No.006〜010
[No.010] 2004.01/12 色紙のつぶやき 国松路 どこかの酒場でのお話です。 つまり…場所は覚えていないか or 飲んでた時点ですでに判らなくなっていた… ということでありましょうか(笑)。 * * * 私はトイレに立ちました。 そのお店の洗面所にはカガミはなく…ただ一枚の【色紙】が貼ってあり… 馬鹿にするな 馬鹿にするな 思いっきり笑う【権利】を 馬鹿にするな 馬鹿にするな 人間なんだ 人間なんだ 人間なんだ * * * 私は席に戻りました。
【常連さん】が集まったときのとても【尊い】喧噪が聞こえた、ような気持ちになって…冷や酒をもう一杯頼んだのでございます… 誰か有名な方の【唄】なのでしょうか?… ちょっと昔…夏になりかけの、半端に暑い夜の思いで…なのでございます。 [No.009] 2003.07/18 かたつむりのカメラ目線 国松路 【アルコールによる酩酊】… これをお猿さん達が、『日常会話』の発生する以前におぼえていたら…どうなったでありましょうか? おそらく、私のようなアル中にばかり進化した『万物の霊長』が支配(出来たかなぁ…)する星になったでありましょう。 20世紀末までに『24時間お酒を売っているコンビニ』が出来るほど、文明は急速には発達しなかった、と思われます… ● しかし、おそらく言葉が使われだした当初、人類の祖先は相手に対して言いたい放題、罵詈雑言・好悪をためらわずに即座に口にだしていたでありましょう。 戦意を表明する際に歯をむいたり、またメス猿に愛を告白する際にマウンティングなどをしなくてもよくなって、気の短いオス猿さん達は、さぞかし手間がはぶけたのではないのか?と思うのです。 ● 思いまするに、酒飲みになってしまうと、『日常会話』の方法論?的なものが七面倒になってしまうようであります。 しかし、その昔、『会話』によって猿どもは飛躍的に意志の疎通が頻繁になって、遠からず文明が産声を挙げたのだ、と言っている人もいたはずです。(確か…) ● で、なんとなく『だからこそ世界中が修羅場になってしまった』のだ、と思うのであります。言葉というモノは決して一人だけに向けられるモノではないのですから…。(【舌禍】という奴であります。) 大衆を扇動して暴動を起こす事を生業としている人もいます。 いろんな女性に同時に『愛』を告白しては、闇から闇へ売り飛ばす職業の方もいらっしゃいます。 (【文明】と同時に【売春・女衒】【戦争】も発生した…という人もいました…) ● 目の前に『子猫』の写真のテレフォンカードがございます。人からもらった物ですが、あまりに可愛らしいので0度になっても捨てられません。 人間にしても動物にしても(まあ、人間も動物ではありますが)、赤ん坊はシルエット的に四肢が短かいことは共通していると思います。 その短い手足で中空をつかみながら、邪気のない真丸い目で真正面からジッと見つめられると、知らずにニコニコしてしまっている自分がいます。 そいうった『根拠のない、しかし抗いがたい感情』こそが、人間の本能なのではないのでしょうか? ● つまり、私は『ただ飲みたい』のであります。 わが奥さま、後生だからあんまり目くじらを立てないでいただきたいのでございます。 [No.008] 2003.01/23 ベトナム料理が旨いのは… 土屋 忍 年末年始に台湾とベトナムへ出かけた。いろいろあったが、ここではひとつだけ簡単な報告をしておきたい。それは、なぜベトナム料理は旨いのか、についてである。 東南アジアの飯は旨い。屋台の飯は格別である。もともとそう確信して生きてきた。なぜ旨いのか。それは、豊富な食材が目に見え、仕入れや調理の過程が透明であり、化学調味料の臭いや電子レンジ音がしないからである。そして何より、そこに生きる人たちが自分で食べたいと思うものを料理してくれるから旨いのである。 今回の旅では、屋台や市場で好物を探り当てるような機会はなかったが、ベトナム各地のレストランで連日高級料理を食すという身の程を過ぎた饗応を堪能した。台北からハノイに入ったその日の昼以来、予想外の御馳走攻めに遭った私たち一行は、次から次と繰り出される料理の品々に舌なめずりをし、嬉々として箸をつけた。しかし、案内されたどの店の料理も、明らかに胃袋の許容総量をオーバーしていた。戸惑い、焦った私も、最年少男子として奮闘した(はずだ)。だが、皿の上のゴイ・クォン(生春巻き)も、バイン・ボッ・ロック(海老等を半透明の外皮に包んだもの)も、椰子の殻に入ったスープも、ココナツライスも、尽く余すことになった。 観光客の食べ残しを活用する仕組をベトナム人ガイドのユキ(Tuyet)さんから教わったのは、旅の後半であった。まず料理人や店員の食事となり、残りは水牛や黒豚、地鶏の食事になる、さらに牛豚鶏は…という食のサイクルを知り、少しだけ救われた心地がしたのは私だけではないだろう。 考えてみれば、大量の残飯を放出しながらそれを忌み嫌うという習慣は、近代都市の悪弊である。それは、正体不明のものに装飾加工を施し「食品」として薄利多売する精神とも結びつく。ある製パン会社の社長は、自社のパンなど食べないという。大手ハンバーガー会社の社長も同様である。 この話題には、なお多くの問題が残る。だが、これだけははっきりしている。すなわちベトナムでは、高級レストランにおいても、料理に携わる者たちが食べたい(やがて食べる)料理を堂々と料理する。だからベトナムの飯は旨いのである。 [No.007] 2002.06/30 ケータイの電磁波問題 山崎義光 電車やバスに乗っていると、かならず「ケータイ電話の使用はご遠慮ください」という車内放送が流れる。これは理由がはっきりせず、不思議なことに思える。 理由として、心臓ペースメーカーと携帯電話との電磁波による干渉可能性の問題が指摘されたりする。「ケータイ電話の使用」というのは、もちろんメールの送受信でも電磁波が発生するのだから、それも含む。しかしながら、干渉可能性については、ある実験結果では「心臓ペースメーカーに電磁波干渉を起こしうるが、通常の位置での使用をする限りでは健康上のリスクは生じなかった」という報告(札幌厚生病院循環器科)もある。これだけでは確かなことは言えないとしても、どれほどの強い可能性であるかは、よくわかっていないようだ。死亡事故にまで発展したということまでは、とりあえずないようだ。よくわからないから十分な警戒が必要ということなのだろうか。 心臓のペースメーカーにばかりでなく、そもそも生体にとって悪いかもしれないと指摘されたりもする。それは、なおさらよくわかっていないようだ。しかも、電磁波を発生させるのはケータイだけではないし、さすがに今のところ(たばこの場合のように)生体に影響があるのでという理由ではないだろう。 ただ、可能性が低いという報告についても、どういう立場にたっての報告であるかについては、注意が必要だろう。今やケータイ電話の経済効果はかなりのものであるはずで、だとすればむやみに抑制するわけにはいかないのであるから、不利な喧伝はなされない可能性があるからである。水俣病のときには、日本の基幹産業であった化学工場の社会経済的な役割の比重が下がるまで、公認されることがなかったことを思い出してもいい。 その他の理由としては、車内マナーが指摘されたりする。あるビールのCMでは、新幹線の車内で大きな声で通話する中年男を、少々気の弱い中年男が正義感を行動にまで奮発して連れ出す映像を流している。なるほど、放任しておいて、電車内でみんながケータイで話し始めたら、その騒ぎは大変なものになるかもしれない。だが、車内では黙っていなければならないものではないのであるから、ケータイの会話だけが指弾されなければならない理由にはならないだろう。ましてや、黙ってメールの送受信していることが迷惑になるものでもあるまい。 マナーが問題であるなら、マナーの普及に努めるべきであって、禁止する理由にはならない。 そういうわけで、私が気になるのは、一方で排除の理由がそれほど強いものでも、明確にされているわけでもないにもかかわらず、かなりうるさく使用禁止を訴えていることのアンバランスである。 私が気に入らないのは、この禁止がまるで"中学校の学則"のようなものに思えるふしがあるからである。 [No.006] 2002.01/23 小さな知識人について 山崎義光
セールスという仕事は、興味深い。実に、現代的な仕事だと直感的に感じることがある。 投稿雑文誌 うずまき |