[No.013] 2001.06/04
吉田純 『インターネット空間の社会学』
(世界思想社 2000.7)
山崎義光
インターネット空間が出現したことによって、社会空間の編成がいかに変容しているか? インターネット空間は、私的な領域と公的な領域との境界のあり方の変容をもたらし、コミュニケーションのあり方の変容にまでつらなる。
インターネット空間が、今後どのような場として社会に根づいていくのか、いちがいには言えないが、いずれにせよ両義性をもつことは、まちがいない。一方で、システムによる支配的な権力構造を相対化する公論形成の基盤になりうる可能性をもつし、多様な人間関係の場をもつことが容易になる。だが、他方ですでに処々方々で起っているネット犯罪・出会い系サイトからはじまる人間関係の犯罪への帰結など、旧来の人間関係における"良識"が通用しなくなる傾向はつよまる。
実際、インターネット空間に参入し活用しようとするときに感じ考えさせられるのは、社会の生成の感触と自由の可能性の問題である。
インターネット上のコミュニケーションは、それによって大小のコミュニティの生成、あるいは、あれこれの既存のコミュニティへの参加と離脱が容易で、意外な人間関係が生成することのちょっとしたおもしろみを体験できる。コミュニケーションがコミュニティの原初的な形態なのだということを感じる。他方で、コミュニケーション-コミュニティへの参加が容易になり自由度が高まる分だけ、規律を守ること(守らないこと)ひいては持つべき規律は何かという規範意識を感じることがふえる。
本書はそうした問題を考えるための見取り図を描き出している。
ユルゲン・ハーバーマスの「公共圏」概念を批判的に継承しながら、「システム」(国家行政機能・経済機構など)と「生活世界」(私的なコミュニケーション・市民団体などの諸活動)という、社会を構成する理論的な二つの次元に対して、インターネット空間の出現がどのような意義をもつかについて論じている。
旧来の新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等のマスメディアは一方的な情報を供給し、発信者-受信者の枠組みが固定的で、"システムによる生活世界の植民地化"を促進するのに対して、インターネット空間は双方向的多元的な情報の流通が可能な<仮想空間>である。<仮想>的なものとは、「たとえ物理的な実体をもたなくとも、人間にとってなんらかの実質的ないし社会的機能を果たすもののこと」(p.51)であり、<仮想社会>とは、<現実社会>とは相対的に独立した空間でありながらも、<現実社会>になんらかのかたちでかかわりあい、ラディカルな変容をもたらす可能性をもった空間だといえるという。
本書では、インターネット空間をネットワーク性・匿名性・自己言及性の3点から特徴づけている。
ネットワーク性は、多元的で双方向的なコミュニケーションを可能にし、匿名性は電子的な情報のみによって結びつくために、発信者の属性(社会的な身分・性別・年齢等)は容易に乗り越えられる。そうして新しい結びつきが可能になることで、<現実社会>の枠組みとは相対的に次元の異なったコミュニケーションの枠組みが、仮想的なコミュニケーションの場の内側から創出される(自己言及性・自己準拠性)必要がでてくる。この点で倫理の問題が浮上する。
こうした問題を考えるとば口に立つのに好適な一書であると思う。
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