No.001〜005

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[No.005] 2001.12/15 [荒れる大洋での遭遇] 山崎義光
[No.004] 2001.05/19 [物語る能力] 山崎義光
[No.003] 2000.12/02 [三島没後30年] 山崎義光
[No.002] 2000.10/08 [古楽の復活と現代(2)] 畑中健二
[No.001] 2000.10/01 [古楽の復活と現代] 畑中健二


[No.005]  2001.12/15

荒れる大洋での遭遇

山崎義光

 NHKで、ソ連崩壊後10年目の現在の様子を報道する番組をやっていた。
 そのなかで、対照的な二人の若者とその家族に焦点があてられていた。
 ソ連崩壊によるコルホーズの崩壊。農村地帯の耕地は、すっかり荒地となり、働けど食えぬようになる。シベリア西部に住むある10代の若者は、けがで体が不自由になった父を助け仕事にはげむが、働いても収入が支払われないようになり、生きる意味の喪失感をもつようになる。イスラム教は、そういう彼に生きる意味を充填してくれることになった。コーランを勉強し、国外にまで行って学ぼうとしたところ、武闘派組織にはいってしまう。外国人拉致に参加して捕まる。死刑の判決を受け控訴中とのことである。まだ、20代にはいったばかりである。
 もう一人は、父親は大学で数学を教え、母親は情報処理の技術を教える仕事をしているという両親をもつ若者であった。ソ連崩壊後の父親の収入は日本では考えられないほど低く、母親の収入の方がいくらか多い。若者は、コンピュータのプログラムを小さな頃から覚え、大学も出来たばかりの情報関係の工学部を最優秀の成績で卒業し、地元の企業に就職する。しかし、収入は少ない。自分の力を試し、それに見合う収入を求めて、アメリカの企業の募集に応募。採用されて、アメリカにわたり、世界貿易センタービルの最上階に近いオフィスで働くようになってすぐ、9.11テロに遭遇して亡くなる。

 asahi.com(同時多発テロ)では、同時多発テロの実行犯の経歴を断章的に連載する記事が掲載されている。実行グループの一人、エジプト出身のアタを中心とした記事だ。
 弁護士の父をもつ裕福な家庭に育つ。成績も優秀で、ドイツ、ハンブルク工科大学時代の指導教官の話、幼い頃の同級生、エジプトで近所に住んでいた人たち、彼を知る人誰もがテロの実行犯だったと聞き、口をついて出るのは「信じられない」の言葉ばかりだという。「危機にさらされた古都アレッポ――あるイスラム東洋都市の発展」の題で卒論を執筆する。アレッポは古代から東洋と西洋の両方から影響を受けた都市。

 エジプトの裕福な家庭からドイツに入学した若者が、ソ連崩壊後の社会からアメリカにわたった若者のいるビルに突撃したという、世界資本主義の"大洋"で遭遇する二人の若者の構図。

 関連記事=「イメージとしての現代」

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[No.004]  2001.05/19

物語る能力

山崎義光

 「小中高校の保健室にやってくる子どものほぼ7人に1人が「心身症とみられる」という全国調査が19日、仙台市であった日本小児科学会で発表された」「心身症は、身体的にはっきりした原因がないのに、頭痛やだるさ、吐き気などを訴える症状。不登校とも関連があるといわれる」(http://www.asahi.com/ 2001.5/19 社会)とのことである。なるほど、それは日々十代の子らと接している感じからしてもうなずける。目的意識の欠如=無気力みたいなものがはたらいて、心身の統合バランスを崩しているということだろうか。

 身体は、統合された全体性の喩として一般的に使われる。そもそも「全体」という語のうちに「体」が含まれていることが端的に示しているし、「国体」なんて言葉も使われたことがあった。

 ここでハッキリとしたことを言う準備はないが、社会の危機と身体について語られることとは相関している。たとえば、プロレタリア文学は、「セメント樽のなかの手紙」に代表されるように、破砕された身体としてしばしば表象されたことが指摘されているし、戦後に"肉体の文学"が流行ったり、野間宏や大江健三郎が執拗に"苦しむ身体"を表象していたことなど、つねに社会の危機が遠く近く身体にもたらされる何事かとして形を変えながら集約的に表象された。『知覚の現象学』(メルロ・ポンティ)が、それこそ心身症の事例などにも言及しながら、<身体>をめぐる理論展開をしたのも世界的な危機の時代であった。学生運動がその頂点を迎えた1970年前後に、日本で<身体>論が隆盛したこともよく知られている。それより少し前から同じ頃の『監獄の誕生』等のフーコーを思い浮かべてもよいかもしれない。そこでは、身体に対する実際的な規律=訓練が社会の秩序を生み出す技法であることを示したのであった。

 国を一つの身体に見立てるなら、不況は循環器系の疾患で、政治不信は心身症にでも相当するのだろうか。全体性などというものは、それ自体として知覚できるものではないから、つねに何らかのイメージや情報の集積によってしか掴みようはなく、それゆえ必然的に"物語"が要請されるにちがいない。実際物語りというものは、大昔から、個々の人間を社会に統合する働きをしてきたものであることはエリアーデなどの述べているところである。

 それにしても、空から大きなかたまりが降ってきたりする偶然の事故(2001.5/19の今日、桑名でヘリと飛行機が接触し墜落して民家と近くを走っていた車を巻き込んだ事件)から、メール友達の偶有的な人間関係が殺人事件にむすびついたり、無差別的殺人がふえたりしていること等々、突発事、偶然的な出来事の発生が常態となっている。他方で、社会全般的な危機意識から、全体性を回復する物語としてナショナル・アイデンティティの物語を要請する動きがある。

 偶発的な事件の多発と小説家の権威の失墜とはパラレルな現象であるだろう。戦後昭和20〜30年代くらいまでだろうか、文芸雑誌の座談会記事みたいなものをよんだり、エッセイの類を読んだりしていると、小説家のステータスが特権的であるように語られている。そこには、社会の現在を一身に背負っており、小説家が特権的な語り手であるという気負いが感じられる。"小説とは、人生いかに生くべきかを書くものだ"と言って受け入れられていた時代の気負いである。

 しかし、現在は、特権的な語り手の出現を俟つことではなく、ナンセンスをナンセンスとして語りながら、語ること自体のうちに意味をつなぎとめていくようなことが要請されているように思える。たとえば、笙野頼子や町田康の小説、またスタイルは異なるが奥泉光の小説にしても、それらに共通する饒舌さと"わかる"感覚が示しているのもそういうことであるように思える。

 そう考えてみるならば、現在、十代の子ら(に限ったことでもないと思うが)に心身症が現れていることは、物語る能力の喪失として把えることができるだろう。"立身出世"物語なり、"良い学校を出て良い会社に勤めて幸福な家庭を築く"という物語であるなり、そうした社会に通有の定型的な物語が失われている現在、小さな物語を自ら織り上げる能力が求められているにちがいない。

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[No.003]  2000.12/02

三島没後30年

山崎義光

 三島没後30年であるし、ここに何も書かぬわけにもいかぬだろうので、ちょっとばかし、書いてみたい。
 さすがに、関連書の出版・雑誌の特集から、エッセイの類まで、山ほど出されている。締切に追われて書くことに困ったから、オリンピックのサッカーの試合やらを見たくて気もそぞろに、「三島由紀夫とサッカー」とかいう題でむりやり記事を書いたという者までいるしまつである(久間十義『新潮』2000.12)。
 基本的に、三島が取り沙汰されるのは、論者に三島事件が若かりし頃の思ひ出として記憶されていることが大きな要因であるし、バブルの崩壊、国家-国際秩序の地盤沈下の時代に、にわかに国旗国歌が取り沙汰されるようになった世相とも関連しようし、少年犯罪やらカルト事件の頻発が三島の小説のリアリティを80年代後半以降になって感じさせてもいるといった事情などもかかわっていよう。実際そう書かれることが多い。たしかに、三島は先取り的に社会の動向を予見していたといえる。が、三島の死が何であったかという問いは、あまり有効でないような気がするし、どうかすると、父の復権とか、ニヒリズムと絶対者の希求といったところに落ちてしまいそうなところに話がいってしまいかねないからである(服部俊『三島由紀夫の復活』夏目書房、濱田政彦『神々の軍隊』「あとがき」三五館。誤解されぬように言い添えれば、これらの書は、読みどころのあるもので、名はあげないが、くだらぬおしゃべり本や記事に終始したものは多い)。今の問題は今の問題として考えるべきであり、三島の提起した問いは、現在に通じる問題が何であるかを語りはするが、"短絡的に"倣うべき何かがあるようには思えない。
 けっこう、面白かったのが、村上兵衛『昨日の歴史 大宅壮一と三島由紀夫の生と死』(光人社)であった。三島が語られる場合には、伝統と現代といった通時的な観点から、三島に固有の何々と語られがちであるだけに、大宅壮一とパラレルに、二人の同時代への応接を叙述した点で、面白い。「無思想人宣言」の大宅と、「文化防衛論」の三島を近接させて捉えることの方が、むしろ正鵠を射ることになると思うからだ。そういえば、『天皇ごっこ』の見沢知廉は、どこにいったのだろうか。大宅と三島については、猪瀬直樹・中村彰彦の対談もある(『中央公論』2000.12)。
 近頃書かれたものではないが、私が読んだ中で、もっとも面白い捉え方をしているのは、笠井潔『テロルの現象学』(ちくま学芸文庫)である。三島の死は文学的なものだとか、政治的意義があったのだとかといった範疇でくくらないこと、20世紀に多様に現れ頻発する観念的転倒という観点から論じたものである。これに近接するのが、松本健一『原理主義―ファンダメンタリズム』(風人社 1992)だろうか。
 しかし、私は、小説家はやはり小説をこそ読まれねばならないと思っている者である。


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[No.002]  2000.10/08

古楽の復活と現代(2)

畑中健二

  ひきつづきお喋りにお付き合いいただければ幸いです。

 1973年に結成され、ドイツに古楽の新しい波を起こしたとされる演奏グループにMusica Antiqua Koeln(MAK)というのがあります。CDのジャケットの演奏者の写真──黒のハイネックのセーターなんかを着ている髭面の、クラシックの演奏家というよりは自由業風のポートレートを見ながらぼんやり考え るのですが、彼らにとって「antiqua」とはどういう意味でのアンティークなのでしょうか。単に曲目と楽器が前近代のものだ、という意なのでしょうか。それとも、自分たちの演奏が往時の演奏の忠実・客観的な再現なのだという素朴な確信表明なのでしょうか(たぶんそれは無さそうだ)。あるいは、もっと戦略的なものなのでしょうか。

 十九世紀的な演奏観を方法的に棚上げし、それ以前の演奏のあり方を求めようとすることに関し、一般に「作品への忠実さ」とか「オーセンティシティ」といった概念が用いられてきました。前者はドイツの音楽学者たちに好んで用いられ、後者はレコード会社が古楽の売り文句として便利に使ったことなどによって1970年代から80年代に古楽派の標語といえるほどだったといわれています。しかしこのオーセンティシティという言葉に危ういところがあることも確かでしょう。

 記録が十分でない過去の音をそのまま完璧に、「オーセンティック」に再現することの困難さには素人でも思い至りますし、たとえ演奏のスタイルや音の復活ができても「アウラ」をも含めた全体の復元の難しさも予想されます。また、そもそもオーセンティックな復興とは何の復興なのか、作曲家の意図を 復興すればそれでよいのか。その場合、作家の意図とは何か。テクスト論における「作者の本当の意図」と同形の問題が音楽の領域でもやはり生まれるはずです。なお前回挙げた大崎『音楽演奏の社会史』の「復興の哲学」という章ではこの辺の問題が取り上げられてはいましたが、あまり掘り下げがされず、解釈学やテクスト論への言及も無くて物足りなく感じました。

 素朴実証主義的ニュアンスを持つ「オーセンティック」や「作品への忠実さ」という用語が、反古楽派の格好の攻撃の的になったのは想像に難くありません。例えば、アドルノによる批判。前掲のハスケルは、アドルノの「バッハ愛好家に対してバッハを擁護する」というエッセーを参照し、「アドルノは『作品への忠実さWerktreure』という概念を拒否し、古楽を復活させる唯一の有効な方法は、シェーンベルクやヴェーベルンが行ったように、現代の語法でそれを解釈し直すことであると主張した。」(304頁)とコメントしています。こうした事情もあって、今日では「オーセンティック」という用語はより柔軟な「historically informed」とか「historically aware」といった呼び方にほぼとって代わられたようです(前掲ハスケル298、377頁参照)。

 ともあれ、歴史的な復元への古楽派の熱意とその難しさをめぐる話は私には面白く感じられます。前回書いた、尺八やジャズを参考にしたというエピソードもそうです。それから例えば、楽譜や文書からでは読みとれない演奏習慣を考える際に絵を参考にするというやり方。オランダのバイオリニスト、シギスヴァルド・クイケンなどはバイオリンを顎にはさむのではなく肩に乗せてひいています(それがどの程度の音楽的意味を持つのか私にはわかりませんが)。そのような弾き方を採用した根拠のひとつは、古い絵画に描かれた演奏者のスタイルだと聞いています(やや曖昧)。しかし「写実」「描写」という今日の 概念をそのまま十八世紀の絵画に適用してよいかを考えるなら、図像学的なアプローチも万能とはいえないでしょう。

 仮に物理的な音そのものの復元――いわばエティック(etic)なレベルでの復元――が可能だとしても、当時の環境や聴き手の耳の復古までは素人目にも可能だとは思えません。バッハの時代と現代とでは音楽の持つ意味合いは違ってきていることでしょう。CDにデジタル録音された「古楽」がマスで出回っていること。十八世紀の君主に捧げられた曲を、二十世紀末の極東の東洋人が狭い畳のアパートでパソコンを打ちながら聞いているという現状は、考えてみればずいぶん倒錯的です。こうした状況で「オーセンティック」「ヒストリカル」「アンティーク」といった用語に一体どれほどの意味と説得力があるのだろうかと首をかしげたくもなります。

 古楽に関わる人は、復古への努力をすればするほど、現在と過去と間の如何ともしがたい断絶を目の当たりにするのではないでしょうか。その意味では、MAKの「antiqua」という形容は強いイロニーを含んでいるような気がします。そして、飛躍するようですが、そのような古の復元に関わるイロニーはロマン派とか日本の本居宣長に共有されているもののように思われてなりません。古楽に関心をもったのはこうした点からでも、あります。

(1998)


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[No.001]  2000.10/01

古楽の復活と現代

畑中健二

 1970年代、例えば鍵盤楽器のレオンハルトとか、リコーダーのブリュッヘンとか、バッハの時代の音楽を近代的な演奏から救い出し、当時の楽器、楽譜、演奏法で復活させようとする「古楽(early music)」の運動が起こってきたことはご存じだと思います。過去の音楽の掘り起こしそれ自体はいつの時代にも行われてきたことでしょうが、とりわけ彼らの活動に注目したいのは、それまで自明とされてきた音楽演奏観への異議申し立て、いわば音楽の領域における一つの「近代批判」としての強い性格があると思われるためです。ある音楽学者は「一九〇六年のシェーンベルクの《室内交響楽》と一九七七年のレオンハルトのバッハはよく似た混乱を引き起こした」と述べて、その演奏の革命性を称揚しています(後掲ハスケル295頁参照)。

 今日では、例えば古楽の本家たるオランダやベルギーでは音楽教育の正課に古楽が組み込まれていると聞きます。かつては「バッハをバッハに忠実に演奏しようだなんて、博物館から楽器を借り出せとでもいうのか」と笑った音楽批評家もいた旨どこかで読みましたが、今では博物館所蔵の古楽器を使ったCDは店にいくらも並んでいます。日本でも97年の小澤征爾の「マタイ受難曲」ではバイオリンの一部でバロック弓が試用されたことが話題になっていました(聞いていないけど)。また、近代的演奏の主流を担ってきた名門オーケストラが古楽の専門家を指揮者や助言者として迎えることも珍しくはないようで す。もちろんモダンが全て否定されるわけはありませんが、しかし演奏法にしても楽器にしてもモダンは絶対的な規準ではなくひとつの選択肢に過ぎないという考えは現在一般的であるように思われます。

 乱暴にまとめると、いわゆる「ワールド・ミュージック」が<地理的>外部から音楽の西洋近代を相対化したとするなら、同様に古楽は<歴史的>外部からそれを相対化している、といえるかもしれません。実際、近代以前の管楽器奏法を探るために日本の尺八が参考にされたりもしているとのこと。また、 ジャズも研究されているのですが、これは十九世紀以降に西洋で失われたバロック時代の演奏法がかえって新大陸のジャズに保存されているという考えからのようです。そもそも、古楽がオランダや英国という西洋近代音楽史上の「辺境」から発信されはじめたという経緯自体、示唆的です。

 白状するなら、できる楽器は口笛という情けない素人の私がそうした古楽派に関心をもったのは、自分の耳で音楽そのものとして評価したわけではもちろんなく、ひとつにはオランダ贔屓ゆえ。もうひとつは、上に述べたような近代批判として興味を惹いたからです。70年代、音楽業界の中の反体制派である古楽の運動はカウンター・カルチャーと必然的に結びついており、ぼろジーンズにTシャツ姿でステージに立つ演奏者もいたとか。ロック・ミュージシャンかバッハの演奏家か、外見からは区別が難しかったというようなエピソードを聞くと、私としては肩入れしたくなります。革新派が古典と意外な結託した「古いものが実は新しい」という逆説はとても魅力的に思われます。

 以上、大崎滋生『音楽演奏の社会史』(東京書籍 1993)、およびハスケル、有村祐輔訳『古楽の復活』(東京書籍 1992)などを手がかりにつらつら書きました。前者は古楽復興の歴史・背景等についての桐朋学園大での概論をまとめたもので、物足りない点もあるものの、このテーマについての一つのすっきりした見通しを与えてくれるものとして、初心者としては面白く読みました。後者はほぼ同じテーマについての米国の音楽評論家によるものですが、こちらは流石アメリカというか、注や参考文献などレファレンス関係が充実しています。

(1998)


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投稿雑文誌 うずまき