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『武田泰淳全集』全21巻 各巻目次
筑摩書房 1971.00〜0000.00
※ 「@」は、出せない文字です。
第1巻 小説1
- 廬州風景
- E女士の柳
- 学生生活
- 玉王黄伝
- 閃鑠
- 才子佳人
- 才女
- 秋の銅像
- 人間以外の女
- 謝冰瑩事件
- 女族の哲学
- 月光都市
- 夢の裏切
- 聖女侠女
- 詩をめぐる風景
- 女帝遺書
- L恐怖症
- 細菌のいる風景
- 烈女
- 淑女綺談
- 橋を築く
- 女の国籍
- 流沙
- 美しき湖のほとり
- 水の楽しみ
- うつし絵
- 興案嶺の支配者
解説――磯田光一
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第2巻 小説2
- 審判
- 秘密
- 蝮のすえ
- サイロのほとりにて
- 非革命者
- 黒旗
- 闇にたつ人
- もの喰う女
- 苦笑の前後
- 「愛」のかたち
- 復讐
- 悪らしきもの
- 空間の犯罪
- 廃園の女
- 誰が
- 約束の身体
- 冷たい火焔
- 夜の虹
- 海肌の匂い
- 日蝕の桜のころ
- 信念
- 不明な事件
- メサの使徒
- 花盗人
解説――埴谷雄高
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第3巻 小説3
- 椅子のきしみ
- 母の出発
- 筋肉
- 情婦殺し
- 物言う鼠
- 女の部屋
- 獣の徽章
- 由井正雪の最期
- めがね
- うまれかわり物語
- 春日異変
- F花園十九号
- 冷笑
- 第一のボタン
- あいびき
- 巨人
- 女地主
- 風土記
- 奇蹟の掌
- 宇宙博士の恋愛
解説――松原新一
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第4巻 小説4
- 美貌の信徒
- 耳
- 勝負
- 飛瀑の女
- 父子の情
- 幻聴
- 銀色の客人
- 風媒花
- 天と地の結婚
解説――小田切秀雄
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第5巻 小説5
- 愛と誓い
- 流人島にて
- 異形の者
- 迷路
- 遠くの旗
- 恐怖と快感
- 動物
- 青木さんの過失
- ひかりごけ
- 紅葉
- 声なき男
- 密室
- 火の接吻
- ゴーストップ
- 青黒き河のほとり
- 遊覧地
- 敵の秘密
- にっぽんの美男美女
- 悲恋
- 燃えあがるみどりの底
- ウラニウム青春
- 汝の母を!
- 杭を打つ!
- グロテスク
- 誰を方舟に残すか
- 怪人物
- 独裁者と共に
- 良妻賢母
解説――開高健
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第6巻 小説6
- 士魂商才
- 成金から財閥まで
- 妖美人
- 甘い商売
- 鶴のドン・キホーテ
- 歯車
- おとなしい目撃者
- 愛情犯罪人
- 透明人間
- 振り出しにもどる
- 地下室の女神
- 貴族の階段
- 「ゴジラ」の来る夜
- 白昼の通り魔
- 残酷でない物語
- 美しい村
解説――菅野昭正
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第7巻 小説7
第8巻 小説8
- ピラミッド附近の行方不明者
- ニセ札つかいに手記
- 鍵をかける
- 花火を見るまで
- わが子キリスト
- 国防相夫人
- 新・東海道五十三次
解説――森川達也
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第9巻 小説9
- 十三妹
- 秋風秋雨人を愁殺す
- 王者と異族の美姫たち
- 揚州の老虎
解説――竹内好
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第10巻 小説10
- 富士
補遺
- 民族文化について
- 中国言語問題
- 『湖南の兵士』解題
- 上海の出版物
- 野間宏著『青年の環』
- ジャン・コクトオ『アメリカ紀行』
- 井上靖著『雷雨』『死と恋と波と』
- 誰のために小説を書くか?
- 壇一雄著『長恨歌』
- 安部公房著『壁』
- 包容力に富む文化態勢
- 丁玲著『霞村にいた時』
- サルトル著『文学とは何か』
- 目撃者の記録
- エレンブルグ著『作家の仕事』
- 寺田透著『現代日本作家研究』
- 現代中国文学全集8『沈従文篇』
- 「ロミオとジュリエット」の素晴しさ
- エレンブルグ著『雪どけ』
- 『女の宿』あとがき
- 吉川幸次郎著『西洋のなかの東洋』
- 長与善郎『わが心の遍歴』によせて
- 六月の風
- 現代的仙人よ、飛びつづけよ!
- 中江丑吉書簡集
- 「五十三次」と「三十六景」
- 『増田渉博士還暦記念論文集』序
- 文化大革命についての私の感想
- 異国の酒買い
- 島尾敏雄『硝子障子のシルエット』
- 身心快楽 如入禅定
解説――丸谷才一
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第11巻 評論1
- 司馬遷
- ユーモア雑誌『論語』について
- 鍾敬文
- 中国民間文学研究の現状
- 新漢学論
- 今年度の中国文化(国学)
- 中国西南地方蕃人の文化
- 『山歌』
- 河北省実験区「定県」の文化
- 唐代仏教文学の民衆化について
- @人と@(きん)型儀礼
- 擬古派か? 社会史派か?
- よろめく「学報」の群
- 昭和十一年における中国文壇の展望
- 影を売った男
- 袁中郎論
- 抗日作家とその作品
- 李健吾の喜劇について
- 戦線より
- 土民の顔
- 戦地より
- 美しき古書
- @克家と@之琳
- 戦線の読書
- 支那文化に関する手紙
- 杭州の春のこと
- 同人綴方浜松紀行
- 支那で考えたこと
- 巴金「旅途通訊」
- 沈従文「記丁玲」続集
- 梅蘭芳遊美記の馬鹿々々しきこと
- 山西開発展を観る
- 小田嶽夫「魯迅伝」
- 揚子江文学風土記 序
- 黄鶴楼
- 赤壁
- 桃源の娼婦
- 苗族のいる町
- 若き兵士の旅
- 蜀へ入る路
- 草堂の杜甫
- 蜀土碧血記
- 蜀女二題
- 佐藤春夫「支那雑記」
- 曹禺「北京人」
- 南方関係支那文献解説
- 中国と日本文芸
- 中国人と日本文芸
- 中国作家諸氏に
- 雑誌の精神
- 竹内好『魯迅』跋
解説――山本健吉
『司馬遷』語注
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第12巻 評論2
- 中国の作家たち
- 老舎の近作について
- 中国文学の命運
- 中国文学の路
- 美しさとはげしさ
- 杜甫の酒
- 淫女と豪傑
- 人間臭と人間ばなれ
- 谷崎氏の女性
- 作家と人物
- 丁玲
- 谷崎潤一郎の「細雪」
- 『経書の成立』と現実感覚
- 渺茫たるユ氏
- 根本
- 異国放浪
- 「白乾児パイカル」欄に
- 『才子佳人』後記
- 作家の狼疾
- 谷崎潤一郎論
- 滅亡について
- 中国文学と人間学
- 無感覚なボタン
- 女について
- 私を求めて
- アレ
- 『あっは』と『ぷふい』
- 賭の姿勢
- 無言の批評
- 某月某日
- 勧善懲悪について
- 私
- 手塚富雄著『帰り行くひと』
- 岡本かの子『生々流転』
- 獣の徽章
- 貴重なめまい
- 椎名麟三「病院裏の人々」
- 侠客と佳人
- 宇宙的なもの
- 日記
- 壇一雄
- 中国の小説と日本の小説
- 加藤周一「文学とは何か」
- 三島由紀夫「青の時代」
- 小説家とは何か
- 『女の部屋』後記
- 『未来の淫女』自作ノート
- しびれた触手
- 椎名麟三「赤い孤独者」
- 作家と作品
- 職場のささやき
- 井伏鱒二論
- カミュ『カリギュラ』の成立
- 作家と手品師
- 新しき知的士族
- 文章政治学
- 竹内好『魯迅』解説
- 酒田の本間家
- ささやかな感想
- 乗りもの礼讃
- 文学の国際性
- 『風媒花』について
- 「風媒花」の筆者として
- 「新文学全集」あとがき
- 望郷
- 『孔乙己』感想
- 作家の立場から
- ラジオの魔性
- わが読書
- 奮闘の精神
- 大岡昇平『野火』
- 玩物喪志の志
- ミス未来と密通する男
- 「井伏鱒二作品集」第一巻解説
- 真理先生
- 竹内好訳『魯迅作品集』
- 毛沢東の文章
- 「亀井勝一郎集」解説
- 日本を知らない日本人
- 私小説と社会小説
- 『愛と誓い』あとがき
- 実名小説というもの
- 女を描ききれない
- 新興宗教について
- 魯迅とロマンティシズム
- 坊さんらしい人
- 歴史小説の功罪
- 羽田空港
- 宗教と文学
- 岡本かの子『女体開顕』
- 進水式
- 唐代伝奇小説の技術
- 知的武士のお母さん
- さまざまに発展すべき日本の小説の今後の方向の二、三について
- 三島由紀夫『盗賊』解説
- 『人間・文学・歴史』あとがき
- 小説案内(三島由紀夫・中野重治)
- チャールス・モーガン『脱出路』
- 飛行機のはなし
- 小説案内(梅崎・川端・今ほか)
- 未来は既に始まった
- 小説案内(曾野・小島・中山・西野)
- 『むらぎも』論
- 「時間」の魔術
- 私の創作体験
- 小説案内(佐藤・小沼・女流作家)
- 中野重治著「むらぎも」
- 証言と小説
- 椎名麟三著『自由の彼方で』
- 私の文章観
- 小説の喜劇・悲劇
- 批評家と作家
- 病者のモラル
- 新気運の胎動
- 宋慶齢と宋美齢
- ヘミングウェイ『武器よさらば』
- 賈宝玉とピエール
解説――粟津則雄
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第13巻 評論3
- 政治家の文章
- 今年の文学抱負
- しろうと批評とは何か
- 江口渙著『三つの死』
- 「白色婦人」と黄色男子
- ヘルマン・ブロッホ著『罪なき人々』
- 日本人の顔
- 仏教と文学
- 反思想家の返事
- 物語の新しい航路
- 戒名と兵隊
- 戦術としての批評
- 微少な存在
- 動物・植物・鉱物
- 古典の再評価
- メーデー見聞録
- 神話について
- 『火の接吻』あとがき
- 小説家としての武者小路氏
- 愉快な社会主義者・山本健吉
- 高橋義孝氏について
- 『敵の秘密』あとがき
- 黒い掌
- 三島由紀夫『小説家の休暇』
- 堀田善衛
- 悪徳について
- 楽しきかな食堂
- 大文学と取組め
- サルトル著『ユダヤ人』
- X氏との対話
- 女神と泥人間
- 読まれるということ
- 「快楽論争」について
- 品行方正な背徳
- 癩者の生活から生れた四書
- 埴谷雄高論
- 私と共産主義
- 吉川英治論
- あの頃この頃
- 寺田透著『同時代の文学者』
- ものやわらかな人
- 梅棹忠夫著『モンゴール族探検記』
- 小説の怪物性
- カミュ著『転落』
- 証言はすべての人間に重要
- ぼくと上海
- 兎の耳と鼠の歯
- 『みる・きく・かんがえる』はしがき
- 東海村見物記
- 生き残りの感慨
- あさって会
- 好色一代男
- 魔術師になるな
- 駒田信二著『石の夜』
- イギリスの知性・人間の野性
- 植物より花屋さんへ
- 堀田善衛著『インドで考えたこと』
- 科学と文学
- 楡の樹蔭の欲望
- 限界状況における人間
- 人間をささえるもの
- 日本の信仰
- 顔見世大歌舞伎
- 芸術座「風雪三十三年の夢」
- 新宿末広亭にて
- 『楢山節考』以上!
- 社会科学者と文学者
- 中村光夫作『人と狼』
- どこにでも、何回でも
- 私のひとりごと
- 中国歌舞団
- 感想
- 応挙から学ぶべきもの
- 「助六」の物理作用
- 幸田文学のおもしろさ
- 『現代の魔術』あとがき
- 『士魂商才』あとがき
- サーカスの演出
- 気はやさしくて力もち
- 何事も、ながい目で
- 思いつめる
- 原子へ還る
- 庶民の泣き笑い
- 国民ぐるみ
- 仙人はどこにいる?
- おまわりさんよ
- いまどこにいる?
- しずかに決心しよう
- いろいろな大学生
- ほめる専門の八方美人
- うつされたがる
- わかりやすい?
- 道徳的なりや否や
- 歴史と文学
- 庭はどこにでもある
- あのころの楽しみ
- 日本は進歩しつつある
- 魯迅と中野重治
- 文学者と政治家
- 合同公演「関漢卿」
- 見直そう「北海道」
- 『地下室の女神』あとがき
- 岡本太郎著『黒い太陽』
- ロブブリエ著『嫉妬』
- PRあるいはCM的自伝
- 諸行無常のはなし
- 書き歩き一週間
- 堀田善衛著『上海にて』
- 新しき「三人姉妹」の悲哀
- 冒険すべき企画
- 竹内好の孤独
解説――桶谷秀昭
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第14巻 評論4
- 新編・私の映画鑑賞法
- 映画と私
- 戦争映画の魅力
- 映画と未来小説
- 映画の闇
- 陽気なドン・カミロ
- チャップリンとディズニー
- 「裏窓」と庶民生活
- 映画と文学(I)
- 映画と文学(II)
- 女優について
- 映画はかみくだく
- 戦争映画について
- つくり出す強み
- 「ジェルソミーナ型」とは何か
- 戦争映画のおもしろさ
- お盆の「英雄」たち
- 映画は心理描写に成功した
- 映画と文学(III)
- 記録映画「メソポタミア」を見て
- 豊かな"第二の現実"
- 珍しい企画の面白さ
- 脚本家の苦心に注目
- 国際性と民族性
- 日本映画の世界性
- 映画の道徳的働き
- うまい商売と無神経さ
- 心のやさしさとこまやかさ
- パリと東京
- 記録映画と新しいモラル
- 映画・テレビ・活字文化
- 映画批評のこと
- しっかり者の運命
- "街の学校"映画館
- 国際色と国際性
- 発展するホーム・ドラマ
- 映画と文化交流
- よろめきと日本女性
- 新鮮な「現実」の発見
- 傑作が生れるまで
- 巧妙な刺激とは何か
- 肉体の魅力
- 前宣伝と自分の感動
- 日本映画にもの申す
- だんまり芝居
- ひしめき合う喜びと悲しみ
- 映画と国際常識
- 女の肉体、男の肉体、地球の肉体
- 笑いと喜劇と人生と
- ノンシャランな映画二つ
- 「13階段への道」が投げる問題
- 神々の復活を歓迎する
- 極大から極小まで
- エロティシズムの政治学
- 愛のむずかしさ
- 感じのいい人たち
- 映画と文学の違い
- 第二の目、第三の目
- 宗教的とは何か
- 笑いとおどろき
- タデ食う虫と作家の眼
- 肉体のうつろい易さ
- 一筆啓上
- 宗教映画の秘力
- ナマの人間とナマの世界
- "自然死"に対する観客心理
- むずかしい国際問題
- 詩人の映画
- 見せものの裏側
- いくら一億総批評家でも
- 残酷とは何か
- 劇と映画の夫婦づき合い
- 奇妙なことへの熱中
- 芸術の列車は走る
- 人間、この異様なるもの!
- 理屈と勘定の食い違い
- 「日本昆虫記」ロケを見て
- 形容しがたい恐怖
- 忘れられない人物と画面
- 映画館の楽しみ
- 「裁き」の予言
- "古典的"とは何か
- 現代女優論・左幸子
- 映画「怪談」を見て
- 007の秘密
- 『私の映画鑑賞法』あとがき
- 団地の春
- 「いなか者」と「世界人」
- 江藤淳氏へ
- 昭和に入って
- 百人一首
- 『完本・高見順日記』を読んで
- 『世界憲法集』を読んで
- 文学者に悪い奴はいない
- 大風起って
- 暴力について
- "愚鈍"
- ハニヤ式「眼法」について
- 反俗精神
- あん蜜
- 中村光夫著『想像力について』
- 中野重治著『忘れぬうちに』
- ハリー・ベラフォンテ
- 政治悪と教科書としての『三国志』
- 中年男は痛感する
- 内山完造著『花甲録』
- 法務総合研究所編『犯罪白書』
- 中国古典文学全集31『歴代詩選』
- 丸谷才一著『エホバの顔を避けて』
- 文化界への直言
- 北海道の原野
- 政治家と文学者
- 『小島信夫集』解説
- 夢と現実
- 法然上人
- 宋元美術の愉快な哲学
- 本郷・小石川
- 「私」への反省
- スタンダール『赤と黒』
- 苦難に満ちた記念碑
- 飲食男女
- 「狂言まわし」としての悪
- 『花と花輪』あとがき
- 蟹とサボテン
- わが小説『森と湖のまつり』
- 菊の花、河、大地
解説――佐々木基一
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第15巻 評論5
- 日本の夫婦
- 宗教人の旅
- 大陸の舟遊び
- 文学者らしい告白
- 犬の裁判
- 生み出す者の苦心
- 「孫子」の兵法
- おサルさんとみそ汁
- コバルト色の雨合羽
- 国際的な人物
- 同級生交歓
- EECと文学
- 文人歓語の図
- 中国女性の"女らしさ"
- 原稿料ゼロ
- 変りつつあるソ連
- 梅棹忠夫の忠告
- 実作者の経験談
- 悪魔好き
- 植物の根や昆虫の触角のごとく
- 花は土から
- カンヅメ論
- イカの夫婦
- 実業家の書いた本
- 農民の発言
- おしゃべりは楽し
- 欲望の文学
- 主婦と外国語
- おそろしい質問
- テレビの新人
- 母の悲しみ
- カイロの街で
- 文学を志す人々へ
- ひらけゆく北海道展
- 『森と湖のまつり』取材旅行
- 朝日ジャーナル編『日本の思想家(1)』
- 三島由紀夫著『美しい星』
- 作家の自己弁護
- 焼きもの
- 親鸞証人架空会見
- 「新しい世界」写真展
- 箱庭の美
- 強いということ
- "北京・カイロ・モスクワ"
- 青年の宗教、老人の宗教
- 文章とテーマ
- 私の「中世」
- ガーデンブリッジ附近
- 怪人二十面相
- ソンをしなかった輜重兵
- 夫婦原始林を探検する
- 中国語のおもしろさ
- 梅崎春生著『狂ひ凧』
- 枕山と毅堂
- 『序曲』について
- 悪書
- 本多秋五著『続物語戦後文学史』
- 批評家さまざま
- 宗教と文学
- まじめな文士
- 作家の生き方
- "文化望遠鏡"を
- 病気と文学
- 私の書きたい女
- はじめての本『司馬遷』
- 女傑なるかな
- 呉玉章
- 『辛亥革命の体験』
- 親孝行
- 文学のアトランティス
- めがね
- 椎名麟三氏について
- かなしい動物
- 雨ニモマケズ
- もうすこし平等に
- 中途はんぱ
- 文学者、政治を語る
- 酸素と化学肥料
- 日本的なるもの
- 中国現代劇の前進
- 静に、ゆっくりと
- 作家の二代目
- 行動主義、今いずこ
- 「国際小説」とは
- 「紅楼夢展」の魅力
- 車上の批判者
- 巨大なるもの
- 狂った妻
- 別荘について
- 私の小説作法
- 何となくゾッとする
- 楽しいかな・筆談
- めいめいの風景
- 心配する必要はない
- 忠勇なる諸氏よ
- 批評家にめぐまれる
- 井伏文学の魅力
- コンピューターと経営者についての妄想と予感
- 日本人の国際感覚
- 花田清輝著『俳優修行』
- 石狩川
- 中国で感じたこと
- 丈夫な女房はありがたい
- 漱石の女性像
解説――本多秋五
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第16巻 評論6
- 文章のくさみ
- 冒険と計算
- いやな先生
- 忘れられぬ喜び
- やや荷風式に
- 青の神秘
- 貴重な現地報告『泥と炎のインドネシア』
- 黄色は何を求めるか
- ラムネ、水族館、溶岩
- つながらない文章
- 「ジャピンド」について
- 『毛沢東 その詩と人生』あとがき
- 私は苦しかった
- 学士諸君へ
- 私の古典・司馬遷の『史記』
- 永井荷風
- 大モノぐいの入道
- 「守るべきもの」は何か
- 梅崎春生の思い出
- 富士山
- 「毛主席詩詞」の色彩について
- カラマーゾフ的世界ばんざい!
- 野間宏『華やかな色彩』
- 濃厚な香気漂う永遠の花園
- 朝永振一郎の二冊の本
- 神経衰弱と女性
- 私はこう見る
- ショーロホフ氏の印象
- さくらの路
- あいまいな記憶
- AとA・AとA・A・A
- L・モズレー著『天皇ヒロヒト』
- 竹内好著『日本とアジア』
- 千田さんについて
- 微妙なくりかえし
- 『冒険と計算』序文
- 『新編 人間・文学・歴史』あとがき
- 午前三時に起きて仕事
- 静かな計画性
- 空路誕生で四〇分の処女地・三宅島
- 地球人について
- 舞台再訪・『森と湖のまつり』
- 肉親嫌悪
- 魯迅とは何者なのか
- 創造的人間について
- キノコ狩り
- 魯迅死後三十年に思う
- 井伏鱒二さんの文学
- マキャベリ的人間について
- サルトル的知識人について
- わたしの好きな、わたしの小説
- 菅原幸助著『現代のアイヌ』
- 深沢七郎『人間滅亡の唄』
- 一つの生き方
- ほめるクセ
- 私の鬼女幻想
- 吉川幸次郎編著『中国文学論集』
- きみわるさについて
- 文化交流について
- 歯のはなし
- 雨、ヒシの実、帽子
- 『揚子江のほとり』あとがき
- 「懐疑と信仰」について
- 造反派とは何か
- 私の第一評論集『司馬遷』
- 日本的なるもの
- 中国文化大革命を語る
- 文学雑感
- バレー「白毛女」
- 私と『資本主義』
- ユーゴーの『レ・ミゼラブル』
- 飯塚朗著『北の旋律』第一部
- 乗せてもらう
- 吉田健一著『文学のたのしみ』
- テーブルの下の血痕
- 彫刻家父子
- 短編小説の無限の面白さ
- 私の自慢の本『セリンディア』
- 山麓のお正月
- 中国文学事始
- 根源的なるもの
- 許広平女士をしのぶ(一)
- 私の一冊『司馬遷』
- おねがい
- 石狩平野
- 許広平女士をしのぶ(二)
- 開高健著『輝ける闇』
- ドンブロフスキー著『古代保存官』
- なわばり論
- 坂本スミ子
- 魯迅と秋瑾
- 北海道のマテな夏
- 素朴純情のおもむき
- ハシカの記念日
- 禁欲の青春
- 悠々たるいそがしさ
- 無邪気な酔漢
- 現代政界を予言する
- 埴谷雄高対話集『架空と現実』
- 『新訂・中国古典選』によせて
- "文章"の不自由と自由
- 堀田善衛著『若き日の詩人たちの肖像』
- 私の読書録
- "ガク"の未来を信じて下さい
- 司馬遷『史記』
- まい ういーく
- 河上徹太郎全集を推す
- テレビ討論のすすめ
- 『秋風秋風人を愁殺す』について
- 人民間の文化交流
- 北海道と私
- 作家にとって反逆精神とは何か
- 地球・庭・箱庭
- 富士と日本人
- シルクロード五十三次
- 東海道五十三次クルマ哲学
- 「批評」グループ、その他
- もっとも現代的なる文学者
- 娘に答えて
- 花田清輝著『随筆三国志』
- ためらいと恥ずかしさを克服するために
- 陜西省西安坡村出土の人面紋陶盆についての疑問
- 雄弁なるかな、人類!
- 中央高速道路のファン
- 胡姫と平和共存
- 深沢七郎著『庶民烈伝』
- 私の言葉
- 『混々沌々』序文
- 『混々沌々』あとがき
- くさい男
- ケンカ論
- やめ屋
- 国家と文学
- オトコの服装
- 私の生き甲斐
- 国会炎上の思想
- 人間を"見つめる"ということ
- 楽しきかな、見学
- 椎名麟三さん
- 埴谷雄高さん
- 漢字のきみわるさ
- 全集のむずかしさ
- 白川静著『漢字』
- 訪中29回
- 大失敗
- 迷宮とは何か
- 愛すべき恐竜の足音
- 思想の言葉
- 七・七記念日にあたりて
- 地獄・極楽
- 小説とはかくも恐るべきものであるか!
- 『黄河海に入りて流る』あとがき
- 竹内好著『中国を知るために』(第二集)
- 妥協を知らぬ創造者
- 理論と実践の新しい統一を着実に遂行
- 馬鹿について
- 私の朝食
- ことしの回顧
- ゴーリキー著『追憶』(湯浅芳子訳)
- 僧侶の父
- 『破戒』から学ぶべきもの
- 大へんだということ
- 埴谷雄高
- 李白、杜甫にも
- 「風景」と「自然」
- ユネスコ編『語録 人間の権利』
- 三島由紀夫氏の死ののちに
- 野間宏著『青年の環』5「炎の場所」
- 海外からの刺激の中で
- わが思索わが風土
- 現代にとって文学とは何か
- 僧侶の良心
- 「蘭陵王」と「最後の一句」
- 中国人と日本人
- 樹木と酒と愛猫と
- 蠅ころし
- 視野脱落をおそれた人
- 物理、数理、小説
- 心やさしき梅崎さん
- 杜甫の詩
- 富士での生活
- オール否定の勇士
- 辛抱づよいニヒリスト
補遺
- おめでたい話
- さびしそうだけれども
- 怪しき村の旅人
- 媒酌人は帰らない
- 北京の輩に寄するの詩
- "後記の詩"
- 『司馬遷』各版序文
- 茅盾『虹』後記
- 小事
- あなたが、現在の日本から抹殺したいと望まれるもの三つ
- わが文学の泉
- グラトコフ『セメント』
- 日本文学の五十年・短編小説ベスト10
- 中村光夫著『谷崎潤一郎論』
- 戦後派作品ベスト3
- 竹内好訳『魯迅代表作品集』
- 扉の言葉
- 江湖大侠
- 私の好きな
- 恋愛小説ベスト・スリー
- 文学者としての郭沫若先生
- 必読十冊
- 読書の姿勢
- 記録とは何か
- 私の健康法
- 戦後小説・ベスト5
- 現代に生きる古典
- 『海鳴りの底から』について
- 東方書局のこと
- 「ひかりごけ」の上演について
- 『砂の女』について
- 小竹文夫先生のこと
- 『わが塔はそこに立つ』について
- 作家の言葉
- 仲よし
- 各種文芸賞選後評
解説――平岡篤頼
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第17巻 小説11
第18巻 小説12 評論7
- 目まいのする散歩
- 上海の螢
- 月明、笛と風がきこえる
- まぼろしの百日草
- 少女と蛇娘
- 文学と仏教
- 勇気あることば
- 宗教は統一できるか
- 友は離れているもの
- 戦争と私
- わが心の風土
- 比叡山紀行
- 大拙先生の問答
- 法隆寺展を見て
- アイヌと神と修道院の神
- 出羽三山
- 男性と女性と
- 京都の寺々
- 最澄
- 現代は罰せられている
- 「往生要集」の虫
- 誤解の効用
- 私にとって宗教とは何か
- 私の中の地獄
- 私の病状
- 椎名麟三氏の死のあとに
- 大江健三郎著『洪水はわが魂に及び』
- 『快楽』の頃
- 阿部昭著『千年』
- 川は流れて
- 中村真一郎著『この百年の小説』
- 文学と私
- 小松真一著『虜人日記』
- ペンギン記
- 野の花のごとく
- 大きな坊ちゃん
- 魯迅先生と私
- 社会主義的指導者Sと仏教者B氏との対話
- 「中国文学」と「近代文学」の不可思議な交流
- 三島由紀夫のこと
補遺
- 清末の諷刺文学について
- 鉄拐の顔
- 中国国民党史など
- 上海化
- 朱舜水の庭
- 中国の武士道
- 司馬遷の精神
- 宋江の殺人
- 私の机の上
- なまけ者
- 蕭軍『愛すればこそ』『妻なき男』解題
- 『現代支那女流作家集』解題
- 霞客
解説――松本健一
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別巻1 対談
- 現代について(堀田善衛)
- まごころ問答(亀井勝一郎)
- 政治と文学(臼井吉見)
- 薇を喰わない(竹内好)
- 諸行無常(鈴木大拙)
- 『史記』の世界から日本文化まで(貝塚茂樹)
- 描ききれぬ中国の変貌(老舎)
- 作家は何を見るか(小島信夫)
- 技術時代と思想(森有正)
- SFを探る(小松左京)
- 私の中国文化大革命観(竹内好)
- 太宰治と現代文学(臼井吉見)
- 救いと文学(椎名麟三)
- 革命・神・文学(河上徹太郎)
- 文学者は今日をどう生きるか(野間宏)
- 転形期の文学と文学者(椎名麟三)
- ユートピアへの旅(花田清輝)
- 禁欲が生んだ滅亡の文学(古林尚)
- 小説を書く心(中村真一郎)
- 軍隊と文学的出発点(埴谷雄高)
- 文学は空虚か(三島由紀夫)
- 東洋の知恵(山本健吉)
- 混沌と救済(遠藤周作)
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別巻2 対談
- 同文同種というけれど(陳舜臣)
- 日本の政治家は外交ができぬ(尾崎秀樹)
- 大学はなぜ必要なのか(柴田翔)
- 文学と狂気(北杜夫)
- 朝鮮のこころ日本のことば(李恢成)
- 『十二年の手紙』のころ(宮本顕治)
- 国際ロマン派の若者たち(五木寛之)
- 「殺す」こと・「殺される」こと(寺田透)
- 戦後・仏教・愛(大岡昇平)
- 精神の共和国は可能か(辻邦生)
- 生きることの地獄と極楽(真継伸彦)
- 文学と宗教と人生(加藤周一)
- 亡命者の運命(開高健)
- 戦争と中国と文学と(竹内実)
- 新しい価値観を求めて(桑原武夫)
- 「中国文学」のころ(竹内好)
- 混沌から創造へ(開高健/佐々木基一)
- 元気の出る小説(古井由吉)
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増補 武田泰淳研究 埴谷雄高編
YAMAZAKI Yoshimitsu yymzk@fo.freeserve.ne.jp
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