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『中村光夫全集』各巻目次
筑摩書房 0000.00〜0000.00
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第1巻
| 二葉亭四迷(一)
| 1971.11
|
第2巻
| 二葉亭四迷(二)
| 1972.01
|
第3巻
| 作家論(一)
| 1972.07
|
第4巻
| 作家論(二)
| 1971.12
|
第5巻
| 作家論(三)
| 1972.04
|
第6巻
| 作家論(四)
| 1972.11
|
第7巻
| 文学論(一)
| 1972.03
|
第8巻
| 文学論(二)
| 1972.09
|
第9巻
| 文学論(三)
| 1972.10
|
第10巻
| 二十世紀の文学
| 1972.06
|
第11巻
| 文学史
| 1973.03
|
第12巻
| 旅行記 文明論(一)
| 1972.08
|
第13巻
| 文明論(二)
| 1973.01
|
第14巻
| 雑纂
| 1973.08
|
第15巻
| 戯曲・小説(一)
| 1972.05
|
第16巻
| 小説(二)
| 1973.06
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第1巻 二葉亭四迷(一) 1971.11
- 二葉亭四迷論
- 二葉亭四迷評伝
- 序
- 幼年時代
- 父と子
- 名古屋と松江
- 儒学と洋学
- 開国の精神
- 自我と献身
- 征韓論とロシア
- 内村友輔
- 高谷塾と兆民
- 青春と友情
- 外国語学校
- 明治の学生
- 詩人の誕生
- 文学の肉声
- 逍遥と二葉亭
- 浮雲の作者
*
- 二葉亭の問題
- 魯迅と二葉亭
- 二葉亭とコント
- 二葉亭の遺友
- 二葉亭の未発表書簡
- 未亡人と人道問題
- 二葉亭と女郎屋
- 朝日新聞と二葉亭
- 二葉亭四迷全集の新資料について
- 松江をたづねて
- 団子坂
- 二葉亭四迷と現代
*
- 二葉亭の不幸
- ひつこみのつかぬこと
- 出雲往来
- 一冊の本――「平凡」
- 二葉亭四迷伝と私
*
- 「二葉亭四迷集」(三代名作全集)解説
- 「二葉亭四迷集」(現代文豪名作全集)解説
- 「二葉亭四迷作品集」(創元社版)解説
- 「二葉亭四迷集」(日本文学全集)解説
- 「二葉亭四迷集」(現代日本文学館)解説
- 「浮雲」(岩波文庫)解説
- 「浮雲」(日本文学選)解説
- 「浮雲」
- 「其面影」(新潮文庫)解説
- 「平凡」(新潮文庫)解説
- 「平凡ノオト」解説
- 「あひゞき、めぐりあひ」(新潮文庫)解説
- 「うき草」(小山文庫)解説
*
- 二葉亭四迷
- 二葉亭四迷
- 二葉亭四迷小伝
- 二葉亭四迷――生涯と作品
- 二葉亭四迷年譜
解説――河上徹太郎
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第2巻 二葉亭四迷(二) 1972.01
- 二葉亭四迷伝
- 序
- 名古屋と松江
- ロシア語とロシア文学
- 二つの偶然
- 浮雲の制作
- 浮雲の矛盾
- 浮雲の中絶
- 文学抛棄
- 官報局
- 結婚
- 片恋の出版
- 外国語学校教授
- ハルピンから北京へ
- 日露戦争
- 其面影
- 平凡
- 戦後のロシアへ
- ペテルスブルグ
- フロオベルとモウパッサン
- I ギイ・ド・モウパッサン
- II ギュスタフ・フロオベル
*
- モウパッサンの道
- モウパッサン・作家と作品
- 「女の一生」
- 「死の如く強し」
- 「ベラミ」
- 「男ごころ」
- モウパッサンと日本
*
- フロオベル
- 「フロオベル集」解説
- フロオベル・ベスト・スリー
- 「ボヴァリイ夫人」I
- 「ボヴァリイ夫人」II
- 「三つの物語」
- 「ジョルジュ・サンドへの書簡」
- 「フロオベル書簡集」
- フロオベルの住居
- 「ボヴァリイ夫人」の翻訳
解説 小田切秀雄
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第3巻 作家論(一) 1972.07
- 柳北・兆民
- 福沢諭吉
- 坪内逍遥
- 坪内逍遥と二葉亭四迷
- 逍遥・四迷
- 逍遥・四迷・透谷
- 北村透谷
- 幸田露伴
- 尾崎紅葉
- 夏目漱石
- 漱石私感
- 文学者の旅行記
- 漱石の思想
- 文明開化と漱石
- 漱石の青春
- 鴎外と漱石
- 文学と俗物性
- 文明批評家としての漱石
- 人物再発見――夏目漱石
- 夏目漱石の作品
- 「吾輩は猫である」
- 「三四郎」
- 森鴎外
- 田山花袋
- 田山花袋小伝
- 田山花袋論
- 蒲団と浮雲
- 田山花袋の文学
- 「百夜」
- 「蒲団」と「百夜」
- 国木田独歩
- 俗人独歩
- 独歩の短編小説
- 「酒中日記」
- 「空知川の岸辺」
- 近江秋江
- 岩野泡鳴
- 真山青果
- 徳田秋声
- 島崎藤村
- 藤村の文学
- 「破戒」
- 「春」
- 「海へ」
- 「飯倉だより」と「春を待ちつつ」
- 「嵐」
- 「街道」の精神
- 正宗白鳥
- 正宗白鳥
- 正宗白鳥の文学
- 人と文学
- 正宗白鳥の作品
- 「微光」
- 「ある日本宿」
- 「異境と故郷」
- 「根無し草」
- 「作家論」
- 「自然主義文学盛衰史」
- 「日本脱出」
- 「流浪の人」ほか
- 自然主義文学概説
- 自然主義文学以後
- 明治末年と大正初期
- 漱石・鴎外と漢文学
- 明治・大正の作家
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第4巻 作家論(二) 1971.12
- 永井荷風
- 序
- 「ひかげの花」
- 荷風の青春
- 荷風の青春
- アメリカを中心に
- フランスを中心に
- 肉化と再生
- 「新橋夜話」
- 近作について
- 「来訪者」
- 荷風と潤一郎
- 荷風と白鳥
- 狂気の文学者
*
- 荷風の思想と生涯
- 永井荷風
- 荷風とフランス
- 谷崎潤一郎
- 谷崎潤一郎論
- 第一部 神童・異端者の悲しみ
- 第二部 捨てられる迄・饒太郎
- 第三部 痴人の愛
- 佐藤春夫
- 佐藤春夫論
- 田園の憂鬱
- 都会の憂鬱
- この三つのもの
- 青白い熱情
- 「うぬぼれかがみ」に答へる
- 佐藤春夫小論
- 志賀直哉
- 志賀直哉論
- 志賀直哉小論
- 感想
- 志賀直哉に学ぶもの
- 志賀直哉の文学と思想
解説 三好行雄
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第5巻 作家論(三)
- 柳田国男
- 芥川龍之介
- 芥川龍之介の晩年
- 「河童」
- 「藪の中」から
- 再び「藪の中」をめぐって
- 菊池寛
- 新現実主義――主として芥川・菊池について
- 菊池寛の短篇小説
- 菊池寛の残した問題
- 里見ク
- 広津和郎
- 宇野浩二
- 室生犀星
- 滝井孝作
- 青野季吉
- 横光利一
- 井伏鱒二
- 伊藤整
- 武田麟太郎
- 林芙美子
- 阿部知二
- 島木健作
- 島木健作
- 人と文学
- 「獄」と「黎明」
- 「生活の探求」
- 「満州紀行」
- 「赤蛙」について
- 「獄」
- 「生活の探求」
- 「煙」
- 「生活の探求」
- 石川達三
- 太宰治
- 田畑修一郎
- 北条民雄
- 中山義秀
- 田中英光
- 中島敦
- 中島敦論
- 旧知
- 子供と芸術家と夢
- 中島敦小伝
- 新しさと古さ
- 中島敦小論
- 中村真一郎
- 椎名麟三
- 井上靖
解説
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第6巻 作家論(四) 1972.11
- 川端康成
- 川端康成論 I
- 川端康成論 II
- 川端康成の文学
- 川端文学の特質
- 作品解説
- 「伊豆の踊子」
- 「伊豆の踊子」と「雪国」
- 「少年」と「舞姫」
- 「名人」と「日も月も」
- 「千羽鶴」と「山の音」
- 「山の音」
- 「みづうみ」と「眠れる美女」
- 批評家川端さん
- 古典に通ずる現代性
- 敗戦のころ
- 文士の死
- 小林秀雄
- 「様々なる意匠」
- 「私小説論」
- 「小林秀雄文学読本」
- 「モオツァルト」
- 「『罪と罰』について」
- 「感想」
- 小林秀雄小論 I
- 小林秀雄小論 II
- 「近代絵画」
- 小林秀雄論
- 「考へるヒント」
- 小林秀雄論の流行
- 小林秀雄の作品
- 人と文学
- 河上徹太郎
- 河上徹太郎
- 「日本のアウトサイダー」
- 「批評の自由」
- 神西清
- 大岡昇平
- 「俘虜記」について
- 大岡昇平論
- 大岡昇平小論
- 二人の知性作家
- 「大岡昇平集」
- 「武蔵野夫人」
- 三島由紀夫
- 三島由紀夫小伝
- 三島由紀夫氏に望む
- 人と文学
- 「鍵のかかる部屋」
- 「金閣寺」
- 文芸時評
- 昭和十年
- 昭和十二年
- 昭和十五年
- 昭和十七年
- 昭和二十四年
- 昭和二十五年
- 昭和二十六年
- 昭和二十七年
- 昭和二十八年
- 昭和二十九年
- 昭和三十一年
- 昭和三十二年
- 昭和三十五年
- 昭和四十四年
解説 江藤淳
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第7巻 文学論(一) 1972.03
- プロレタリア文学当面の諸問題
- バルザックに関するエンゲルスの手紙
- 須井一のリリシズム
- 作家としての自覚
- 転向作家論
- 中野重治氏に
- プロレタリア文学運動――その文学史的意義
- 純粋小説論について
- 生活と制作と
- 私小説について
- 古雑誌など
- 文学の衰弱
- 作品より作家へ
- リアリズムについて
- 一語、曰く混沌
- 先輩と新人
- 現代文学について
- 近代文学の借着
- 批評について I
- 新しい常識文学
- 文学伝統について
- 文芸時評
- 雑感
- 文芸時評について
- 東京の文学
- 技巧の羞恥
- 影響論
- 文壇の沈滞と反省と決意
- 開化の風潮と自然主義
- 外国文学の鑑賞
- 手記と文学
- 文芸雑誌について
- 大東亜戦下・文学の方向
- 熱情を失った文芸雑誌
- 文学の筐
- 私小説の論議について
- 批評について II
- 作家の文明批評
- 文学雑誌と雑誌文学
- 批評と文壇
- 二つの死
- 「生理」について
- 戦争の手傷
- 近代日本文学
- 憂鬱な対話
- 中間小説
- 精神の速力
- 批評の職分
- 私小説の末路
- 批評家とは何か
- ロマン派文学と日本の近代文学
- モデル小説
- 同人雑誌
- 大正文学の性格
- 可能性の窓
- 小説の二十五時
- 風俗小説論
解説 本多秋五
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第8巻 文学論(二) 1972.09
- 現代小説の弱点
- 翻訳について
- 翻訳文学の問題I
- 文学の俗化
- 映画は「実在」か
- なぜ文学論争は起らぬか
- 小説の美学
- 一、小説の芸術性
- 二、小説の本質
- 三、小説の方法
- 四、表現の技術
- 小説の可能性と限界
- 翻訳文学の可能性II
- 魔的なもの
- 外国文学の影響
- 明治文学の理想
- 半世紀の過去
- 占領下の文学
- 小説家と批評家
- 文章について
- 告白の問題
- 現代小説の欠陥
- 作家の青春
- 短篇小説の伝統
- 口語文と外国文学
- 読物から見る物へ
- 外国文学の新しい理解
- 新聞と小説
- 小説の思想性と娯楽性
- 文芸と文学
- 見世物と演技
- 現代のユーモア
- 近代以前の笑ひ
- 日本のリアリズム
- 小説のイロハ
- 「鍵」批評をめぐって
- 「昭和文学」について
- 賭博性は文学の敵か
- 論争の詐術について
- 小説について
- なぜ作家論を書くか
- 文学のありかた
- I 芸術は人間に必要か
- II 志賀直哉と谷崎潤一郎
- III 思想と文体
- IV 小説は芸術か
- V 「金閣寺」について
- VI 自己表現について
- VII 「鍵」を論ず
- VIII 表現の自由
- IX 文学の復権
- 風俗小説
- フランス文学の影響
- 小説の歴史
- 一、小説とは何か
- 二、詩と散文
- 三、小説の発達
- 四、バルザックとスタンダール
- 五、フロオベルとゾラ
- 六、現代小説の問題
- 七、写実について
- 八、昭和の小説
- 九、小説の可能性
- 言葉と文章
- 文学の非情性
- 中間小説論
- 「日本」を中心に
- 言葉と人生
- 現代文学の可能性
- 現代の長篇小説
- 文学の回帰
- ふたたび「日本」を
- 悪口
- ふたたび政治小説を
- 日本の近代化と文学
- 批評の使命
- 「人間」は不在か
- 器用と凝り性について
- 「笑ひの喪失」について
- 男性文学と女性文学
- 想像力について
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第9巻 文学論(三) 1972.10
- 大人と子供
- 批評についてII
- 文学と世代
- 失はれた「人間」
- 同時代を見る眼
- 批評の態度I
- 「新しい小説」をめぐって
- 翻訳についてII
- 文学と年齢
- 今年の文学の課題
- 百年を単位にして
- 散文芸術の一面
- 文学の回復――平野謙氏への手紙
- 純文学論争の背景
- 「写実」について
- 批評の方法について
- 自分と他人
- 制作と発見
- 文学を見る戦後十七年
- 硬文学の復活
- 作家と年齢
- 批評の精神――谷川徹三氏に
- 文学の回復
- 偽悪と偽善
- 実社会と文学の虚像
- 自然について
- 文学全集ばやり
- 絶望の中からの希望「新潮」第七百号によせて
- 文学の戦前と戦後
- 批評の態度II
- 「現場主義」への疑問
- 「昭和」の意識
- 近代文学の思想
- 言葉の芸術
- 序
- 「ある女の遠景」について
- 文語の自覚
- 偏見の必要
- 「オイディプス王」と「野鴨」
- 「ヒポリュトス」と「フェードル」
- 「モデル」の問題
- 透谷と独歩
- 「自然」の変質
- 福沢諭吉
- 芸術の観念
- あとがき
- 自然主義について
- 文学は老年の事業である
- 文芸と新聞
- 劇への誘ひ
- 芸術の幻
- 戯作と私小説
- 仮構と告白
- 「よそ」と「うち」
- 「桐一葉」について
- 歴史の蒸発
- 文学における外国
- 非文学的風土
- 「文明開化」の亡霊
- 明治と昭和
- 自然主義・写実主義・風俗小説
- 遠くて近いもの
- 自己と自然
- 日記文学について
- 石田英一郎氏
- 「性と虚無」
- 「蒲団」の虚実
- 「役者芸風紀」
- 模倣と創造
- 批評の態度III
- 現代にとっ文学とは何か
- 母胎からの離脱
- むかしの「新潮」
- 「ボヴァリイ夫人」の草稿
- 芥川賞について
- まとまらぬ感想
- The French Influence in Modern Japanese Literature
解説 寺田透
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第10巻 二十世紀の小説 1972.06
- 二十世紀の小説
- 「チボオ家」
- デュ・ガアルとジイド
- 「贋金つくり」
- ボオドレエルとフロオベル
- ヴァレリイとフロオベル
- 笑ひの喪失
- 後記
- アンドレ・ジイド
- ポオル・ヴァレリイ
- 「ドガに就て」
- 「女性フェードル」
- 「作家論」
- ヴァレリイの印象
- アルベエル・カミュ
- 異邦人論
- 「カミュ会見記」を読んで
- アフリカ育ち
- カミュの提起した問題
- カミュにおける肉体と自然
- スタンダアル
- 「パンセ」を読んで
- ジュリアン・ソレルと現代
- 「アルマンス」ほか
- 姦通と文学
- 「ヴィヨン全詩集」
- 「マノン・レスコオ」
- 「アドルフ」
- 「カルメン」
- 「椿姫」
- 「小詩人」
- 「フランス文化論」
- 「愛の哲学」
- 三つのフランス戯曲
- シャルドンヌの遺著
- 「アンチゴネー」
- 「ソクラテスの弁明」
- 「神々の対話」ほか
- 「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」
- 「ドン・キホーテ」
- 「ファウスト」
- 「桜の園」
- 古典主義
- 十九世紀後半の芸術思潮
- フランス批評文学
- 自然主義
- 自然主義の文学運動
- 写実主義I
- 写実主義II
- 資料
解説 市原豊太
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第11巻 文学史 1973.03
- 明治・大正・昭和
- 一 西洋の圧迫
- 二 知識人の生き方
- 三 生活と創造
- 四 小説の前提
- 五 「近代」の結論
- 六 他者の登場
- 七 一つの仮説
- あとがき
- 明治文学史
- 序
- 第一章 明治初期
- 第二章 明治中期
- 第三章 明治末期
- 後記
- 日本の近代小説
- 序
- 開化期の戯作・戯文
- 政治小説の季節
- 小説神髄と当世書生気質
- 浮雲
- 硯友社
- 鴎外・透谷・藤村
- 篁村・緑雨・一葉
- 観念小説から社会小説へ
- 自然主義の特質と先駆
- 花袋・藤村・泡鳴・秋声
- 大正期の特質
- 耽美派の作家
- 森鴎外
- 夏目漱石
- 白樺派
- 主知派と生活派
- あとがき
- 日本の現代小説
- 序言
- 素地と環境
- 新感覚派
- プロレタリア文学
- 転向と「文芸復興」
- 昭和十年代
- 敗戦前後
- 新作家の出現
- 戦後文学の展開
- 風俗小説の隆盛
- 繁栄と危機
解説 佐竹昭宏 年表 第十一巻詳細目次 索引
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第12巻 旅行記 文明論(一) 1972.08
- パリ通信
- 戦争まで
- I トゥルの宿
- 一 避難船
- 二 バルザックの故郷
- 三 未知の土地
- 四 初夏の街
- II ロアルの宮殿
- 一 ロッシュの城
- 二 イタリー戦争
- 三 ルネッサンス宮殿
- 四 シュノンソーの離宮
- III 戦争まで
- 旅の話
- スペインの話
- 夏のエジプト
- ドイツ遊覧
- イギリスの秋
- イタリアのひと月
- キュプロス島
- トルコの話
- あとがき
- 戦禍のフランス
- 中国の旅
- ラナイ島行
- 西欧のなかの東洋
- ペテルゴフの噴水
- レニングラードの二葉亭
- パリ滞在記
- ボルドーの印象
- ハワイの生活
- 文明論(一)
- 欧洲戦争と知識階級
- 日本の過去
- 西洋に学ぶもの
- 現代文化の心理
- 海外通信
- 危機の意識
- 知識と信念
- 軍人の精神
- 「近代」への疑惑
- 文学者の心
- 時勢について
- 教科書
- 美術と文学
- 怠惰の芸術
- 自我の拡散
- 哲学的自殺について
- 明治文学と家族制度
- 文学に現はれた夫婦生活
- 「検閲制度」の亡霊
- 利口すぎる民族
- 東京大学
- 公開された雅楽
- 北大路魯山人
- 尾道今昔
- はにかめる栗鼠・日本人
- 葬式について
- 失はれた天皇の地図
- 「移動」の時代
- 天皇の名の下に
- 青年と自殺
- 現代の表情
解説 大岡昇平
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第13巻 文明論(二) 1973.01
- 人ごみのなかで
- チャタレイ判決への疑問
- 日本人の知性
- 忘れられた人たち
- 素人雑誌礼讃
- 虚像と実像
- 個性を超えた真実
- 天才の亡霊
- 芸術家と芸人
- 知識階級
- 第二の開国
- 日本の近代化
- 老子の言葉
- 四十九年の非
- 日本を忘れた芸術家たち
- 明治人の心
- 沖縄
- 歴史は繰り返すか
- 老人用の書物
- 教育が奪ふもの
- サド裁判によせて
- 学校とスポーツ
- 死の芸術
- 狂気の変質
- 立憲政治
- オリンピックと戦争
- 知識人
- 新しい「幻滅時代」
- 「マクベス」の妖婆
- 戦争の記憶
- アメリカの友人
- 昭和を昭和とするもの
- 戦後の二十年
- 明治初年のパリ
- 鎖国の心情
- 我国文化の試金石
- 富士山の五合目
- 活字
- 明治と昭和
- ミシェル・ルヴォンのこと
- 「近代」の借り着
- 百年前の知識人
- 日本の近代
- 明治百一年
- この奇妙な観光施設
- 価値の倒錯
- ほんたうの教育者はと問はれて
- パンと見世物
- 猥雑の概念
- 「変質する大学」像を求めて
- 木から石への変化
- 美徳と幸福
- パリと日本人
- 六十年の周期
- 青春と知性
- 青春の欺瞞
- 青春について
- 幸福についてI
- 幸福についてII
- 幸福についてIII
- 知性と倫理
- 生活と思想
- 結婚の理想と現実
- 他家へ嫁いだ娘へ
- 心に触れる言葉
- 自分の恢復
- 現代と美
- 友情について
- 青年といふ名の虚像
- 教養について
- 表現の自由について
- 友への手紙
- 読書について
- 読書についてI
- 読書についてII
- 読書についてIII
- 読書の方法
- 私の読書遍歴
- 「悪の華」以後
- 色と徳
- 読書随想
- 読書の道
- 新読書論
*
- 小説の読みかた
- 文学の鑑賞
- 若い人にすすめる書物
- 日本の短編小説
- 現代文学案内
- 永井荷風・人と作品
- 永井荷風
- 永井荷風の文学
- 「あめりか物語」
- 「ふらんす物語」
- 「地獄の花」「夢の女」
- 「腕くらべ」
- 「すみだ川」その他
- 「@東綺譚」
- 「日記」
- 「戦後作品集」
- 谷崎潤一郎の作品
- 「小さな王国」
- 「蓼喰ふ虫」その他
- 「卍」
- 「細雪」
- 「瘋癲老人日記」
解説 吉田健一
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第14巻 雑纂 1973.08
- 今はむかし――ある文学的回想
- 新しい本と古い本
- 「若い人」
- 「新科学対話」
- 「捨身飼虎」
- 「信仰について」
- 「福地桜痴」
- 「西洋音楽史」
- 「惜みなく愛は奪ふ」
- 「小さき者へ」
- 「二十歳のエチュード」
- 「一九一四年夏」
- 「秘史朝鮮戦争」
- 「竹の木戸」
- 「ボヴァリイ夫人」
- 「ベラミ」
- 「城下の人」と「曠野の花」
- 「明治詩話」
- 「人間坪内逍遙」
- 「旅芸人始末書」
- 「ビルマの竪琴」
- 「安曇野」
- 「夏目漱石」
- 「二葉亭四迷論」
- 「二葉亭四迷・嵯峨の屋おむろ集」
演劇・音楽・絵画・コラム・選評
- 三つの新劇
- 「ヘッダ・ガブラー」を見て
- 「かぶき者」シラノ
- 新劇に望む名作の再演「居酒屋」
- 現代性と民族性
- 喜劇と現代
- 文学的観劇記
- マクベスと福田恆存
- 演劇と文学の結びつき
- 芝居の世界
- コメディ・フランセーズに思ふ
- 「ハムレット」と「オルフェウス」
- 新劇雑感
- 「夜明け前」
- 舞台のリズム
- 「悪魔と神」を見る
- 蒲生氏郷と名古屋山三
*
- ヴェルディと現代
- 二人のカルメン
- 読売日響の初演をきく
- 批評を主題とする詩劇
- 詩の世界に遊ぶ四時間
*
- 梅原龍三郎展を見て
- 物と心
- 日本古美術展の印象
- 古美術礼賛
- ロダン展をみる
- ドラクロワ展を見る
- ゴーギャン展から
*
- 起点
- 論
- 大波小波
*
- 芥川龍之介賞選評
- 太宰治賞選評
- 野間文芸賞選評
- 日本文学大賞選評
*
- 「批評」編輯後記
- 「声」編輯後記
短文・随筆その他
I
- 最近の感想
- 職業意識の蝉脱
- 批評の精神
- 新人批評家
- 「批評」の立場
- 古典の翻訳
- 講話に対する意見
- 伊勢神宮
- 鳴門海峡
- 事実を知らされない国民
- 室戸岬を行く
- 飛脚と電信
- お水取りと薪能
- パリと東京
- 録音と文字
- 石筆
- 文化的自殺
- くりかへし
- 富岡の工場
- 逆効果
- 亡霊
- 「よろめき」と「これでよいか」
- 逓信省
- 人間と犬
- テレビのアンテナ
- 一周忌
- 秀才と鈍才
- 素人玄人
- 踏切の地蔵様
- 消えて行く名
- 普及と保存
- 青春の文学
- 悲しみの虚実
- 旧い帝劇
II
- フランス行など
- 巴里より
- 悔いなき生活
- 一年ぶりの雅楽
- 人生の関所
- わが「食物哲学」
- 死を考へ、死を見る
- ある日私は
- 昼食難
- 眼鏡
- 縄とび
- そばを食ふ
- 七月下旬の一週間
- 鳥辺野
- 軽い病気
- 飛行恐怖
- 恩師
- 六十年前
- 二冊の本
- 記憶の穴
- 八月下旬の記
- 「老」の微笑
- 近況
- 私の中の日本人
III
- 七里ヶ浜の記
- 鎌倉に住んで
- 泉ヶ谷近辺
IV
- 呉茂一氏のこと
- 川端康成氏
- 印象
- 唐木順三
- 臼井吉見
- 吉田健一
- 福田恆存
V
- 藤村の顔
- 神西清
- 原田義人
- 越知保夫
- 正宗さん
- 久保田さんを惜しむ
- 辰野隆先生
- 順応と反応
- 亀井勝一郎氏を憶ふ
- 広津和郎氏を憶ふ
- 石原寿郎先生を憶ふ
- 伊藤整氏を悼む
- 岩田豊雄氏を憶ふ
- 空襲のころ
- 初対面の印象
- 宮田重雄氏を悼む
*
- 自作について
- 自著跋
- 「近代への疑惑」後記
- 「作家と作品」後記
- 「青春と知性」後記
- 「作家の生死」あとがき
- 「異邦人論」あとがき
- 「知性と青春」あとがき
- 「現代小説の欠陥」あとがき
- 「自分で考える」あとがき
- 「現代作家論」あとがき
- 「中村光夫集」序
- 「文学と青春」あとがき
- 「想像力について」あとがき
- 「批評と創作」あとがき
- 「百年を単位にして」あとがき
- 「時代の感触」あとがき
- 「芸術の幻」新版・あとがき
追補
- ルネッサンス私観
- 精神と芸術
- 文化の「遺産」
- 「無常といふ事」
- 批評の可能性
- 文学者の道徳
- 大岡昇平の文学
- 文学に接するには
- 今年の小説ベスト・スリー
- 北欧
- 文学者の生命
- 東風西風
- 私小説の体質
解説 唐木順三
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第15巻 戯曲・小説(一) 1972.05
- 人と狼
- あとがき
- パリ繁昌記
- あとがき
- 汽笛一声
- あとがき
- 家庭の幸福
*
- 鉄兜
- 『わが性の白書』
解説 福田恆存
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第16巻 小説(二) 1973.06
- 贋の偶像
- 虚実
- 小さなキャベツ
- パリ・明治五年
- サン・グラス
- 影
- アニマル
- 出会
- 大の虫
- あとがき
- 平和の死
- 後記
解説 山本健吉
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YAMAZAKI Yoshimitsu yymzk@fo.freeserve.ne.jp
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