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  1994(平成6)年度  編集長/加藤達彦

  第2号 [1994.06]





  「私小説」というカテゴリー / 山崎義光(D1)


 『ことばと身体』(勁草書房 1990.1)の尼崎彬は、言葉の用法とともに学んでいくカテゴリー(カテゴリー形成)と、生物学者が種を分類していくときのカテゴリー(カテゴリー分類)との、「カテゴリー」の二つのタイプを区別している。今、この考え方を「私小説」というカテゴリーに当てはめて考えてみよう。

 カテゴリー分類の方法的特徴は、全体から出発して境界の決定によって部分を作り出すことである。分類とは、一つの上位カテゴリーを複数の下位カテゴリーに分割することであり、そこではつねに階層性があらわれる。この方法に従えば、「小説」全般を境界線によって区別した一領域ということになる。それに対して、カテゴリー形成の方法的特徴は、代表的な事例から出発して、それに似たものを次々と連結してゆくことによって全体を作ることである。この方法に従えば、「私小説」とはある事例との類似例、またその類似例との類似例といった具合に、「友達の友達はみな友達」式に、「家族的類似性の網の目」として形づくられるカテゴリーということになる。

 「私小説」なるカテゴリーが、そもそも大正末における時事的な小説批評から発生したことを踏まえて考えるならば、われわれはこのカテゴリーをある種の内包をもった小説の分類名としてではなくて、「家族的類似性の網の目」によって形成されたカテゴリーとして考えなければなるまい。ここで思い出されるのが、中村武羅夫や久米正雄が「私小説(心境小説)」として名指していた具体的な小説(家)がどのようなものであったかである。中村がまず挙げていたのは、佐藤春夫「その日暮らしをする人々」「侘びしすぎる」、永井荷風「あめりか物語」などであったが、佐藤春夫や荷風などの名は、一方で谷崎潤一郎とともに反自然主義の傾向の作家として「耽美派」などの名で数えられる作家である。だが、これを矛盾として受け取る必要はないだろう。そうではなくて、「私小説」や「耽美派」といったカテゴリーが分類名であるという先入見をこそ捨てるべきなのだ。このことは作家の分類にとどまらず、個々のテクストを「私小説」とか「耽美的小説」とかとレッテルを貼ることによってあるカテゴリーに分類することへも適用されよう。すなわち、どのような角度からそのテクストを受け取るかによって、そのテクストの見え方が変化する。したがって、あるテクストが「私小説」であるかないかを問うのではなくて、いつどのように見た(見えた)とき「私小説」か、あるいは、どのようなテクスト群の集積をどのような角度から見たときにいかにして「私小説」なるものとして受け取られるのか、と問うのが妥当であると、私には思われる。

 最後に、イルメラ・日地谷=キルシュネライト『私小説 自己暴露の儀式』について一言付言して終えたい。キルシュネライトの「私小説」研究は、「私小説」なる小説が存在することを前提とし、それがどのような基準によって境界線を引かれるのかを問うている点で、「私小説」をカテゴリー分類の方法によって追求した研究である。そこで提示された構造モデルを頭から否定するつもりはないが、しかしそのような仮説がいかなる前提と方法のもとに試みられたものであるかを踏まえなければなるまい。

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