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  1994(平成6)年度  編集長/加藤達彦

  第6号 [1995.03]





  〈小説=主体の意識〉というドグマ / 山崎義光(D1)


 本年度ももう終りで、「サロン」も本年度最終号である。そこで、本年度の小研のテーマ「私小説」について、私自身の見解を若干整理してみたい。そもそも、私の関心は、「私小説」という範疇が暗黙のうちに前提とする小説観はいかなるものか、というところにあった。そしてそのことを考えることから、近代文芸に支配的な小説観[したがって、それは・作家・作者・読者・批評家・研究者等の区別を越えて支配的な小説観]もまた浮き彫りにされてくるのではないのか、と考えたわけである。極論すれば、「私小説」なる小説はそもそもないのであって、あるのはそのような理念のみなのだ、と考えたのである。したがって、具体的な一つの作品を取り上げて論じるという論述スタイルは、このような問いの立て方からして私にはそぐわないことであった。

 「私小説」は、小説を、外界と区別された内面的〈主体の意識〉として把える文芸観の一つではないだろうか。ここでいう「主体」は、〈作者〉・〈(語る/語られる)私〉・〈主人公〉等々と置き換えられてよい。また、ここで「意識」というのは、〈心情〉・〈心境〉・〈心持〉等々と置き換えられてよい。このように考えれば、「私小説」という小説理念においては、一般にそう思われているような作者=主人公という条件はむしろ二義的三義的な条件なのであって、主体の「心境」を提示しているように受け止められるという点にこそ、この小説理念の中心があると考えた方がよいことになる。実際、久米正雄は「「「私」小説と「心境」小説」(大14・1, 5)において、作者=主人公というだけでは単なる自伝にしかならないと述べ、それが「心境小説」(=芸術としての小説)であるためには「コンデンス」が必要だとし、「心境小説」たりえているものこそ「私小説」だと述べているのは、おそらくこのことである。このような視点に立って初めて、「では主体の「心境」が提示されているかのように読める小説のストラテジイはいかなるものか」という問いがなされうる。少なくとも私の視点からはそうなる。そこで、柄谷行人のいう「風景の発見」「内面の発見」「告白という制度」(『日本近代文学の起源』)を想起してもよいし、具体的な作品として「城の崎にて」などを想起してもよいだろう。

 そして、芥川龍之介の「詩的精神」もまた、「私小説」という一つの小説理念と、〈小説=主体の意識〉という小説観を共有してかなりの程度で重なるものである。「詩的精神」という点に既に「意識」との類縁性が呈示されているが、志賀直哉の小説を「リアリズムに東洋的伝統の上に立った詩的精神を流し込んでいる」と評する一方、「志賀直哉氏の作品は何よりも先にこの人生を立派に(引用者注―「道徳的に清潔に」)生きている作家の作品である」と述べており、暗に「詩的精神」は〈作者〉の精神とされているのである。

 このような〈小説=主体の意識〉という文芸観が、ごく近時の研究書にまで脈々と受け継がれているのだということに、年度末の今回は特に注目してみよう。ここでは、紹介をもかねて、安藤宏の『自意識の昭和文学』(至文堂 平6.3)を取り上げよう。

 この書の題名「自意識の昭和文学」から既に知られるように、「文学」(ここで取り上げられているのは小説)を、「意識」(>「自意識」)として把えている。安藤は、〈「文学」(小説)=「意識」(「自意識」)〉とし、「語り手の自意識」(p.54)を考えようとするところから、「私小説」・「小説の書けない小説家」小説[ともに、「語り手」が自らを主人公として書く小説、書き手=書かれる主人公]を取り上げて論じている。このような視点は、とりあえずは、自伝=私小説(作家=主人公)という視点ではないことには注意すべきである。これについて安藤は次のように記している。

「私小説」のモチーフは作者の実生活の「再現」にあるのではないし、内容が正確な事実であるかどうかも、ほとんど問題にならない。重要なのはただ一つ、語り手と、語り手の密着してゆく視点人物(主人公)とが同一人物であり、なおかつそれが「小説家」であること。それが読者に間接的なコンテクストを通してであっても推測可能な形で書かれているならば、たとえいかなる虚構が入ろうとも、その小説は一人の人間が自分自身の「見え方」を問う「私」小説として、独自に機能し初める契機が内在しているものと考えられるのである。(p.40)

 ある特定の作者・作家・人物のではなく、一般化された仮想的「語り手」が自らの「「見え方」を問う」小説の流れ、すなわち仮想的主体の「自意識」なるものの変容の歴史が問われているのである。そして、確固とした自意識から、揺れ動き朦朧とした自意識が、または実体としての「私」から、現象としての「私」が、「文学」(小説)において浮上し、注目されたのが「昭和文学」だというわけである。

 それを安藤は、第一章で、牧野信一『鏡地獄』、川端康成『油』、梶井基次郎『路上(目黒雑記の一)』、堀辰雄『恢復期』からの引用を踏まえつつ、次のように述べている。

これらはいずれも「私」内部のズレの連鎖が、そこに潜在していた無意識や夢(幻想)の世界の呼び水となる、まさにその生成の磁場をうかがわせるものであるにちがいない。従来「私小説」リアリズムは幻想や夢を描く物語り文学(虚構)の対立概念としてとらえられてきた。おそらくこうした発想に立つかぎり、それは虚構を構築してゆく創造力の欠如、ないしは本格的な「客観小説」の発達を妨げてきた元凶として片付けられてしまうわけで、むしろ「私」の見え方に徹底してこだわるその自意識は、本来その内部に「夢見る私」までをも導きだしてしまう契機を抱え込んでいたのではあるまいか。「物語(ゆめや幻想を含む虚構世界)」と「私小説(日常的リアリズム)」とを相容れぬ二項対立と考える発想を、われわれはこのあたりで根本的に考え直してみる時期にきているように思うのだ。(p.20) 傍線は引用者

 さらにまた、第二章では「「私小説」の定義」(p.32〜35)をしつつ、「大正の末期には志賀直哉の心境小説があるべき最高の小説形態として称揚されるようになるのだが、それが一個の理念として確立されてゆく瞬間には、同時にそれをなぞりきれぬさまざまな動きを内部から生み出しつつあった。一九二〇年代前半にかけてのこの時期、牧野や川端らは、「私」を一個の流れゆく現象へと変位させてゆく潮流を、すでに一つの方法論として確立しつつあった」(p.23)という、そのながれのなかへ「晩年の芥川龍之介」をも位置づけ(p.22〜p.26)、その史的観点からの展望を示しながら、以下各章の「具体的作品分析に力点を置」(「あとがき」p.248)いた論述に入っていく。

 安藤は、「「物語(ゆめや幻想を含む虚構世界)」と「私小説(日常的リアリズム)」とを相容れぬ二項対立と考える発想を、われわれはこのあたりで根本的に考え直してみる」べきだと述べ、また「「私小説」のモチーフは作者の実生活の「再現」にあるのではないし、内容が正確な事実であるかどうかも、ほとんど問題にならない」とも述べて素朴な反映論を退けてはいるのだが、しかしそれは「語り手の自意識」として小説を取り上げる限り、なお作家の自意識と連続して把えられてもいる。作家の自意識として「作家」を安易に実体化することは避け、「語り手」を設定して物語世界内のレベルで論を進めながら、それによって時代の「自意識」という一般化への道を確保する同時に、「作家」の自意識を提示しようとしてもいるのである。「あとがき」に「状況と表現とを媒介する「作家」の像は決して消していない」と記すゆえんである。だからといって、ここで私の立場とは異なるとしたり、論難したりしたいのではない。そうではなくて、ここで問題にしたいのは、前提とされている〈「自意識」=「小説」〉という視点の限界なのである。その意味において、この安藤の論の枠組みは、例えば伊藤整の『文学入門』(光文社 昭29・10。ただし、昭31に改訂。引用は『改訂版』から。)の流れを汲んでいるのではあるまいか。この書の中で伊藤は、小説について次のように述べている。

理論的に言っても、事実そのままでは芸術になるものではない。芸術は、事実と違って、感動が一つの思想によって統一され、リズムを持った独立した世界を作っていなければならない。じっさい起った事件をそのまま描くよりも、べつな作り物の筋にした方が、作者の抱いている思想をもっと巧妙に表現することができるものなのである。だから事実をそのまま書いたと思わせている私小説でも、本当は、いろいろな手を加えて、作り直してあるものが、かなりある。(p.72) 傍線引用者

 安藤は、「従来「私小説」リアリズムは幻想や夢を描く物語り文学(虚構)の対立概念としてとらえられてきた」とし、「「物語(夢や幻想を含む虚構世界)」と「私小説(日常的リアリズム)」とを相容れぬ二項対立と考える発想」を見直すべきだと述べていたが、伊藤においても既に、私小説もまた「作り物」であるという前提に立ち「フィクションとしての小説」という枠内で考察しているのである。しかし、まず伊藤の引用から注意すべきは、(1)「作り物」/「事実そのまま」の二項が前提的に区別されていること。そして(2)統一された「作者の抱いている思想」が、作品を通して「表現」されるされていると述べていること。これは、あらかじめ存在する「思想」が、言語を介して二次的に〈表〉に〈現〉されることを意味していよう。すなわち、思想の〈伝達〉という暗黙の前提である。(1)(2)を組み合わせると、「事実そのまま」→(「感動」)→「思想」→(「表現」)という過程が、前提となっている。

 伊藤と安藤との(1)の論点での違いはここではおくとして、(2)の点での違いに注意しよう。「小説の書けない小説家」小説を論じる安藤は、伊藤のように、あらかじめ存在する「思想」が「表現」されるとはせず、むしろあらかじめ「思想」など存在せず、書けないという意識そのものが小説と化しているのが「自意識の昭和文学」だというわけである。両者の偏差は、伊藤があくまで〈作者〉を中心としているのに対し、安藤が〈語り手=「私」〉を中心としているところにみられる。それは、伊藤が大正的心境小説を中心に据えているのに対し、安藤は昭和的「小説の書けない小説家」小説を中心に据えているところに起因していよう。

 だが、これらはあくまで偏差であってむしろ両者の視点=方法の類似性にこそ注目したい。伊藤が、「感動」「思想」「エゴ」といい、安藤が「自意識」というところから、まず両者がともに「意識」を機軸にしていることが知られよう。また、伊藤が、「とくに日本人は、タテにわれわれを感動させる生命の認識にのみ敏感であって、ヨコの問題、すなわち社会関係において、ものを考えることはへたであり、本質的にそれを嫌う傾向がある」(p.172)として、「下降認識と上昇認識」という術語で説明しようとしたことはよく知られている。なぜ「生命の認識」が「タテ」で、なぜ「社会関係」が「ヨコ」なのかとは、ここでは問わない。問題は、〈上―下〉の区分が〈身〉を基準に立てられる区分であるという点である。一方、安藤は、市川浩流の身体論(『精神としての身体』勁草書房 1975・3、『〈身〉の構造 身体論を超えて』青土社 1984・11)を下敷きとして、「自意識」の運動が、市川の「錯綜体としての身体」ならぬ、「現象としての「私」」(これを言い換えれば《「私」という〈身〉の錯綜体》ともいえよう)を立ち上がらせるというのである。両者の論の基底に通じている視点=方法は、主体の〈身〉分け構造なのだ。このことは、伊藤が「作家」の生活から論じて(「仮面紳士」(ヨコ)と「逃亡奴隷」(タテ)の区別もよく知られているだろう)、小説の表現を論じるに至るのと同様、安藤もまた主体(語り手=「私」)の延長上にある「状況と表現を媒介する「作家」の像を決して消してない」ことからも確認できよう。

 以上のような伊藤整から安藤宏へいたる〈身〉を機軸にした方法からは、〈小説=主体の(自)意識〉という枠組みからぬけだせない。問題は、この枠組みの狭さ、問いの設定からする射程の狭さなのだ。

 例えば、安藤は、第二章の「描くことと語ること」で、「仮構を一個の「もの」として提示するのではなく、「もの」を語るという「こと」を通して、いわば語るという行為それ自体を表白してゆくという伝統」が、『源氏物語』以来あったが、日本の近代文学は、まずは語ることの排除を目指しつつ、しかし「両者を同時平行的に交錯させてゆく方法論にこそ、西欧十九世紀のリアリズムを換骨奪胎してゆく近代文学独自の独創性がかけられ」ることによって展開されてきた、という。だが、そもそも安藤が安易に用いる「語り」こそが、黙って読むことにおいて享受される小説においては比喩なのだということに注意すべきであろう。「語り」という「語り手」という主体を暗示するメタ言語(小説について論じるための言語)によって、小説のエクリチュールは主体の意識へと還元されてしまい、メタ言語の自律という事態がここにはみられるのである。横光利一の小説(「蝿」など)や稲垣足穂の『一千一秒物語』などを想起しても、これらを「語り」「語り手」の喩で解析することの不適切が思い致されるであろう。「語り」とは、すぐれて比喩的なメタ言語なのだということにはよほどの注意が必要である。このようにみれば、ますます安藤の論の設定からする問題点が露呈してこよう。

 私は、安藤の論を否定するというのではない。それが、近代文学の一つの側面を照射したことについてはむしろ積極的に評価してもよいだろう。だが、〈小説=主体の意識〉と考える発想を、われわれはこのあたりで根本的に考え直してみる時期にきているように思うのだ。

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