかるみ
- 帰宅
- 化粧
- 正午
- それから
- 抗毒素
- 街角
- 夜の冒険
- 源蔵の宿
- 最後の機会
- 影の部分
- 暴力
- 休みの日
- 黒い太陽
- 漂う湖
- 月光
- 啓吉の反省
- 大きいのと小さいの
- パターンの人生
- 蜘蛛の糸
- 好色の戒め
- 美人
- 裸婦
- 一つの死
解説 未完と中断の裏側 黒井千次
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第5巻 小説IV
- 雌花
- 夜の触手
- お艶殺し
- 春の夜の出来事
- 驟雨
- 真昼の歩行者
- 秘密
- 闖入者
- 疑惑
- 雪の上の呼び声
- ゴルフ殺人事件
- 最後の告白
- 緑の自転車
- 夢
- 夕照
- シェイクスピア・ミステリ
- 妻の証言
- 不充分な動機
- 黒い眼の男
- 狂った自白
- 扉のかげの男
- 無罪
- 誤判
- サッコとヴァンゼッティ
- 長い歯を持った男
- あなた
- エリザベスの謎
解説 大岡昇平における推理と戦争 吉田X生
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第6巻 小説V
第7巻 小説VI1995.04
第8巻 小説VII 1995.08
第9巻 小説
- レイテ戦記(上)
- 凡例
- 一 第十六師団 昭和十九年四月五日
- 二 ゲリラ
- 三 マッカーサー
- 四 海軍
- 五 陸軍
- 六 上陸 十月十七日―二十日
- 七 第三十五軍
- 八 抵抗 十月二十一日―二十五日
- 九 海戦 十月二十四日―二十六日
- 十 神風
- 十一 カリガラまで 十月二十六日―十一月二日
- 十二 第一師団
- 十三 リモン峠 十一月三日―十日
- 十四 軍旗 十一月十一日―十五日
- 十五 第二十六師団
- 十六 多号作戦
- 十七 脊梁山脈
- 十八 死の谷 十一月十六日―十二月七日
- 十九 和号作戦
- 二十 ダムラアンの戦い 十一月二十三日―十二月七日
- 二十一 ブラウエンの戦い 十二月六日―七日
- 二十二 オルモック湾の戦い 十一月二十七日―十二月七日
- 二十三 オルモック周辺の戦い 十二月八日―十五日
- 二十四 壊滅 十二月十三日―十八日
- 二十五 第六十八旅団 十二月七日―二十一日
- 二十六 転進 十二月十二日―二十一日
- 南西太平洋
- フィリピン
- レイテ島
- 第十六師団防禦配備図
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第10巻 小説
第11巻 小説
- 幼年
- 少年
- 「新詩社」の間取り
- 萌野
- 水
- 記憶
- 叔母
- 母六夜
- 過去帳
解説 降りてくる光 加藤典洋
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第12巻 小説XI・戯曲
第13巻 小説XII・シナリオ
〔小説〕
- 堺港攘夷始末
- テキストについて
- 一 大坂まで
- 二 神戸事件
- 三 堺港守備隊
- 四 風聞
- 五 西村隊到着
- 六 フランス人
- 七 大和橋
- 八 測量
- 九 殺傷
- 十 最後通牒
- 十一 五ヶ条
- 十二 土佐稲荷
- 十三 その前夜
- 十四 妙国寺
- 十五 切腹
- 十六 事後処理
- 十七 公使参内
- 十八 帰国
- 十九 流人
- 二十 流転
- 二十一 『列挙実紀』
- 注
- 焚火
- 風の匂い
- 問わずがたり
- 木下氏の場合
- 大前田君の憂鬱
- 盗作の証明
- 最初の目撃者
- 版画
- 災難
- 夜明け前のさようなら
- 犯意
- 純文学
- 当世贋者気質
- 童話
〔シナリオ〕
- シナリオ 静かなる雪
〔参考資料〕
- 影の航路
- 城とねずみ
解説 多面的なエクリチュール 大江健三郎
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第14巻 評論I 同時代1 1945〜1960
- 疎開日記
- わが文学を語る
- 「俘虜記」発表顛末
- 『武蔵野夫人』ノート
- 記録文学について
- 僕と"戦争もの"――これからなぜ「武蔵野夫人」を書くか――
- 感想
- 解答〔公開質問 読者から筆者へ〕
- 戦争と小市民
- 『武蔵野夫人』の意図
- 坂口安吾
- 私小説について――尾崎一雄氏に答う――
- 文学的青春伝
- 『自由への道』について
- 武蔵野夫人と地図
- 「夫人」という名称について
- 技術批評について
- 実在の「はけ」
- 小説の効用を疑う
- 『酸素』創作ノート(一九五一 ― 一九五一)
- 心理小説というもの
- 書物に欺かれる現代人
- 無罪を主張す
- 二万人の死者より二十人の生者を
- 実験小説という言葉
- 「野火」の意図
- 外国文学放浪記
- 軍隊と俘虜生活
- 新聞記者の実話物
- 愛用の辞書
- 作家に聴く
- 思い出
- 文芸時評 昭和二十八年六月号
- 『井伏鱒二作品集』解説
- 私の教養
- わが主人公――『武蔵野夫人』の「勉」――
- 新聞機能との合作――サスペンスより事実を織込んだ『化粧』――
- 私の読書遍歴
- 『野火』の意図
- 裁判
- 大衆文学について
- 文学とは何か
- 文学の運命を知る者
- 新聞記者の思い出
- 恋愛について
- 読書の弊害について
- 文芸時評〔昭和三十一年三月号〕
- 三島由紀夫の「休暇」
- 弱兵奮戦記
- わが懺悔
- 兜町
- 新聞小説について
- 新カナ遣いと名前のアクセント
- 有料道路
- 探偵小説の面白さ
- 一つの死
- テレビの効用
- 悪口屋四カ条
- 白地に赤く
- 海辺の若者たち
- 新しい才能だけの世界 テレビ・ドラマに失敗して
- チャタレーとサド
- 作家の日記
- 現代小説作法
- 第一章 小説に作法があるかという問題
- 第二章 小説はどう書き出すべきか
- 第三章 作者の位置について
- 第四章 告白について
- 第五章 ストオリーについて
- 第六章 プロットについて
- 第七章 プロってについての続き
- 第八章 主人公について
- 第九章 主人公についての続き
- 第十章 日本文学について
- 第十一章 ハムレット
- 第十二章 人物について
- 第十三章 ムイシキン公爵
- 第十四章 小説の世界
- 第十五章 小説の中の「橋」について
- 第十六章 モデルについて
- 第十七章 描写について
- 第十八章 小説と映画
- 第十九章 心理描写について
- 第二十章 自然描写について
- 第二十一章 自然観の変遷
- 第二十二章 文体について
- 第二十三章 行動小説と性格小説
- 第二十四章 劇的小説
- 第二十五章 要約
- 朋友相信じ
- 文芸時評 昭和三十三年四月号
- 天地有情
- 私の借りた本
- 八年間の誤解――カミュの「監禁状態」について――
- 同じ迷いの雲の中に
- 男は溺れる
- ルバング島を思う
- 新しいものみな結構
- ルバング島の日本兵
- 文章の創造
- 僕はなぜ文学青年になったか
- 奇書――大井広介『ちやんばら芸術史』――
- サイデンステッカー氏の随筆論法
- 推理小説ノート
- スポーツ論壇
- 噛みつき帳
- 憂楽帳
〔交友録 I〕
- 福田恆存
- 獅子文六
- 獅子文六とダンテ
- 坂口安吾――京都の頃――
〔書評 I〕
- 〔藤原てい『流れる星は生きている』〕
- チャーチル『第二次世界大戦回顧録』
- 「灰色の十字架」を読んで
- 「きけわだつみのこえ」
- 『裸者と死者』
- 〔アグネス・キース『三人は帰った』〕
- 『悪魔』と『舞踏会』
- イギリスとフランス――ウォーコップ『ものの考え方』――
- 〔江口清訳『ラディゲ全集』〕
- 加藤周一『運命』
- 〔古谷綱武『自分を生きる』〕
- 神西清『散文の運命』
- 悪夢の美術館――『東西美術論』をこう読んだ――
- 〔江藤淳『作家は行動する』〕
- 〔マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』〕
- 「時の娘」
〔映画・演劇・美術〕
- "美女と野獣について"
- ゴッホの緑
- フランス映画と私
- 戯曲「武蔵野夫人」を読んで
- 『武蔵野夫人』の劇化
- 映画雑感
- 映画と小説
- 若い世代
- 福田さんのハムレット
- 狂言を見て
- 「八月十五夜の茶屋」を観て
- 楽しむ芝居
- ハムレットの正月
- 「鹿鳴館」
- 新劇節に悩む
- 文士の演技
- 芝居のLP
- 再会
- 物真似芸術
〔音楽 I〕
- 親しめる音楽家モンブラン
- 音楽放浪記
- ワグナーを聞かざるの記
- 私とモツァルト
- シュツットガルト室内楽団の楽しさ
- なつかしい歌
- 音楽による感動
- 生の音楽
- わがテレフンケン
- ディヴェルティメント一五番
〔旅〕
- 夏の旅
- 春の旅空
- 旅の日記
- 去年のキャトルズ・ジュイユ
- 巴里の酢豆腐
- 見知らぬ故郷――和歌山風土記――
- フランスへの郷愁
〔参考資料〕
- 僕の読書法(3)
解説 出発のころ 中野孝次
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第15巻 評論II 同時代2 1960〜1965
第16巻 評論III 同時代3 1965〜1970
- 戦後文学は復活した
- 「象徴」を追う現代文学
- 新しい興味
- 大衆文化論をただす
- 創作者と鑑賞者
- 大衆文化論における二つの虚像――変革と余暇――
- 復活の可能性は十分
- 文学とは何か
- 詩と音楽
- 叙事詩的錯誤について
- 英雄の諸形態
- ケルビーノ礼讃
- ホモ・ルーデンス
- 歴史小説の発生
- 日本の歴史小説
- 歴史小説の美学
- 歴史其儘と歴史離れ
- 江馬修『山の民』
- 現代史としての歴史小説
- 自発的禁書
- はたして女性的時代か
- 歴史小説とはなにか
- 幕末・維新の人々〔吉村虎太郎〕
- なぜ「天誅組」を書くか
- 歴史小説の可能性
- 歴史小説の現代的意味
- 日本人とは何か
- 私の読書法
- ビートルズとデモの間にて
- 萩原朔太郎に触れて――近代詩における望郷詩――
- 女性の敵ドン・フアンの真実
- わが文学に於ける意識と無意識
- 文芸時評
- 日本の近代文学
- 冬にいて夏を思う
- 雪の思い出
- ヴァレリーの思い出
- 戦いの場の人間
- ベスト五――ことしの回顧
- 文芸時評リポート
- ジード『贋金つかい』
- 戦争と平和
- 作品の背景
- 歴史小説論
- 海洋文学
- 学歴詐称
- チェーホフの思い出
- 伝統と国際性
- アベック語源考
- ことしの回顧 ベスト5 文学
- 地図と戦争
- ドイツ人
- 「私の中の日本人」を読んで
- 硫黄島の正月
- 私はなぜ戦記を書くか
- なぜ戦記を書くか
- 八月十五日――権威への不信がよみがえる日
- 奇妙な夏
- 欠陥高速道
- 三十二年目の東京の正月
- 『レイテ戦記』の意図
- 吉野の春秋
- 文学と郷土
- 奎堂遺文
- 私の読書
- 私の処女作『俘虜記』
- 伝統と現代
- 「合評会」の思い出
- 解説〔『戦争文学全集5』〕
- 『野火』におけるフランス文学の影響
- 歴史小説の方法
- 人肉食について
- 歴史小説の問題
- 今週のまど
〔交友録III〕
- 斗酒四十年
- 材料尽きず
- 昔の友達
- 江藤君の印象
- 思い出すこと
- 泰三のこと
- 山の隣人
- 澁澤君の印象
- 丸谷さんのこと
〔追悼I〕
- 三好達治さんを悼む
- 梅崎春生の死
- 思い出〔『三好達治全集3』月報〕
- 亀井さんの思い出
- 富永次郎のこと
- 富永次郎の思い出
- 吉川さんの思い出
- 思い出〔『加藤りん先生のおもかげ』〕
- 思い出〔『富永次郎先生追想集』〕
〔書評III〕
- 吉田秀和『批評草紙』
- 『大阪市史』
- 藤枝静男『欣求浄土』
- 吉田秀和『ソロモンの歌』
〔映画・演劇 他〕
- 舞台の謀反人たち
- 「ニュールンベルグ裁判」を見て
- 新劇と私
- 東大ギリシャ悲劇研究会
- 「なんだかわからぬ」
- 椿姫潤色ノート
- 「映像」は王様
- わが美的洗脳
- 『赤と黒』を脚色して――劇評家諸君にもの申す
- 毒喰わば皿――新劇と私――
- あとがき〔戯曲『遙かなる団地』〕
- 悲劇喜劇――はじめて戯曲を書いてみて――処女戯曲「遙かなる団地」によせて
- ナポレオンの首
- 狂言と私
- チャップリンの復活
〔音楽〕
- 六十の手習い
- 五十のピアノ手習いの記
- 音楽の楽しみ
- ベルリン・ドイツ・オペラの芸術性
- ベルリン・ドイツ・オペラを見て
- ベルリン・オペラを観て
- ドン・ファンの神話
- ピアノと作曲
- オペラ好き
- 作曲家の憂鬱
- 日曜作曲家開業の弁
- モールァルトの二大傑作
- モーツァルト歌劇の意味
- サンフォニー・コンセルタント
- モーツァルトの一枚のレコード
- 戯れの美しさと笑いと――「コジ・ファン・トゥッテ」――
- レコードとともに
- バロック音楽と私
〔身辺随時II〕
- 最後の家長
- 息子の設計
- 六十にして建つ
- 六十の引越し
- つらい夏
- 女の浅知恵
- 三十一年目の東京
- 日記
- 某月某日
- 大岡越前と私
- 富士山
- 富士
- シンメトリーの家
解説 評論から小説へと遡行する 清水徹
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第17巻 評論IV 富永太郎・小林秀雄・河上徹太郎
- 富永太郎の詩
- 富永太郎伝
- 富永太郎――書簡を通して見た生涯と作品
- 編集についてのノート
- 年譜
- 図版
- 明治三十四年(一九〇一)―大正九年(一九〇二)
- 大正十年(一九二一)
- 大正十一年(一九二二)
- 大正十二年(一九二三)
- 大正十三年(一九二四)
- 大正十四年(一九二五)
- 書簡索引
- 富永太郎〔『増補改訂 新潮日本文学辞典』〕
- 富永太郎の絵〔『三彩』〕
- 富永太郎の詩と絵
- 富永太郎の絵〔『サンケイ新聞』〕
- 絵解き
- 富永太郎とボードレール
- 解説〔『富永太郎詩画集』〕
- 「恥の歌」その他
- 面影――富永太郎伝への追加――
- 「上海の思い出」
- 編集についてのノート
- 縁と年齢
- 〔富永太郎未発表断片/富永太郎未発表書簡 註解〕
- 「問わずがたり」考――事実とフィクションの間に
- 富永太郎〔『日本近代文学大事典』〕
- 版画の魅力
- よしなしごと
- ブレイクを読む富永太郎
- 対象に迫る 私の一篇の「沼地」芥川龍之介
- 富永太郎における創造
- 富永太郎の詩と絵画
- 小林秀雄の小説
- ソバ屋の思い出
- 江藤淳『小林秀雄』
- 小林秀雄の世代
- 小林秀雄の書棚
- 『無私の精神』
- 『考へるヒント』
- 『「白痴」について』
- 小林秀雄書誌上の一細目について
- 人生の教師
- 文化勲章
- Xへの手紙
- 歴史と文学
- 『本居宣長』前後
- 大きな悲しみ――小林秀雄追悼
- 小林さんのこと
- 教えられたこと
- 死蔵すべきではない
- 河上さんの"公平"
- 『わがデカダンス』
- 河上徹太郎交遊六十年の重み
- 追悼 河上徹太郎――「知ってるよ」
- 難問の季節
- 結婚の頃
- 河上さんのモーツァルト
- 旧友 小林秀雄 青山二郎
- 鎌倉文士骨董自慢
- 小林さんと河上さん
- 犬に噛まれる
- わが師わが友
- 一 青山学院
- 二 新帰朝者
- 三 蜂の巣会
- 四 詩人
- 五 京都学派
- 囲碁将棋
- 酒品
- 今日出海『山中放浪』
- 今ちゃんの冒険
- 放火魔
- 地獄を見た人の円満さ
- 思い出すことども
- 中村光夫の顔
- 解説〔『昭和文学全集16』(角川書店)〕
- 中村光夫と二十年
- パリの中村光夫
- 『パリ繁昌記』礼讃
- 中村光夫のこと
- 解説〔『中村光夫全集 第十二巻』〕
- 「彼岸」ほか
- 面影
- 歳月
- われらが世代
- 批評家
- 思い出――追悼吉田健一
- 『英国の文学』と『酒宴』
- よろめき葬送記
- 自己を確認しながら――中島健蔵
- 中山義秀
- 『中山義秀全集』解説
- 義秀さん
- 五十の祝い
- 中山義秀さんの死
- 葬送記
- 思い出〔『新潮日本文学34』月報〕
- 永井龍男『朝霧』
- 美男の文学――永井龍男氏の人と作品――
- 傑作の条件
- 永井龍男『一個その他』
- 永井龍男――人と作品――
- 息を整える
- その構成――永井龍男作「青梅雨」
- 横光先生と私
- 横光先生の思い出
- 下北沢の思い出
- 横光先生の初期作品
- 目に浮ぶ風貌
〔参考資料〕
- 小林秀雄さま、弔詞
解説 稀有な魂の精錬される場所 樋口覚
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第18巻 評論V 中原中也
- (創元社版『中原中也詩集』)解説
- 京都における二詩人
- 中原中也の短歌
- 中原中也の思い出
- 解説〔中原中也訳『ランボオ詩集』(書肆ユリイカ)〕
- 中原中也とランボー
- 中原中也伝――揺籃
- 〔中原中也詩紹介――「早春散歩」他六篇〕
- 解説〔『中原中也全集』(創元社)第三巻〕
- 解説〔中原中也『山羊の歌・在りし日の歌』(河出文庫)〕
- 解説〔中原中也『山羊の歌・在りし日の歌』(現代日本名詩選)〕
- 『朝の歌』
- 京都における二人の詩人
- 離合
- 富永の死、その前後
- 友情
- 「朝の歌」
- 思想
- 片恋
- 『白痴群』
- お願い
- 「なかはらなかや」は止めて貰いたい
- 篠田一士氏に抗議する――「傍役の詩人中原中也」をよんで――
- 中村稔編『中原中也研究』
- 『山羊の歌』が出た頃
- 詩人
- 中原中也の酒
- 文士梅毒説批判
- 解説〔『世界の詩18』〕
- 詩碑が建つ
- 〔中原中也詩碑銘〕
- 「在りし日の歌」
- 在りし日、幼かりし日
- 秋の悲嘆
- 中原中也・人と作品〔『日本詩人全集22』〕
- 『中原中也全集』解説
- 詩 I
- 詩 II
- 評論・小説
- 日記・書簡
- 翻訳
- 遺稿処理史
- 解説補遺
- 後記
- 三度目の『中原中也全集』
- 中原中也〔『増補改訂 新潮日本文学辞典』〕
- 歩行者の心理
- 原稿用紙
- 再説・原稿用紙
- 中原中也・1
- 中原中也『在りし日の歌』
- 中原中也の「帰郷」について
- ある遺稿が世に出るまで
- 「白痴群」解説
- 「白痴群」解説・補遺
- 私の上に降る雪は
- 宮沢賢治と中原中也
- 詩人と音楽
- 中原中也の読まれかた
- 中也という名
- 「現職」補遺
- 吉田X生『評伝中原中也』
- 中也の三拍子
- 『四谷花園アパート』
- 青山二郎装『山羊の歌』
- 思い出すことなど
- 中原中也と「自然」――『日本詩を読む』を読む――
- 中原中也とヤマトタケル
- 写真増の変遷
- 『山羊の歌』解題
- 中原フクさんを悼む
- 『世代』の人々と
- 神と表象としての世界――「詩論」を中心に――
- 「白痴群」第六号複刻版・解説
- 記憶と忘却との間――『白痴群』第六号騒動記――
- 野とコボルト――中原中也詩解釈との関連において、ヴェルレーヌ訳詩へのささやかな貢献――
- 詩人と写真
- 中原中也没後五十年の「絶唱」
- 五十年騒動記
- 添え書
〔参考資料〕
- 中原中也のこと
解説 問いもまた成長する 佐々木幹郎
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第19巻 評論VI 夏目漱石・日本近代作家論
- 序説――『こころ』と『道草』――
- 「坊つちゃん」
- 狂気の文学『こころ』再読
- 漱石と国家意識――「趣味の遺伝」をめぐって――
- 文学と思想――『行人』めぐって――
- 『こゝろ』の構造
- 漱石の恋
- 『彼岸過迄』をめぐって
- ユリの美学――漱石とキリスト教――
- 江藤淳著『漱石とアーサー王伝説』批判
- 再び『漱石とアーサー王伝説』批判
- ウイリアム・「盾」・水――「幻影の盾」源流考――
- 「薤露行」の構造
- 漱石の構想力――江藤淳『漱石とアーサー王伝説』批判――
- 水・椿・オフィーリア――『草枕』をめぐって――
- トリスタンとイズーの駆落ち――『三四郎』をめぐって――
- 姦通の記号学――『それから』『門』をめぐって――
- 「自伝」の効用――『道草』をめぐって――
- 『明暗』の終え方についてのノート
- 幻想の生れる場所――「夢十夜」「永日小品」――
- 『明暗』の結末について
- 『猫』と「塔」と「館」と――作家漱石の発車――
- 夏目漱石展に寄せて
- 漱石と鎌倉
- 補説――あとがきに替えて――
- 森鴎外
- 『堺事件』疑異
- 『堺事件』の構図――森鴎外における切盛と捏造――
- 『堺事件』批判その後
- 芥川龍之介
- 芥川龍之介を弁護する――事実と小説の間――
- 近江秋江『黒髪』
- 秋江
- 有島武郎の文学
- 燈台もと暗し――「宇野浩二伝」への寄与――
- 白鳥の死をめぐって
- 正宗白鳥一面
- 後藤亮『正宗白鳥――文学と生涯』
- 正宗白鳥に学ぶ
- 日記文学の魅力
- 永井荷風
- 紅葉一面
- 幸田露伴
- 泉鏡花
- 『復活』と「滝の白糸」
- 樋口一葉
- 徳富蘆花
- 国木田独歩
- 柳田国男・斎藤茂吉・折口信夫
- 折口学と私
- 「信太妻の話」を読む
- 折口学と文学
- 正岡子規の評論
- 志賀さんの作品
- 野上先生の百年
- 野上弥生子先生の霊前に捧げる
- 埋められない空虚
- 野上先生との六十年
- 『森』の時代
- 「奥村喫茶店」の思い出
- らいてう先生とわたし
解説 批評家 大岡昇平 菅野昭正
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第20巻 紀行・評論VII ザルツブルグの小枝・スタンダール覚書 他
〔紀行〕
- アメリカのシェイクスピア
- アメリカ退散
- パリ日記
- イギリス紀行
- ザルツブルクの小枝
- 南仏紀行
- エッフェル塔の影
- ピッツバークの一夜
- イタリヤ紀行
- 博物館めぐり
- ギリシャ幻想
- 旅の初め
- イタリアところどころ――一九五四年十一月――
- グランド・キャニョン
- サンタ・フェの雪
- 鎮魂歌
- スペインの苔
- 二人姉妹の庭
- 旅の終り
- 鋸山奇談
- 水の上
- スコットランドの鴎
- 医者の娘
- グランドキャニオンの驚異
- 霧笛
- モスクワから
- ソ連・ヨーロッパ音楽の旅
- ソ連の思い出
- 文学的ソヴィエト紀行
- 私の旅情――スイス
- コルシカの旅
- フィンランドの旅
- コルシカ紀行
- フィンランド紀行
- フィンランドの思い出――編集にあたって――
- エトルリアの謎
- 祖国観光
- 中国の旅から
- 文学的中国旅行
- 西安の旅
- 黄土の記憶
- フィリピン紀行
- 昔ながらの草の丘
- 慰霊の旅
- 『俘虜記』のミンドロ島を行く
- 黄土の風景
〔評論〕
- 解説〔バルザック、スタンダール『小説について』〕
- 解説〔スタンダール『恋愛論』(創元選書)〕
- 『パルムの僧院』について――冒険小説論――
- スタンダールの女性観
- 戦後とスタンダール
- あとがき〔スタンダール『パルムの僧院』(思索選書)〕
- 改訳の序〔アラン『スタンダール』〕
- 私生児ファブリス――スタンダールと『トム・ジョーンズ』――
- 『アルマンス』の問題
- スタンダールの恋愛
- 映画「パルムの僧院」をみて
- 『パルムの僧院』
- あとがき〔スタンダール『パルムの僧院』(新潮文庫)〕
- 「パルムの僧院」の若者
- スタンダール ベスト・スリー
- 覚書
- スタンダールの恋愛論〔坂西志保編『恋愛と友情』〕
- スタンダールの恋愛論〔伊藤整編『恋愛についての二十三章』〕
- 動乱期の文学
- バルザックとスタンダール
- 『赤と黒』の誕生地グノープル
- 「赤と黒」スタンダール作
- あなたのメロディ
- スタンダールとモーツァルト
- スタンダールとラクロ
- 改訳について
- スタンダールの生涯
- 再び『パルムの僧院』について
- 解説〔スタンダール『ハイドン』〕
- スタンダールと私――楽しかった『赤と黒』脚色――
- 「赤と黒」を脚色して
- 劇化についてのノート
- ロマンチックなバルザック
- 赤と黒
- あとがき〔スタンダール『恋愛論』(新潮文庫)〕
- 再び『赤と黒』について
- 『パルムの僧院』を読む
- パルムの僧院
- 『赤と黒』のモデルII
- モリエールとスタンダール
- 『わがスタンダール』あとがき
- エゴチスムとは
- 日本近代文学とスタンダール
- 「読む」
- 『パルムの僧院』と『南国太平記』
- エゴイストたち――スタンダールの場合――
- 大正のスタンダール
- 『ミラノの人スタンダール』を読んで
- 「饒舌録」とスタンダール
- スタンダール覚書
- 「エゴティスム」考
- 『パルムの僧院』に感動
- 日本のスタンダール――『スタンダール研究』刊行に寄せて――
- 無頼派の系譜――「日本のスタンダール」補遺
- 愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私(1)
解説 異郷でみえてくるもの 古屋健三
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第21巻 評論VIII 同時代4 1970〜1980
- 人間差別がたどる運命
- 「場所」と「論理」
- 人といのち――シージャック事件に関して――
- 「われ突入す」
- 世紀のしっぽ
- 記者時代の教訓
- 肉体は脆いもの
- フィリピンと私
- 外国における日本人
- 地形について
- 「港」
- 調べ魔
- 六十三、四の正月
- グアム島の証人
- 時間
- ルバング島の兵士たち
- 私の中の日本人――岡田資
- ベトナムのこと
- 文学と人生
- 妄想的な現実
- 文章の技巧について
- 第二の戦後か
- ルバング島の悲劇
- 鷲の左眼
- 戦後文学の二十九年
- 戦後三十年
- ルバング戦記
- とまどいと不安
- ナポレオン法典について
- 兵本善矩の小説
- 色について
- 私と戦争
- 文学表現の特質
- チェホフの諷刺偶感
- 病後の読書
- 歪んだ空間の散歩
- パラダイム考
- 母成峠の思い出
- ジーパン是非
- 三十三年目の夏
- 文学の可能性
- 十五年目の『事件』
- へんな夏
- 感想
- 懐かしのホームズ
- はしゃぎすぎ
- 渦巻に呑まれて
- 吉村虎太郎とツマドイ婚
- ミステリーと私――『幻の女』のこと
- 『事件』が出来るまで
- 江戸川乱歩の詩
- 解説〔ロバート・トレイヴァー『裁判』〕
- 私の文章修行
- 推理小説耽読
- 二重の誤解
- わが家のマンガ事情
- 慢性的な年頭所感
- 熊楠びいき
- 忘れられない本
- ゲーテからランボーへ
- 推理小説自慢話
- 闇の支配者
- ことば
- 永遠の良人
- 孫悟空と両性具有
- 差別としての心不全
- ハムレット余聞
- 神話と文学
- 野川隆のこと
- 裁判と文学
- 母と妹と犯し――文学の発生についての試論――
- あるB級戦犯
- 「鷹」の変貌
- 木を見て森を見ぬ批評
- 三十八年目の八月に
- 一兵卒として――私の戦争論
- 『大いなる助走』解説
- 「レスビアニズム」考
- 出会い――ジル・ドゥルーズ
- ヘンゼルとグレーテル
- 『星の王子さま』考
- 好きな詩――「地面の底の病気の顔」
- 精神の偏り
- 運・宿・命
- 解説〔小林信彦『悪魔の下回り』〕
- 数学好き
- グリムを「おちょくる」
- にがい笑いと慰め
- 『山の民』と私
- 山月記をよむ
- 古代への憧れ
- 悲しい老人
- 東風西風
- サクラとイチョウ〔『朝日新聞』〕
- 一頁時評
- 視点
〔交友録 IV〕
- 吉田さんとのおしゃべり
- 松見坂付近
- アベック受賞
- 眼の相談
- 『文体』の思い出
- 淡島の家
- 大富部家のこと
- 加藤さんの印象
- 隣人大江健三郎
- 麦摘んで
- ぼけの上塗り
- 昔ばなし
- 誠実な態度
- 仮りの座標
- 強い人
- フクチャンの冒険――尾崎大人のこと
- 加賀さんの短篇
- ゴルフと英文学
- 古い馴染
- 三つの「作品」
- 「文学界」むかし話
- 碁ばなし
- どなり合い
〔追悼 II〕
- 雑感――「小説とは何か」に寄せて――
- 生き残ったものへの証言
- 思い出〔『文学よもやま話』〕
- 追悼 武田泰淳
- ゴルフの思い出
- 坂西さんの思い出
- 追悼 平野謙
- 選考と論争
- 思い出〔『文学生活』第七十五号〕
- 追悼 福永武彦――はるかなる死
- 古い友人として
- 預けられた仕事
- 三月三十日
- 碁の思い出
- 親しき者、みな去ると……――尾崎一雄追悼
〔書評 IV〕
- 『ひとびとの跫音』を聴く
- 遠山啓『無限と連続』
- くるめきの反=推理
- 民俗学の空間――谷川健一『白鳥伝説』――
〔映画・美術 他〕
- 空間の詩――吉川勉――
- 古代の美と私
- 生沢朗の絵
- 映像になった「事件」を見て
- 好きな歌
- 音楽
- 代々木の赤松と年上の女
- 信濃のデッサン館の印象
- 「アマデウス」を読む
- ルイズ・ブルックスと「ルル」
- わが青春のスクリーン・ラヴァー
- 夏川静江 イノセントな眼差し
- ブルックス現象
- 「ルイズ」から「ルイーズ」へ
- 性と知性のまやかあしの魅力
〔身辺随時 III〕
- 同級生交歓
- 子供の眼――関東大震災五十周年に寄せて――
- 歌がるたの思い出
- いろはがるた
- 渋谷小学校の思い出
- 『少年』こぼれ話
- 大向の明るさ
- サクラとイチョウ〔『成城学園六十年』〕
- うつりかわり
- 診断が早く適確な名医
- 酒との出逢い
- 恩師 小原先生
- おお、ケヤキ、なんじ病めり
- 瀬木先生の温容
- 病身
- 自然へのまなざし
- 若い日の私
- わが青春の成城学園
- よみがえった水の文化遺産
- そばの思い出
- 湧水ふたたび――「野川」を遡る――
解説 道化のような「死者」の肖像 (糸圭)秀実
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第22巻 評論IX 同時代5 1980〜1988
第23巻 雑纂・補遺・資料
別 巻 対談 二つの同時代史・フィクションとしての裁判 他
- 二つの同時代史
- I 意識の目ざめ
- II 大正から昭和へ
- III 文学的青春
- IV 子ども殺しと監獄体験
- V 戦前から戦中へ
- VI ミンドロ
- VII 『俘虜記』と『死霊』と
- VIII 「近代文学」の創刊と第一次戦後派
- IX 『武蔵野夫人』のころ
- X スターリン・毛沢東批判
- XI 「声」と「近代文学」の裏表
- XII 安保の時代とそれ以後
- XIV 三島由紀夫と花田清輝
- XV 七〇年代後半
- XVI 近況をめぐって
- フィクションとしての裁判〔臨床法学講義〕 大野正男
- 第一講 文学裁判
- 第二講 『事件』をめぐって
- 第三講 事実認定
- 第四講 誤判の原因
- 第五講 裁判の中心にあるもの
- 第六講 陪審
- 終章 「臨床法学」について
- 戦争・文学・人間 大西巨人
- 戦争・仏教・愛 武田泰淳
- 詩は行動する 吉本隆明
- 歴史・人間・文学 菊地昌典
- 水・音楽・ことば 武満徹
- 科学・生命・文学 渡辺格
- 追悼小林秀雄 伝えられたもの 大江健三郎
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