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1997(平成9)年度 編集長/森岡卓司
第3号 [1997.12]
研究の間奏としての感想(2) / 山崎義光(D3)
今年度は伸宏先生の演習にのみ出ている。この演習では毎回自由に論じ自由に発言するなかで、興味深い論点が提出されている。つい先日(十二月二日)の浅村君の『残菊』についての発表とそこでの討議も興味深いものであった。そして、いくつかの漠然とした印象と関心をもった。
一つには、なによりも、私が私のことについて書くという自叙的な枠組みにおいて孤独な主人公の「内面」が書かれたとでも評せられるにちがいないこの小説が、私には典型的な近代小説の枠組みをもった小説だという第一印象があったことである。また二つ目に、明治二十二年に発表されたという『残菊』は、近代的な小説という言説ジャンルそのものが試されていた時期に書かれたものであったはずだという観点から、なにゆえにこのような機構を有した小説が、近代小説が言説ジャンルとして成立する過程において書かれているのかということも興味深い問題であった。そして三つ目に、病によって覚醒する「私」というモチーフは、私自身が今年度の院演習で取り上げた島木健作『盲目』に近似している。最後のシーンでは、病重く「真黒な穴の中」におちていくとき、「黒衣」の人に指し示された「あの火」の光に向かおうとするとき覚醒する。闇の中の実存が光によって覚醒するという主要な隠喩的構図までが、島木の小説とも対応するのだ(実は違いをこそ言い立てねばならぬところなのだが、ここでは省略する)。
これらの漠然とした印象や関心に対して、ここで十全な形で答えられるだけの力量は私にはない。が、演習の時に出席者の間から提出された論点を私なりに統合しながら、『残菊』を分析することによって、いくらかの私なりの見通しを示してみたい。完全な形での『残菊』論と小説ジャンルの成立の問題については浅村君が修士論文で書いてくれるに違いないので、われわれはその後日に期待することにしよう。
『残菊』の分析 まず、この小説において「内面」描写とみなしうるような描写法を構築しようとしたのだとして、そのときにどのような物語の機構が取られたのか。この問いに答える手掛かりとして、構造的な問題として〈語り〉の審級の特徴を分析してみよう。
まず、語り手の現在は、おそらく二十五歳になった「私」であり、その「私」が十九歳のときに死に臨んだ際の「悲しさ名残惜しさ」「其時の私の心」について語るという額縁になっている。この小説の語り手は、語られる「私」と連続的な物語世界にあって時間的に後になる語る〈私〉であり、そのような時間的な偏差のうちに十九歳の「私」を二十五歳の〈私〉が語るという等質物語世界的な(自己物語世界的な)〈語り〉であるとまとめられよう(1) 。ここで確認しておきたいのは、私が時間的な偏差として二重化していることである。浅村君は、「語り手の〈私〉と語られる「私」との区別は問題にはならない」というようなことを発表で述べていたが、しかし、そもそもこのような私の二重化は自己物語においては必然的であることは踏まえるべきである。「私は死んだ」と語ることは、そう語る〈私〉が生きていること、生きていなければ語ることができないはずであることと矛盾してしまうというかぎりで、この二重性はなくならないのだから。だがそれを踏まえてもなお「問題にならない」と言い得るのだとすれば、それは十九歳の「私」に焦点化され、語っている〈私〉の現在が後景化していて、二重化が、相反する認識をもった者の分裂としては読んでいてあまり意識されず――「私」と〈私〉の認識の違いがあまりないということ――、それゆえに「問題にならない」という限りにおいてである。そして、この「問題にならない」かのような〈語り〉によってこそ、他者の関与できない「内面」空間の直接的な現前が表現可能になると考えられたのではないか。
〈語り〉の審級の問題の次元で、もう一つ注目しておきたい。語る〈私〉についてである。バフチンは「叙事詩と長篇小説」(2) において、小説をそれ以前の叙事詩との違いから述べて、絶対的過去を語る叙事詩に対して、語られる物語と語ることとの次元の差がなくなることが「小説」というジャンルの特徴であるというようなことを述べている。このような事態は、『残菊』の語り手が、語られる十九歳の時の「私」自身の物語世界と連続的な世界に属していること、そして、差し当たって死ぬことはなかったが、肺結核から癒えておらず、今もなお十九歳の時以来の病を抱える者であることに照応する。すなわち、語られた「私」と語る〈私〉との相対的な時間的偏差――過去と現在――において二重化し、語られた「私」の「悲しさ、名残惜しさ」が語っている当の〈私〉の身に今もなお再び訪れ(う)ることであることも含意される。谷川恵一は、この小説は、一度目は物語られる過去の「私」の準位に即して、二度目は語る現在の〈私〉に即して、二度読まれるべきであると述べている(3) が、これは、語られる対象としての物語と、語っている現在とが地続きであって、物語る行為が物語られる内容と無縁ではなく、物語られた内容が、物語る行為自体の意味へと跳ね返ってくるという構造を、この小説が有していることを指摘していると言い換えられよう。このような〈語り〉の構造の問題からも、近代的な小説という言説ジャンルの創成期において何が試みられていたかを、同時代的に考察する手掛かりをえられるのではないだろうか。
次に、以上のことを踏まえながらも、今度は、登場人物の認識―行動―発話が物語られるときの規則(以下「〈家族〉の法」と呼んでおく)を概括してみよう。これは物語世界内の人物の関係がどのようなものとして語られているかという物語内容の次元での考察になる。
まず、父は死んで既におらず、お香の良人は洋行で不在であるこの家族内で、「母」を心配させまいと「嫌な病でハあるまいか」という疑念を隠し「心尽くし」をするお香と、「医者の言葉」を隠す母の「恩愛」というような、母―娘(お香)二者の関係が、それ以外の第三者的で外的な者の言葉 ――病名をめぐっては「医者」。この医者は、「良人の友人で長く洋行して居た事もあり[中略]殊に肺病には中々名誉な人」だとされてもいるように、〈父〉の座を占める―― の超越論的な範域において各々自主的に発話を規制している。母はどうやら「医者の言葉」(お香が肺結核であること)を聞いており、それは近い将来のお香の死を意味してしまうがゆえに、娘の死を願うことの非妥当性に照らして隠そうとする。それに対して、お香は自らの病状を自分で判断し、どうやら肺結核らしいと思うのだが、とりあえずは「医者の言葉」どおり(気管支加答兒)にうけとめようとし、自分の疑念を語らずにいる。両者が隠すのは、端的に言えば母子の情によるのだが、そのような情を持ち合うのはさしあたって母―子(家族)だからだと答えられるだろう。そして、「家族」が家族たりうるのは、他の人間関係の諸可能性(主従関係、友人関係等々)を排除する働きを介してである。この働きを担うのが〈父〉である。そして、〈父〉によって囲い込まれた範域として〈家族〉が成り立ち、そこが生の場となって、それを維持することが生きることの意義となるような関係、そのような事態が濃密な形で生じているのが、ここでいう「母子の情」――恩愛と心尽くし――である。親族関係にあたるお花(や伯父伯母)も〈家族〉に準じているといってよかろう。
「私」の関心は常に〈家〉の人々との関係を基調にしている。例えば、「私の履歴」は父の名から語られ始め、その父を四歳で亡くした後、母は幸いにも「親類に見落とされず」、「桜井家の血統を絶すまい」と思うことから「そのためには私の教育が第一」と東京に出て、母の兄である「伯父」の世話になる。そして、伯父の息子である「従兄弟」の小太郎と結婚しお蝶をもうけたと語られる。「私の履歴」は基本的に〈家〉の文脈の中で語られる。また、病に臥せる「私」が気遣うのは、「まして最愛のお蝶、お蝶自慢して見せうと待た良人、便りなき母―幾箇あつても惜しいものを、実の所仮令死んでも生て居たう御在ました」というように、〈家〉族のことである。そして、〈父〉は、もはや具体的人物(お香の父正一や良人小太郎)を指すのみでなく、この物語の基調をなす人物関係、〈家〉、を成り立たせる働きの要になる規範(者)のことである。逆に、家庭内で〈家族〉の法を破ってしまうのが、家の内で一緒に住みながらも家族関係からは半ば外部の立場にある「乳母」であり、また、〈家族〉の法を行動―発話の原則として内面化し得ない幼いお蝶であることも、〈父〉の範域の境界にいるという意味から理解できよう。
浅村君が注目していた、「です・ます」の文末表現をともなう主述関係の備わった文体から、「……」が頻用された断続的な独白体へという、文体上の変化についても、ごく大ざっぱで不備ながら私なりの論じる手掛かりを述べてみたい。この変化は、〈家族〉の法に則った物語のディスクールに、病が重くなり意識が朦朧となるようになるに従って、それを通じて「妄想」に憑かれた「私」の――受話者を欠いた意識内の発話過程が現前しているかのような――独白的ディスクールが現れるというように、「私」の病が重篤になっていくという物語展開上の変化に対応するものだと了解できる。「私」の死への漸近が、述べたような〈家〉の人間関係から離脱していくことを意味するのであれば、母―子関係を基盤にした語りから、「私」個人の語りへと漸近していくことだと見なしうる。が、しかし、純粋に〈家族〉の法を離脱した次元での語りは生成することなく、ただ〈家族〉の法に則った物語が断片化し消失しようとするという消極的否定的な形式において辛うじて逆説的に提示されている。ラストシーンの、「黒衣」の〈父〉に導かれての「あの火」=「良人」のもとへの回帰は、〈家族〉への回帰であり、それはすなわち〈家〉の言葉の回復でもあろう。
「私」が病によって死に漸近していく過程の物語は、父をなくし「良人」も不在の母子関係を前景化した、「私」が子である家族内で生じていた。それ対して、最後の一文で示されるように、死に瀕した病から一時的にであれ小康を得て、「良人」が帰宅し子の成長を祝う家族が示されるという、「私」が母である家族関係を前景化すること、すなわち、「私」が〈子〉であることから〈母〉であることへの偏差をみせてこの小説は終わる。このような物語内容は、語られる「私」(=子としての「私」)と語る〈私〉(=母としての〈私〉)という、述べたような〈語り〉の審級の構造に対応する。したがって、先に述べた〈語り〉の審級を改めて端的に言い直せば、〈母―子〉関係と類比的な等質(自己)物語世界的な語りの構造といえようか。
ところで、これは蛇足になるかもしれぬが、『残菊』に対して、典型的な近代小説の枠組みを看取したことの背景には、『存在と時間』(ハイデガー)があった。……死は、万人におとずれる必然的な可能性でありながら、それを誰も経験することができず、しかし誰もに「固有に」訪れる可能性である。そして、そのような死の隠蔽の手立てとして諸々の社会の秩序が組み立てられている。死を隠蔽した社会の枠組みに順応し「世人(ダス・マン)」へと頽落した実存は、己の本来的な死の可能性から遠ざかることにおいて、己の存在の固有性本来性を忘却して生きている。だが、死に臨んだとき、人間は、己に固有の死を隠蔽することなく向き合うことによって自らの本来性を自覚し、「世人」への頽落から身を引き離して単独化する……。『残菊』に即して言えば、「私」は、死に臨むことにおいて、己自身の本来的な実存に立ち返る地点に漸近し、そこにおいて己に固有の生の可能性を自覚する。特に物語言説に即して言えば、独白的な〈語り〉が生じる可能性の地点――「……」によって〈家族〉の法に則った物語が失効しようとする地点――において、あたかも「内面」空間が開示されてくるかのような事態に対応するだろう。ただし、このとき自覚された「生の可能性」は、〈家族〉という「姓」の自覚であり、また母という「性」役割の自覚への回帰だったりする。これは、『存在と時間』のハイデガーが、人間=現存在の「宿命的運命」、すなわち民族共同体の本来的生起こそが、現存在の完全な本来的生起をなすのだという(4) のと対応すると考えられるかもしれない。……
紙数も頃合いのところに……締め切りの……時間も迫って……本当はM岡君も推奨する笙野頼子の小説……突然に訪れた誰とも知れぬ電話の主の言葉によって駆動する物語で、語る(書く)ことの失効する地点を浮沈する『タイムスリップ・コンビナート』……〈母〉の圧制から、「私」の身体の異常を介して、語る(書く)ことによって〈母〉を脱構築する『母の発達』についても……書いて……みたかった……のだが……、いかにせんよく読む間もなく……いかにも残念なことだが……「さよならッ」……。
《注》
(1) J・ジュネット『物語のディスクール 方法論の試み』(水声社)を参照。
(2) ミハイル・バフチン『叙事詩と小説』(新時代社)
(3) 谷川恵一『言葉のゆくえ―明治二〇年代の文学―』(平凡社)
(4) 『存在と時間』第二編 第五章 第七四節。なおこの点については、高橋哲哉『逆行のロゴス』(未来社)所収の「回帰の法と共同体――存在への問いと倫理学のあいだ」を参照した。