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1997(平成9)年度 編集長/森岡卓司
第1号 [1997.04]
研究の間奏としての感想 / 山崎義光(D3)
村上春樹『アンダーグラウンド』を読んだ。地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめたものだ。村上春樹が「地下」鉄サリン事件に注目するのは、すでに誰もが読む前から気づくことであるが、本人も記しているように、「地下の世界は私にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり舞台であった。たとえば井戸や地下道、洞穴、地底の川、暗渠、地下鉄といったものはいつも(小説家としての、あるいは個人としての)私を強くひきつけた」からである。具体的なイメージ図式としては、「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』においては、地下世界は物語の中で中心的な役割を果たす。[中略]それはもちろん物理的なアンダーグラウンドであると同時に、精神的なアンダーグラウンドでもある」と本人が記すとおりであろう。「河合隼雄に会いに行く」のも、村上的想像力の構図に照らしてよく納得される(私はこの本を読んでいない。まつーらさんは読んだそうだ)。というのも、ユング派精神分析の立場にある河合の場合、意識/個人的・普遍的無意識という無意識のイメージ図式(後掲の図* を参照のこと)は、村上が「マグマ」の隠喩で語っていた[716頁]のと対応するように、まさしく地上/地下の図式と対応するからである。
そのような“俗情(通俗的イメージ図式)との結託”には、いささか注意深く距離を持たなくてはならないのだが、私が村上的想像力の嗜慾に興味をもったのはやはり「地下(アンダーグラウンド)」というトポスへの注目にある。前号「うずまき」にも、「地下」というトポスにおいて村上・大江の小説と昭和十年前後の問題群とが通底しているのではないかと書いた(「お雑煮」)ように、この本を読む前、近代小研では「昭和十年前後の“夢と知性”」と題して座談会があった。それもあって、私は『アンダーグラウンド』を読みながら横光利一の「純粋小説論」を、そしてまた昭和十年前後に提起されていた問題群(不安・偶然性・自意識)を思い出していた。
『アンダーグラウンド』では、各インタビューの構成が、 これまでどのような人生を送ってきたのかという個人的な生活背景についての質問をし、そのうえで 当日どのように行動したかを聞いて、最後に オウムに対して今どう思っているかを尋ねるという構成に、おおむね、なっている。各人の話を照らし合わせると、当然のことながら、全く顔も知らない人達が、全く異なる目的で、一九九五年三月二〇日の朝八時過ぎに地下鉄に同乗していたことの「偶然性」が否応なしに感じられる。もとよりそこには蓋然性はあるともいえそうだが、しかしたまたまその日バスが遅れていつもの電車に乗り遅れたために事件に遭遇したり、年に一度の仕事に出掛けて事件に遭遇したりしているのをみると、その日たまたまという感は否めない。この圧倒的な「偶然性」の感覚と、近代以降の都市空間の構成、なかんずくこの場合は「地下鉄」との関連が思い至される。「地下鉄」に同乗していることには、同じような場所で似たような仕事をしているから同乗しているという程度の社会学的・統計的な蓋然性はあるものの、やはり同乗していることは事件が起こらなくとも偶然の出来事だといえる。事件はそのような普段はほとんど意識されることのない〈その時・その場に〉居合わせていたことの偶然性を露呈させたというべきであろう。普段〈意識〉されることのない都市型社会生活上の構造は、主体的な〈意識〉にとって潜在的な(偶然の)構造であるがゆえに、その性質は〈無意識〉と近接する(1) 。そもそも地下が都市の構造として組み込まれ(2)、さらに地下鉄が敷設され始めた十九世紀末(3) にこそフロイトの無意識の発見があったのは偶然以上の意味があるのではないだろうか。
そこで、横光の「純粋小説論」(昭10)だが、このエッセイではまず、現代の社会生活において「自意識」と「偶然性」が主要な関心事として見出されたという認識が語られている。それは述べたような、(そしてこれまでしばしば各種領域の論者が論じてきたような)、近代的都市空間のはらんだ性質とその中で生きる現代人の生活感覚と結び付いた認識であるといえよう(『上海』がすでにそのような時代の性質を形象化している)。そして、「自意識」と「偶然性」について横光は次のように述べていた。
人間の外部に現れた行為だけでは、人間ではなく、内部の思考のみにても人間でないなら、その外部と内部との中間に、最も重心を置かねばならぬのは、これは作家必然の態度であらう。けれども、その中間の重心に、自意識といふ介在物があつて、人間の外部と内部を引き裂いてゐるかのごとき観を呈せしめてゐる近代人といふものは、まことに通俗小説内に於ける偶然の頻発と同様に、われわれにとつて興味溢れたものなのである。しかも、ただ一人にしてその多くの偶然を持つてゐる人間が、二人以上現れて活動する世の中であつてみれば、さらにそれらの偶然の集合は大偶然となつて、日常至る所にひしめき合つてゐるのである。
これを次のように展開して理解するのは恣意的に過ぎるだろうか。すなわち、「外部の社会空間だけでは人間を理解できず、内部の意識だけでも人間を理解できず、その内部と外部に通底する不可分の関連にこそ重点を置かなければならない」。このように読み替えれば、これは村上が「地下世界(アンダーグラウンド)」を「物理的なアンダーグラウンドであると同時に、精神的なアンダーグラウンドでもある」と述べていたのと重なってくる。横光は好んで意思の流動的な人物と、関係の関数として動く人物(関係)を形象化したが、そのような関係の関数としての主体のありようが「自意識」である。自律的で独立した人間(であるべきだ)という近代的個人主義社会が前提とする理念型(虚構)からは遠い認識である。村上春樹も、地下鉄サリン事件から、とくに一般市民の側とオウムの側との関係について、同じような認識を再確認している。すなわち、懸命になって〈あちら側〉のオウムを否定しようとする衝動は、実は〈あちら側〉の性質が〈こちら側〉の市民に通底してしまっていることが密かに感受されているところからきているのではないかという。「私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影であるという場合が少なくない」のであって、実は「「こちら側」=一般市民の論理とシステムと、「あちら側」=オウム真理教の論理とシステムとは、一種の合わせ鏡的な像を共有していたのではないか」と述べている。このような認識の仕方は、すでに村上春樹の小説においても十分にうかがえる。『カンガルー日和』に収められた「鏡」、そして『ねじまき鳥クロニクル』の「私」と「綿谷ノボル」との関係は、ここでいうような「合わせ鏡」の関係であったろう。麻原の自我に、積極的に自ら従属して自我を譲り渡した信者の構図がいかにバカげてみえようとも、じつはそういう「自由からの逃走」は形を変えて潜在的に一般市民の側にもあるのではないかというようなことを述べている。そして、村上自身の仕事はそういう「物語」の構図を異化する「物語」を提示することだというようなことを述べている(704頁)。
しかし、このような認識から出発しはするものの、村上はそれ以上に展開しきれていない。むしろ、〈あちら側〉/〈こちら側〉とわけて思考することを退けておきながら結局またそれを引き入れてしまっているようにみえる。それはこのような問題に対して「より深く豊かな解決に至る道が存在しているのではあるまいか」[714頁]という構えで望んでしまう点にあるように思われる。村上は、〈こちら側〉とその「足元の下の暗黒=地下(アンダーグラウンド)」(〈あちら側〉)とはつながっているが、それを表に出してはならない、隠蔽しろという。「何があっても解き放たれてはならない。またその姿を目にしてもならない。私たちは何があろうと、「やみくろ」たちを避けて、日の光の下で生きていかなくてはならない」というわけである。具体的には、「危機管理の体制」が杜撰だったという[721頁]。〈あちら〉と〈こちら〉はそもそもつながっているのだから、つながってしまわないような「管理」が必要だというわけである。これは、そもそも切れているという認識(一般的見解)であるか、そもそもつながっているかという認識(村上の出発点)であるかの違いはあっても、結局〈あちら〉と〈こちら〉をわけてつながらないようにすべきだという点ではかわらない。言い換えれば、オウム事件は、〈あちら〉と〈こちら〉の「目じるしのない」ことを露呈させてしまい、つながってしまった事件であり、その意味で「目じるしのない悪夢」であったが、〈あちら〉〈こちら〉という「目じるし」をつける「危機管理の体制」によって「解決」せよというわけである。ここからは、麻原に自我を譲り渡した信者を批判的に述べたはずの村上が、それとは名指さないながらも「危機管理」をする何者かにすがろうとしている姿に見えてこないだろうか。もちろん、麻原のような人物に集約された具体的な超越的な身体ではなく、「管理システム」という不可視の、具体的な身体に集約されない、抽象的な(それゆえに遍在する)超越性を指している。ある意味では、それが次善策として必要なものであるとは私も思う。しかし、このような「解決」を強く主張することには、私はとても大きな異和感を感じる。ここに、そもそも「解決」しようとする構え自体に対する疑問が浮かび上がる。「ハルマゲドン」(最終戦争)を信じたオウムの姿と、最終的な「解決」を目指す姿勢とに類似性がほの見えるからだ。
大澤真幸『虚構の時代の果て――オウムと世界最終戦争』(ちくま新書)は、大変鋭くオウム事件を分析している。事件の把え方は村上春樹の出発点と共通しているのだが、それにたいする処方の仕方が全く異なる点で際立っている。村上が〈あちら〉と〈こちら〉を分断し、〈あちら〉を隠蔽しろというのだが、大澤は「共存」するしかないという。私はこの違いこそが重要に思える。端的に言って、村上の処方はナチズムを心理社会学的に分析したE・フロム『自由からの逃走』の枠組みを大きく出るものではない(麻原をヒットラーになぞらえたり他我への自我の従属というみやすい分析からは、実際念頭にあったのではないかと感じるほどだ)(4) 。さすがに、真の自我の確立とはいわないが。
取材を通して「自分の置かれている立場は、好むと好まざるとにかかわらず、発生的にある種の傲慢さを含んでいるものだ」という基本認識を持つべきだったと反省しているのが印象に残った。これは、論じる者と論じられる者とが同一の地平にたっており、そのような地平における相互の位置とその意味についての自覚が否応なく自覚されるということでもあろう。『アンダーグラウンド』を読んでいて、私の実家の最寄り駅(JR総武線「下総中山駅」)を使う人がでてきたり、埼玉県の「松原団地」に住む人が何人かでてきた(「松原団地」は私の生まれる前に私の一家が住んでいたところで、私の兄弟はそこで生まれている)。マップでみるかぎり、私自身が、被害者でもありえたという気持がなくはなかった。実際私の兄は地下鉄で通勤しているし、サリン事件の数日後に成田空港がちょっとした警戒体制になっていたのを我が目で見てもいる。だが、かといって、この事件が自分自身にとって身近な事件だと感じているわけではない。やっぱり私自身は仙台に住んでおり、ないとは言い切れないが自分の身の上にこれから同じことが起こりうるというような脅威を感じているわけでもない。そういう意味で関心があるのではなく、今自分がやっている研究と研究という営為自体が置かれている社会的地平とが地続きなのだという感覚が私にとっての興味の初動であった。一体文学について考え、論じるときの思考の構えが、どれだけ現代社会のこと、身の回りのことを考えるときに通用するのかといった関心である。いいかえれば、考える「方法」が試されていると言ってもいい。
もうこんなところでヤメにするが、考えてみれば、大学の授業では表に出て来ないこのような議論のために、「ヴァンテの会」があったのかと思い至る。本年度も(は?)盛り上げていこう。
《注》
(1) 人為的に引き起こされたサリン事件とはその性質が異なる点を含んでいるが、W・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』(法政大学出版局)などが、この点に関して参考になる(主に166〜168頁)。シヴェブシュは、表面的には便利で軽快で安全な鉄道は、しかしそれが人為的な技術の産物であり破滅的な事故の可能性を潜在的に伴うがゆえに、常に「意識下の不安」が随伴しているという。鉄道が広く普及し生活に組み込まれるに従ってこのような不安は忘れられ「第二の自然」になってゆくが、「もし第二の自然となった技術的関連が、突然停止すれば、忽ちにして忘れ去られた危険と暴力とが、まるで最初の日のように生き生きと、呼び覚まされるようになるだろう。抑圧されていたものの復帰である」として次のように述べている。「自然を制御する技術水準と、この技術が起こす事故の落下高度(die Fallhoehe)との間には、正確な比例関係が成立している。産業革命前の時代は、この意味での技術的な事故というものを知らなかった。ディドロの百科全書では、「事故」(accident)は文法的、哲学的概念であり、事故とは偶然と同義語だった。その時代の大惨事は自然の出来事であり、自然の事故であった。[中略]これに反して、産業革命がもたらすことになる、技術的な事故による破壊は、いわば内部から訪れる。技術的な機器類は、自分の力で自らを破壊する」。ちなみに志賀直哉「城の崎にて」が、鉄道事故によって自らを常に死へ臨在する存在として見出すのもこのような都市空間の形成と連動した意識形態だと考えられないだろうか。
(2) 例えばヨーロッパで地下下水道の建設が大規模におこなわれるのは十八世紀半ばからで、十九世紀の間に市域全体にひろがった。
(3) 一八九三年にロンドンでメトロポリタン鉄道会社が設立され、初めての地下鉄が走った。日本では、一九二七(昭2)年上野―浅草間に敷かれ、地下鉄は十九世紀末から二十世紀に先進諸国の主要都市に世界的に普及した。
(4) ちなみに、私は『アンダーグラウンド』を読みながら、映画「SHOAH」のことを思い出したりしていた(この映画については前号「うずまき」で加藤さんが触れていたので、未見の人はそちらを参照してほしい)。
* 図[略] 河合隼雄『無意識の構造』(中公新書481)より。